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7月5日(金)~9日(火) 亡霊の順番

7月5日(金)

歌集の栞文、ちょっとだけ直す。まだもう少し直せそう。明日もう一度見直す。
店に行って領収書を作ったりした。夜のイベントを見ようかと思ったけど、体力的にちょっとしんどかったので帰った。でも見ればよかったな。

自分の本のエゴサをひたすらしてしまう。「パーティー 終わって」とか「パーティー 中年」とかで。意外と「パーティー」ではなく「パーティ」と書く人が多くて、両方検索しなくてはいけない。
みんな、本の内容とは関係なくいろんなこと言ってるな。担当の人に「いろいろ言われてて大丈夫ですか」と心配されたりしたけど、こういうのは気にしないので大丈夫だ。みんなそれぞれの立場で、それぞれにだけ見えるものを見て、バラバラのことを言ってるのが世界だし、インターネットだ、と思う。

三宅香帆さんのツイートからいくつか。

(↑は途中から有料記事ですが)(ネトフリ入ってないから上の番組も見てないけど)
この、男性はお互いの問題をなぜ深く言語化してケアし合わないかという話、「いますよね、そういう人!」「うわそれ言っちゃいます!?」とかいう問題の共有の会話だけでケアになってると感じてる、というのが男性目線かもしれない。女性目線ではもっと深堀りするべきだと感じるのだろう。
深堀りしすぎないよさもあるのでは、と思ったりもする。なんとなく曖昧なままやり過ごすことが吉になるような。
しかし、例えばなにかで本当に悩んでカウンセラーとかに行ったらもっと言語化すると思うし、言語化が必要な場面は絶対あるので、普段から言語化習慣を持ったほうがいいのだろうな。

男友達に感情面の話をしても、「そういう話わかんない」みたいに、面倒がられることが多いから話すのを諦めてしまう、というのはある気がする。「そういうことを考えるのはコスパが悪い」みたいな対応を取られることもある。こちらは64色くらいの話がしたいのに、7色くらいの解像度で対処されてしまう、みたいなのとか。
本当は向こうは面倒がってるのではなく、どう対処したらいいかわからなくてパニクってるのかもしれない。それで深堀りせずに「酒飲んで嫌なこと忘れよう!」みたいな雑な対処しかできない。

そこで、男も言語化やケアの能力を高めようというのは正しいんだけど、ちょっと違うことも言いたくて『パーおわ』で書いた。
男は他人の感情に興味を持たない人が多く、それは社会的に構築された部分もあるけど先天的なところもあると思ってて、それはそれでラクな部分もあるのでは、という。
今の自分は感情のことをケアしないコミュニケーションには物足りなさを持っているけれど、若い頃、人と接するのが怖かった頃の自分はそのやり方に救われたし、みんながみんな感情に興味を持てるわけじゃないと思ってるので。

一人称についての話。

一人称、迷う。日常会話とかは僕でいいと思っているけど、文章になると迷う。個人的なことを書くときは僕で、もうちょっと大きなことを書くときは私、などもありなんだろうか。店で店員ぽい会話をするとき、自然と私を使えるようになったのは最近の変化。

男性の書くものって、結論とか方策とか求める感じになるのだろうか。もしくは笑えるオチとか。そういうのじゃない中年の感慨を綴ったものって、意外とないのかな。

熊田プウ助さんの『中年肉体百科』、中年で体がガタガタなんだ、というのを読みやすく素直に書いていて面白かった。きわどいゲイ話とかも挟まれるのでそういうの苦手な人は注意したほうがいいかもしれないけど。



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