ひとりSF時代
昔に出会った人も自分と同じだけ歳をとるのが面白い。
このまえライブに行ってきた。大阪は心斎橋のClub JANUS というところで、サニーデイ・サービスとSuiseiNoboAzのツーマンの企画。なにやら感染爆発してるし、どうしようかなぁと少し迷みつつ、感染対策はちゃんとしてくれているみたいだし、コソッとひとりでライブだけ観て、コソッと帰るくらいはいいかなぁと。会場はライブハウスといえど、今回は指定席制になっていて、私は入場一桁だったもんで、最前列の端の方だった。後ろでこそっと見ようと思ってたのに、目の前じゃーん、ってなった。サニーデイ・サービスは目の前で観るとまずいバンドなのである。
あまりnoteでは書いたことがない気がするのだけど、私はサニーデイ・サービスがちょっと気持ち悪いくらい大好きである。曽我部さんのギターを観ると世界のことがどうでもよくなってしまう。数年前に、Our Favorite Thingsという野外フェスに行って、サニーデイ・サービスを眼前にしたときは本当に卒倒しそうになった。ビートルズとかマイケル・ジャクソンの映像とかで、女性ファンが卒倒して行く映像を観たことあったけど、自分でそういう体験するとは思わなかった。まぁ、とにかくそれくらい大好きなのである。
その日のセットリストは激しめの曲が多く、演奏が始まればMCのときの柔らかな雰囲気と一変し、取り憑かれたように虚な目で音を鳴らす姿が恐ろしくてかっこよかった。
曽我部さんは前日がお誕生日で50歳になられたので、「自分が50歳になるなんて思わなかった。みんな歳をとるけど、自分らだけは50歳にならないって思ってた。今は80歳にならないと思ってるけど、きっと80歳になるんだろうし、それも悪くないね。」というようなことを言っていた。
サニーデイ・サービスを好きになったのは中学生のころだったので、出会った時にはもう解散したバンドだった。だからその時から私の中で、サニーデイ・サービスは歳をとらない人だったはずなのだけれど、今またこうして、永久に変わらないと思っていた昔の曲たちを目の前で演奏しているというのは奇跡的で大変嬉しい。昔の姿は実際に見たことないけど、今がきっと一番かっこいいね、と思わせてくれるくらいのエネルギーでいつも演奏してくれるから、サニーデイ・サービスが大好き。
SuiseiNoboAzはCDは聴いていたけどライブを見るのは初めて。
実はギタリストの高野さんは、10年くらい前にライブをちょくちょく観に行っていた人なのだ。そのころの私は、楽しさ、とはいちばん遠い日常の中をぷかぷかしていて、残されている小さな自尊心から、中央線沿線にある無力無善寺とか、おんがくのじかんとかに足を運んでいた。私と同じくらい、すぐにでも死にそうな人たちがそこにはいっぱいいて、そういう人たちがかっこいい音楽を鳴らしているのを、とても頼もしく思っていた。当時の記憶はかなり消去してしまっているみたいで、思い起こせることはとても断片的。突いたらぽきっと折れてしまいそうなくらいスカスカだけれど、その時観ていたライブや聴いていた音楽は、とても頑丈に、その頃の私の存在を支えてくれている。
高校を卒業して東京から引っ越して、熱心に追っていたバンドも解散してしまった。高野さんの新しいバンドは知りつつ、新譜かっこいいな〜と思いながらも、なんだかんだ実際に観ないままだった。そして、今回観たら私とおんなじに歳とってるんですよ、嬉しかったな。でも、当時と変わらず激しくギターを弾いていて、とても格好良かった。大きなエネルギーに身を任せるというのを最近やってないのでくらくらした。勝手な話だけど、目の前にいる人たちも同じだけの時間を生き抜いてきたんだなぁと思ったら、なんだか嬉しさが込み上げてきて、少し泣いてしまった。ボーカルの石原さんは「音楽は時と場所を越える特性がある」と言っていて、なんとなくわたしはいま、それを体感していた。
時間が平等なのはあたりまえ。なわけだが、私は友人がほとんどおらず、また継続的に付き合いをもつこともあまりないのだ。そうなるともちろん同窓会も行ったことがないし、成人式も出席しておらず、数年ぶりに友人と会うということをほとんど経験したことがないのである。私の中では、死んでしまった人も、今も生きているだろうかつての人も、同等にその頃のままであって、自分と同じだけ歳をとっているというのは非日常的出来事であり、神秘体験に近い。そして、ライブは時空を超えてゆく乗り物が、目の前で組み上がってゆくのを見るようだ。ひとり、SF世界の住人だ。
自分が好んできたものの色々な批判を最近は目にするし、自己批判の気持ちも増えて悶々と、好きなものを好きと言える時間が少ない。
でもやっぱりその日、目の前で見たものは確実に自分が好きなものであったし、今後もずっと続く風景であって欲しいので、好きと思い続けていようと決心できた。
帰りの阪急電車、まばらな乗客の車内でひそやかな高揚に身を任せ、わたしは淀川にうつる大きな月を見つけて、サニーデイ・サービスの『若者たち』の音量を少し上げた。