週次報告1

「ベンチャー企業が業界で成功できるために必要な規模感を表した基準」を表す単語は何だっけ。という理由で、検索バーと5分ほど格闘しました。

果たして正解は「キャズム」だったのですが、検索前は「ケインズ」「キューブ」に近しいところにアタリをつけており、「カタカナ4文字」「カ行の音から始まる」くらいの解像度で認識していたことがわかります。

こういうことが、自分には1~2週間に1回程度起こります。先週は「ファンデルワールス」、その前は「レチタティーヴォ」でした。「リレハンメル」あたりもそうだったような気がします。印象の強さでは、「ジーズー・ドゥードゥー・ゾピッティー・バップバップバップ」もありました(※)。

「キャズム」は、他の例と比べて特殊でした。それだけが、最近覚えた言葉でした。きっかけは思い出せませんが、恐らくはTwitterで一瞥したのでしょう。対して、上に挙げた他の言葉は、ずっと前に覚えた、あるいはたまたま覚えていた言葉です。

(……余談ですが、「キャズム」の特別性はもう一つあります。それは、覚えていたのが意味合いの方であることです。他の言葉は名詞のほうを思い出しました)

この、覚えた時期の違いが、不図重要なものであるように感じられました。
覚えていた部分の差異がどうして生じるのかも興味深いのですが、それは今回伝えたいことではありません。「キャズム」のような、認識から日の浅い名詞を思い出すことが、認識して久しい名詞を思い出すことに比べて少ないことが重要なのです。具体的には、この偏りは、言葉についてのインプット・アウトプットの不足から生じているのではないか、というものです。


おおよそ、知識というものは1度で覚えきることは(少なくとも自分には)できません。知ったふりをした言葉を「何だっけ?」する機会が少ないということは、インプット不足の可能性が高いのではないかと思いました。
そして、昔覚えた言葉を思い出す(頻繁にではないですけれど)機会が多いということは、アウトプットされずさび付きつつある語彙が自分にたくさんあることを示していそうです。

インプットもアウトプットも足りない。最近、自分の中の言葉が流動していない。そういうところに危機感を覚えました。

ちょうどこれとは別に昨日、自身のメモでは以下のように直感的に現状を憂えていました。

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「twitterの独白である限りならば問題ない」という前提を敷いた上での話だが、外に向いた文章を久しく書けていないように思う。ゲームのルルブ等書いてはいるが、フリースタイルでの記述は、主観的な正確性で文章が作られているというか、読み手の受け取り方にフォーカスが向いていない、気がする。

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ゲームのルルブを書く。ゲームを作る、マーダーミステリーを作る。人に文章を読んでもらうことを活動としている身ですから、長く目的のある、そして人に読ませる文章を日常的に書いていないということは損失ではないかと考えました。気づいてはいたが、先延ばしにしていたというのが正確かもしれません。

文章を書くのはアウトプットですが、その「書き方」は勉強、つまりインプットする必要があります(そしてアウトプットで習熟します)。書き方と語彙を覚える。覚えたことを書き出して伝える。自分はもっと、これをすべきなのです。

今こうして文章を認めている時も、言葉を選ぶたびに自分のぎこちなさに痛痒を覚えています。つらいことです。
練習としてこういった文章を毎週でも書いていこうか、とキーボードに向き合って、この手記は出来上がりました。

ですから、これは自分の「キャズム」を超えよう、という話でもあるわけです。……という締めで上手くオチていればいいんですけれども(※※)。

気づけばもう冬がすぐそこです。暖かくして健康に過ごしましょう。
どうぞよろしくお願いします。


※これは思い出す際の記憶頼りの文字列で、実際は「ビーゾウ・ドゥードゥー・ゾピティバップバップバップ」らしいです。

※※この「なんだか突然文章が終わる感」も、改善したいところです。

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