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好きなものは

好きなものは玻璃薔薇雨駅指春雷

というのは鈴木しづ子の俳句。
あまりにもストレートに、冬の北風みたいに吹き抜けていく好きなものに対する気持ち。

好きなものは瑪瑙木犀萩羽骨秋雨

がわたし。
つまりは秋のものが好きなんです。

萩の花。
柔らかな枝にまるこい葉と赤紫の花がたわわに枝垂れているのを見ると、毎秋、心が泡立つ。
今年は夏の降雨量が多かったから、萩が花をよくつけたのだそう。職場の萩も見事な花山になっていた。京都の街並み。よく整えられた町家にも陶器の鉢に植えられたの萩があり、そちらは、厳かに軒先を彩っている。

そういえば大島弓子の漫画にも萩の花の話があった。『ローズティーセレモニー』。

テストで「萩の花はいつ咲きますか?」と問われた少女。彼女は自信満々で「はる」と答える。近所の萩の花は春に一斉に咲きそろうのを見ているから。すると先生は「それは狂い咲きと言って、萩の花は秋に咲くと決まっています」という。それ以来、彼女は春咲く萩の花を見ると寂しい気持ちになる。成長した少女はラブレターを出した相手がどうやら自分の思っていた、品行方正な人間ではないと知りショックを受ける。ところが彼は難病を患っていて、行動のすべてが死へつながっていたことを知り、彼が掲げるテスト廃止活動のシュプレヒコールへと走っていってしまうのだ。

大島弓子先生の漫画にはもっと完成度の高いものがごまんとあるが、この話のエリュアールの詩の引用と、それにになぞらって、歩きながらあらゆるものに接吻していく場面が非常に美しく、どきまぎしてしまう。

狂うというのはもとの姿から外れてしまったということ。植物は日長を感じ取ったりして、花をつけたりしている。だから日当たりの問題だとか、街灯なんかで、花が咲く時期がずれたりするわけだけれど、それって狂うってことですか。降雨量が違うから、鼻をつける量が違うのと同じこと。本来の機構で過ごしていると、気が付けば元の姿と変わってしまう、なんてことはよくあるね。
譲れない信念、みたいなものはちゃんと持っておきたいなー、と思っているし、そういうのをナメられたくない!ともすごく思ってる。

けど、こう、食べ合わせが変わる、みたいなことはあるよね。

わたしは好きなものはずっと好きで、今好きなものの大半は小さい頃からずっと好きなんだけど、年齢を重ねて楽しみ方が増えるみたいなのはある。

今も、昔から好きだった柿を、ブルーチーズと一緒に食べたりしてる。そういうの。そういうものを楽しんで生きていきたいね、と思う。秋に咲くこと、にこだわっても仕方がないわけ。元の姿から外れちゃったな〜と思ったりもするけど、不安に思うことはない。
狂うもの、壊れていくものが美しいですし。

漠然とした話になってしまいました。

なんとな心の均衡が崩れてゆく秋に、ワインを一本開けてしまった。
生活の一個一個に名前を書くように、変化も自分のものにしていきたいね。

読まれた 全ての頁の上に
書かれていない 全ての頁の上に
石 血 紙あるいは灰に
わたしは書く
あなたの名を

ポール・エリュアール《自由》

もし気に入ってくださって、気が向いたら、活動の糧になりますのでよろしくお願いします。