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よく整備された竹林とそうでない竹林とギャル美容師

最近お気に入りの喫茶店は、商店街の二階にあって、とても静かで美味しいサイフォンコーヒーが飲めるし、壁にはルドンの複製画が何枚も飾ってある。そして、その窓辺の席からは竹林が見える。竹林といってもリアルなものが見えるわけではなく、商店街の向かい側、二階部分が竹林の写真になっているだけ。そこの看板を見ると向かいの店はむかし、和菓子屋さんだったようだが、今はもう閉店していてシャッターが下ろされ続けており、ただ竹林の写真だけが残されている。
竹林の写真というと、例えば京都の嵐山のような、よく整備された美しい竹林を想像するかもしれない。しかし、喫茶店の窓辺から見える竹林は全く整備されていない、なかなかにワイルドなイデタチである。竹はやや右方向にしなり、その足元には笹が生え、枯れた竹が倒れている。見れば見るほど、なぜこの写真を使っているのかと奇妙に感じてしまう。でも、自然状態の竹林は、きっとこの写真が正しい。陽の光や風によって体は曲がるし、老いて、もしくは病気になって枯れてゆく竹もある。枯れた竹の作った隙間に他の植物が生えることもあるだろう。山の山頂で自然の風景を見た時、これが本来の正しく美しい風景であると感じるのに、クローズアップされた自然状態の竹林に違和感を感じるのはなぜなのだろう。あまりにも整えられたものに慣れすぎてしまったんだろうか。毎日、毎分、毎秒、生き物は死んで、花は枯れ、葉っぱを落とすけれど、それらの「死」は街からあっという間に排除されてしまう。「死」が含まれていないのが、街の正しさなのだ。その街で撮る写真は綺麗にフィルター加工され、死どころか老いすらも許されない。整備された竹林もフィルター加工の自撮りと同じだ。コーヒーを飲み、整備されていない竹林の写真を見ながら、どちらの方がいいという話ではないけれど、整備されていない竹林に違和感を感じない人間ではありたいと思った。

髪を切りに美容室に行った。京都に住んでいた時にお世話になっていた美容師さんが大変にお気に入りだったので、なかなか満足行くところが見つけられないでいたのだが、いろいろな美容院を渡り歩き、最近になって相性の良いところがやっと見つかった。そしてそこの担当美容師がめちゃくちゃに元ギャルだ。彼女は私の少し年下で、綺麗めなお姉さんなのだが、節々からギャル味がでている。当然のように、私にEXILEの話とSixTONESの話とテラスハウスの話をする。私が東京出身だと知ると、どこで芸能人に会えるかを熱心に聞く。仕事やその他私がよく所属する人間関係の範囲ではなかなか話す機会の少ないタイプの人だ。でもそれはそれで、嫌でないし、むしろかなり楽しい。私は女性アイドルが大好きなのだが、女性アイドルのライブ現場では独特のルールやお決まり事がある。そして、彼女の話を聞いているとおおよそ女性アイドルとは遠そうな界隈でも、似たような現象があるらしいのだ。特にEXILEのライブ現場の話は、いつ聞いても別文化なのにその場を容易に想像できてとても面白い。人間が形成する社会というものの本質は、中にいる人間の表層的な性質が変わっても変化しないらしい。儚い。
そして散々彼女の話を聞いた後、「最近なんかみてるやつあります?」と聞かれて、「『地面師たち』ですかね」と答えた時の彼女のキョトン顔、忘れられない。これでも、話題になっている作品をピックアップしたつもりだった。そう思うと、美容師ギャルもきっともっと色々な「本当に好き」があるけど、譲歩してEXILEの話をしてくれているのかもしれない。もっとコアな好きなものを聞けるようになるまで、頑張ってみよう。私はすでに、オタクに優しい美容師ギャルのおかげで、テラスハウスを見始めそうになっている。


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山椒一味
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