詩のホテル
ずっと前から楽しみにしていた日だった。
HOTEL SHE, KYOTO と、詩人 最果タヒさんがコラボレーションした宿泊ルーム「詩のホテル」。あっという間に満室になって、期間が延長されて、もう絶対に泊まりたくて、すぐ予約した。そしたら、いつのまにか世の中がこんなことになって、キャンセルしようかどうしようか迷った。でも、私は京都に住んでいるから旅行じゃないし、ひとりだし、ホテルは営業を再開したようだし、いいかなと思って、やっぱり予約はそのままにした。
宿泊当日、せっかくなので美容院に行った。ショートとボブの中間くらいの長さにしてもらった。金髪にしたいなと思ったけど、それで気持ちが明るくなるのは一瞬だから、一番落ち着く深い深い濃い青に染めた。ほとんど黒に見えるけれど、前に色を抜いた耳のところや表面の所々が、光に当たると深いきれいな青色。美容師さんがスタイリングの仕方について「適当くらいが1番可愛いです」って言って笑ってくれて、少し心が軽くなった。
見た目もきれいになったので、いよいよ「詩のホテル」へ向かう。チェックインの時に招待状が渡されて、そこにも最果さんの綴った言葉が並んでいて、ああ、とうとうその時なんだとドキドキした。
「詩のホテル」と書かれた扉を開けて部屋に入ると、とにかく心が、しん、とした。部屋で食べようと買ってきていたご飯も忘れて、部屋中にある言葉たちをゆっくり目で追った。言葉を取り込むたび、部屋に入るまであんなに高まっていた気持ちが、どんどん落ち着いて、深い深い海の底までたどり着いてしまったように感じた。
最近、なんだか気落ちすることが多かった。やってられんな、って思っちゃうことが。
いろんな種類の死の報道があった。みんな、「こんなこと今までなかった」みたいな顔をしていて、怖いなって思った。「今までずっと仲良しでした」って顔をして、繋がってるのを見せ合っているのも気持ち悪かった。病気で死んでしまう人はもうずっと前からたぶん毎日いたし、いじめで自死を選んでしまう人もずっと前からたくさんいた。死んでしまうことを特別にしたいんかな。死が特別になったら自分が選ばれることは少ないって、規制すれば、コントロールすれば、無くせるものだって、安心できるものね。ひとつの事件が終わればなかったことにできるものね。
働いていた職場で、2年くらい前に建設事故があって、そこの現場には今でも花とブラックコーヒーが供えられていた。定期的にそれは新しいものに取り替えられていた、2年たった今でも。なんか、そういうのを私は大事にしたいんだよな。みんなが自分が死ぬことを、誰かとすぐ会えなくなってしまうことを、確実に意識しだしたけど、なんか、ちがう。
でも、この部屋の、あらゆるところに綴られた最果さんの言葉は、ちゃんと全部の死を、孤独をまっすぐ見据えていて、空間に沈み込んでいくとき、大丈夫だなって思えた。欲しかった言葉たちだった。「生き延びなきゃいけない」じゃなくて、「生きててもいい」だった。安心して、気付いたら泣いていた。
詩のレコードを繰り返し流して、そのあとは静寂の中、布団にくるまりながら詩集を読んだ。外のニュースなんてまったく取り入れず、今ここに存在する言葉だけに満たされる時間に、私はとても安心して、久しぶりにたくさんの空気を吸えた気がした。
詩を読みながら眠りについていた。朝の6時くらいに目が覚めて、シャワーを浴びた。また、レコードをかけて、お湯を沸かして紅茶を淹れた。外の世界に出たくなくて、チェックアウトぎりぎりの時間まで、部屋で詩集を読んでいた。でも、私の部屋だったこの空間も時間切れで、仕方なく外へ出て振り返ると、扉が私の髪の毛と同じ深い青色だと気付いた。私の髪の毛が、扉みたいに、外の世界から私を守ってくれる気がして心強かった。
泊まれてよかった、と思った。
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