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なぜフォトグラファーと名乗るのか。


こんにちは、広光といいます。

僕は現在、UNというフォトグラファーとレタッチャーが在籍する会社に所属し、広告写真を専門に撮影しています。また今年から愛知県立芸術大学のデザイン科で非常勤講師として教育にたずさわっています。芸人さんを撮影することがとても多く、最近では、キングオブコント2024の番宣ビジュアルであったり、博多華丸・大吉さんが福岡PayPayドームでおこなった「華大どんたく」のキービジュアルを撮影しています。

博多華丸・大吉 presents 華大どんたく 2024.2.10 @福岡PayPayドーム
キングオブコント2024 @東急プラザ表参道「オモカド」エントランスにて


僕の肩書きとしては「フォトグラファー」と呼ばれることが多いのですが、胡散臭く感じたり、スカしてるように感じて気に入らなく思う人もいるかもしれません。他にも代表的な肩書きは「カメラマン」や「写真家」があったり、さらにムービーを撮る人は「DOP(Director of Photography)」「シネマトグラファー」「撮影技師」などの専門的な肩書きがあります。その中で、「フォトグラファー」とあえて名乗るのには、僕の中で明確な理由があります。

「フォトグラファー」の元となる「Photography(フォトグラフィー)」という言葉は、1839年にイギリスの科学者 ジョン・ハーシェル が初めて公式に使いました。彼はギリシャ語の「φῶς (phos)」= photo = 光と「γραφεῖν (graphein)」 = graph =「書く」を組み合わせて、「光で描く」という意味をもたせました。普段、私たちが慣れ親しんでいる日本語訳の「写真」とはどうやら違いますよね。正確に訳すなら「光画」となりますが、響きが硬いせいでしょうか、あまり見かけることはありません。「光で真実を写しとる」、だから「写真」。簡単に写真も動画も加工できるようになった現代では、少し荷が重たい言葉になりました。


ちなみに、現存する最古の写真(世界初の写真)は、今から約200年前、1826年ごろにジョゼフ・ニエプスが自宅の窓から見える風景を写したモノです。金属板に風景を写し撮ったもので、撮影時間が非常に長く、1枚撮るのに数日かかったそうです。ル・グラの窓からの眺めと言います。諸説ありますが、なぜ数日かかったことがわかったかと言うと、解析すると太陽の動いた軌跡が幾重も重なっていたからだそうです。肉眼では判別できないレベルです。噂ですが、森山大道は自宅に、この「ル・グラの窓からの眺め」の複製を飾っているそうです。森山大道はニエプスの実験室に実際に訪れ、写真集「実験室からの眺め」として発表もしています。

The first successfull permanent photograph created by Nicéphore Niépce in 1826.
Original lossless version Source (through e-mail): :Rebecca A. M

ちなみにニエプスは自身の開発した技術を、フォトグラフィーではなく「ヘリオグラフィー(Heliography)」=「太陽で描く」と呼んでいました。ニエプスとハーシェルに共通しているのは、どのように光を定着(視覚化)させるか、目の前の光景を科学的に定着させるか。世界に残すかということでした。現在、ヘリオグラファーと名乗っている方は見かけたことがありません。技術が進化して、感光時間が短くなったり、ガス灯や電灯など、太陽に変わる照明が開発されて、必ずしも太陽で描く必要がなかったんだろうなと想像します。


歴史や語源に寄り道し簡単にかいつまんで書いてきました。事実と僕の空想がない混ぜになりながら文を紡いてるので、さらに深掘りしようと思えた方は、僕を疑ってみて、実際に調べてみてくださいね。フォトグラファーと名乗ることには、フォトグラフィーという名前が誕生してから、現在に至るまで技術的にも表現的にも派生、枝分かれ、進化して脈々と続いてきた歴史があり、その文脈を現代を生きる僕が、自分なりに踏まえて、仕事をしているという認識があります。


あとそもそもの「Photography=光で描く」という語源のアバウトさも気に入っています。カメラやレンズを使わなくても光で描けば、写真というわけです。カメラを使わずにって、ちょっと魔術的なにおいがしませんか。カメラとレンズを使わなくても、光でイメージを定着させたらフォトグラファーということです。この多義的に解釈ができうる言葉の抽象度や包容力というか、奥深さがあることにとても魅力を感じます。

そして、最後に、僕が得意としている広告写真においては、写真の技術と同等にライティング(=Lighting)技術も必要になります。何もない真っ暗な部屋からスタートさせて、ライトをつかって、新たな空間をつくり被写体を魅力的に浮かび上がらせていく。無限にある選択肢の中から、ベストと思われる光を作り、提案する。これもフォトグラファーの仕事です。つまり、ライティングはフォトグラファーとしての資質や個性も同時に浮かび上がらせます。「自分がベストだと思う光を提案すること」これは、決してスタジオでのライティングに限った話ではありません。屋外でのロケ撮影にも言えます。一例として、イギリス人フォトグラファーであるジェイミー・ホークワース(Jamie Hawkesworth)の写真を紹介します。

© Jamie Hawkesworth/Huxley-Parlour, London
© Jamie Hawkesworth/Huxley-Parlour, London
© Jamie Hawkesworth/Huxley-Parlour, London


© Jamie Hawkesworth/Huxley-Parlour, London


彼の写真は、太陽が沈む直前の夕焼けで撮影されたものが多いです。一般的にマジックアワーと呼ばれる時間帯です。日没まで残り30分。太陽が水平線に隠れ始め、真横に力強く光が差し込み、一番地上が輝く時間帯。一日24時間のうち30分でしか撮れない時間帯に撮影された写真です。偶然撮れたわけではない。綿密な撮影計画と準備がされている背景が想像できます。偶然を引き寄せた写真。どの季節のどの時間帯が好きか、それを写真に落とし込む。そこの技術も僕はライティングだと思っています。そこにフォトグラファーとしての美学を感じます。そして、その自然界の光をスタジオで再現する。それがプロたちの技術であり仕事だと思っています。少しオールドスクールなフォトグラファー像かもしれませんが、真の意味でライティングができるフォトグラファーは数が少ないです。

まとめますと、

  1. Photographyという語源、歴史

  2. Photographyの言葉の多義性

  3. ライティング技術


この三点を踏まえて、僕はフォトグラファーとして名乗っています。少し長くなりましたがいかがでしょうか。史家など専門家の方々が見たら、もしや紛糾する内容かもしれませんが、僕の中での定義になるのでご留意し、温かく見守って頂けたらと思います。今回は「なぜフォトグラファーと名乗るのか。」というテーマで書きましたが、いかがでしたか。自己紹介の一つとして書きました。最後になりますが、「フォトグラファー」以外の他の代表的な肩書きについても、さらっと簡単にふれて終わりたいと思います。

「カメラマン」もしくは「キャメラマン」、映画やテレビの流れを受けた分業化された世界でのカメラを扱うクラシカルなプロ、技師。
「写真家」、展覧会を開き、写真作品を発表しそのプリントを売って生活する人。データだけのやり取りではなく、物質としての写真をメインに取り扱う。もしかすると、デジタルカメラの前、どの仕事もフィルムを扱っていた時は、全員「写真家」だったかもしれません。
「アーティスト」、NFTであったり、立体作品を写真としたり、そもそも「Photography」=「光で描く」という言葉の多義性に注目し、写真の定義を拡張、更新する人。写真をメディアにして社会にメッセージを問う人。


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