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ソコタノ日記:現職のときは、1月1日から自宅で仕事していた。……教職はブラック!

過去の記録を読んで……教職ってブラックじゃんと思った。

あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。

毎朝、iPhone の Day One アプリで過去のその日の記録を読んでいます。新年になって過去の1月1日の記録を読みました。すると2018年の欄に次のような記録がありました。

早朝に、卒業アルバムの原稿を23人分読んだ。やってみるとどうってことがなく、新年に仕事をやったという充実感を得た。

自身の Day One 2018年1月1日の記録より

私は、朝4時に起床して仕事や自身の記録の整理、軽い筋トレとかをしていますから、この早朝というのは朝食の前のことを指しているのだと思います。(おそらく作業量を考えると、朝食後もやったと想像されます)

この年度は6年生を担任していましたから、卒業アルバムの文集に載せる作文の校正をしたのです。誤字脱字、文章のおかしなところをチェックし、学校が始まったら子どもがすぐに直せるようにと作業したのだと思います。
卒業アルバムは1月の初旬に写真屋さんに原稿を出さないと3月の卒業式前に子どもに渡すことができなくなります。(当時はそうでした)
故に、この時点での校正は、最終チェックに近いものだったはずです。これをやらないと卒業式に間に合わなくなる……そういうプレッシャーを感じて1月1日の朝食前から働いていたわけです。

おそらく一人800文字程度の原稿だったと思います。(もうすこしあったかなぁ?) それを23人分というのですから、そこそこの量だといえます。子どもの書く文章ですから、誤字脱字、文法のミス、表現の不具合などはあって当たり前です。それでも、一生残るアルバムの中の作品になりますから、できるだけそれを直してやりたいわけです。気を使うという意味ではなかなか大変な作業になっていたのです。

「やってみるとどうってことはなく」とあります。これは、やりはじめるまでにプレッシャーを感じていたことを示しています。けっこう大変だけどやらないわけにはいかない、でも、けっこう大変な仕事だよなぁ……そう感じていたので年末にはやれずにいたのかもしれません。

元旦の朝、お雑煮を食べる前に仕事をしなければならない……これって、ブラックでしょう? ご存じの方もいらっしゃるかと思いますが、教員は給特法で、3%給料を上乗せする代わりに残業手当は一切もらえないということになっています。いわゆる定額働かせ放題というやつです。

今思えば怖いと思う言葉

ただ、定額働かせ放題の中での労働で大変であったのは、上記にあるようなこと以外にもたくさんあります。
私が今自分で読んで怖いと思った言葉は次の一言でした。

新年に仕事をやったという充実感を得た

元旦の朝食前にほぼ無休の仕事をしてそのことに充実感を得たというのです。
教職の仕事は定額働かせ放題の他に次のような言葉で表現されることがあります。

やる気の搾取

「一生残る卒業アルバムの文集の作文でつまらないミスをさせずにすんだ」「なんとかなった」という安堵感を感じて充実感を得たと思ったのでしょう。
でも、正月休み、元旦の早朝に仕事をやらなければならない状況をおかしいと疑う気持ちは全くなかったのだと思います。
やって当たり前、やらなければ子どもやその他の人たちに迷惑をかけてしまう。いい加減にやったら子どもに恥をかかせてしまう。故に、しっかりやるべき仕事なんだ! と思っていたのだと思います。
故に、やり遂げたということで充実感を感じたのでしょう。

給特法で10%の加算になっても若者が教職を選ぶようになるとは思えない。

教職を選ぶ若者が減っていることが報道されるようになりました。私が、知っている学校でも定員割れしているところがたくさんあります。教員は、足りなくなってきているのです。
そんなの当たり前じゃん! って思います。わずかな給与の加算で12時間以上働かされている人がたくさんいるのですから。
お上は、給特法の改正で加算分が10%にするようです。それも、セコくてすぐにではなく暫時でやっていくようです。
そんなことで、若者が教職を選ぶようになるとは思えません。ちゃんと、時間外手当という形でお金を払うべきでしょう。10%に上げたから、このまま働かせ放題の中で働いてねっていうようなものです。
時間外手当の形にすれば、勤務時間外に行われる労働を真剣に減らす努力をするようになるのでは? 時間外手当を払いきれないから無駄な労働をもっと減らさなきゃという意思が働くのではないでしょうか? 適正な量の労働に直し、時間外に働いた分はちゃんと払う❗ というごく当たり前のことをしない限り教職を志望する若者は増えるはずないでしょう。

だいたい加算分を上げれば若者が教職を選ぶようになるという発想がうすっぺらいのです。
だって、お金のことだけを考えれば、人材不足の中、もっともっと多くの給料を優秀な若者に払ってくれる職種はあるのですから。
そして、人のために働きたいという志をもつ若者には選択肢がいくつもあるはずなのです。教職以外にも人のために働ける職種はあります。不当な労働環境を受容してまで教職に就こうという若者はそう多くはないのではないか? と思えます。

元旦の朝に、こういったネガティブなことを書くのはどうか? って思ったりもしました。が、やはり心ある人たちが一生懸命働いているのに、その労働環境を真っ当な形で直そうとしないお上には腹が立つので書いてしまいました。

あと、5年したら公立の学校はどうなっているのかなぁ……とても心配になります。


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