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推しと私
「推し」って何なんでしょう?気付いたら自然と応援したくなって、自分以上に幸せを願う存在でしょうか。
自分の推し、寺田蘭世さんの乃木坂46卒業から、もうすぐ3年が経ちます。
私自身を取り巻く環境も大きく変化し、何よりも卒業から年月が経つにつれて、徐々に推し活の熱量が冷めつつあることを否応なしに感じさせられます。
この青春の記憶がまだ鮮明なうちに、私が乃木坂と出逢い、蘭世さんを推すに至った想いを残しておきたいと思い、筆を執ることにしました。
・無課金だったころ(〜2021年8月)
乃木坂46を最初に知るきっかけ、それは冠番組である乃木坂工事中だったと思います。
お恥ずかしい話ですが、初めは飛鳥ちゃんと七瀬さんの区別さえ付かないくらいでした。それほど疎かった世界です。
当時1年間の浪人生活を送っていた私は、息抜きにYouTubeで流れてくる工事中の切り抜きを頻繁に観ていました。バナナマンとメンバーとの掛け合いが面白くて、自然と観る時間が増えていったのが1番最初の接点だったと記憶しています。
大学に入って以降は、精神的にも時間的にも余裕が出来たので工事中だけでなく、ANNやShowroom、乃木坂が出演している他のラジオなど、無料コンテンツを中心に裾野を広げていきました。
タイムちゃんや乃木談は今でも良く聴いていて、深夜にドライブしながらのんびり聴く時間が1番癒されます。
この辺りから、2期生の存在が目に留まるようになります。1期と3期の狭間に位置しながら、光が中々当たらないこともあった2期生と、浪人という暗く不安な時期を過ごした自身とを勝手に重ね合わせていたのだと思います。
中でも蘭世さんを好きになったのは、見た目がタイプだったのが1番大きいかもしれません。芯があるところとか、Sっ気があるところとか別の魅力に気づくのはもう少し後のことです。
アンダーが一層好きになったのも、この時期でした。
『僕だけの君〜Under Super Best〜』を小遣いで購入して、繰り返し聴いていました。アイドル嫌いの母も、唯一好きだと言ってくれたのが『左胸の勇気』の歌詞です。
「生きてれば何とかなる」
逆境に立ち向かう彼女たちの姿に惹かれ、私はアンダー推しになりました。
・アイドルの姿を見られた(2021年9月〜12月)
推し活事情は、2021年の9月に大きな転換点を迎えます。推し活を充実させるためにアルバイトを始めたことです。
当時大学1年生だった私は、高額なライブ代はじめグッズ代を親にせびることはできなかったので、自分の力でバイト代を稼ぎ、好きなことに心置きなく使えるようになりました。
当時、17日間しかそれが続かないとは、思いもしませんでしたね…
9月17日、今でも覚えています。バイト終わりに寒空の下で“寺田蘭世 卒業”の文字を目にしました。
私はここから離れることを決心しました。
乃木坂46を卒業します。
大好きな場所でした。
写真集を出すこと、そしてSONYの販売ページから「Documentary of Ranze Terada」の情報が漏れてしまっていたので、ある程度は覚悟していたつもりでも、自分の推し活はこうも呆気なく終わってしまうのかと落胆したことを覚えています。
現役最後のステージ、28thSGアンダーライブは、初めてのライブ参戦に戸惑いながらも、初日を現地で観ることが叶ったのが、唯一の救いだったような気がします。
最後列の1番端でしたが、彼女の姿は眩しいくらい輝いていました。黒のスティックバルーンを抱え、モノレールに乗って家路に着いたあの日が懐かしいです。
私にとって満足のいく推し活は、12月12日に引退するまでの僅か3ヶ月間しかできませんでした。
この短さが推しへの想いに消化不良を起こし、現在まで続く長い長い亡霊オタク生活につながっていることは言うまでもありません。
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@立川ステージガーデン
・乃木坂46引退、そして未来へ(2021年12月12日〜)
たとえ短くても、大学生という多感な時期に蘭世さんを推せたことは自分にとって青春でした。
卒業してからは、運転免許の取得で行動範囲が飛躍的に広がったことも加わり、過去のアンダー曲MVのロケ地巡りや、かつて蘭世さんが番組で訪れたお店などをまわる日々を過ごしています。
蘭世さんが見た世界をこの目で見てみたい、共に歩んだあの楽曲たちが撮影された場所に行ってみたい一心です。
2022年秋には、写真集のロケ地である神戸・鳥取に足を運ぶことも叶い、蘭世さんがきっかけで色々な景色を見ることができました。
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でもやっぱり、気付くのが遅過ぎました。アンダラ九州シリーズも参戦したかったし、握手会にも行きたかった。
「推しは推せるときに推せ」と言われますが、自分に与えられた時間はあまりにも短いものでした。
蘭世さんは表舞台から退き、HONEY ROSIE HOUSEのオーナーとして第2のキャリアを歩き始めています。
残った2期生の卒業も1人ずつ見届け終えた現在、私自身乃木坂からは次第にフェードアウトしつつあります。
SNS上で更新の途絶えた数多くの推し活先輩方がそうであったように、自分自身大学4年生として人生の岐路に立ち、新たな心の拠りどころを見つけたことで、蘭世さん、そして乃木坂への熱量は次第に少なくなっている現実があります。
どんなに応援していても、貴女のこと、大好きなあのアンダー曲のことを忘れてしまう日が、いつかやって来るかもしれません。
その日が怖いです。
「人は必要なときに必要な人と出会う」という橋本奈々未さんの名言があるとしたら、推しが必要でなくなったとき、それが推し活を終えるときだと私は考えます。
だから最後のその日まで、ずっと推しの味方で居ることに決めました。
大学生という青春時代の1ページに彩を添えてくれた、かけがえのない人。
それが私の推し、寺田蘭世さんです。