三性の理
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早く起きることは出来なかった。
よく寝た。
10時くらいから動き始める。お正月は愛しのお雑煮(鳥取はお汁粉もお雑煮って呼ぶ)、朝と夜の主食となる。
ジムで胸を鍛えた。
ベンチプレスにあまり興味関心が無かったんだけど今年は挑戦してみることにした。
今年はもっともっと格好良い体になるんだ。
最終重量50kgまで伸ばしたい。自分の体と同じ重さを扱えるようになりたい。いざというときに自分を支えられるように。そして50kgの人間を支えられるようになっておきたい。
そっからこもって価値分析の勉強
人間の体って休息以外で同じ姿勢のまま何時間も耐えるようなつくりじゃない。次からは拘束感の無い場所を選ぼうと思った。
ほんでこの価値分析で面白いことが書いてあった。
それは『三性の理(さんしょうのことわり)』
仏教哲学用語らしい。西洋の宗教的概念は二元論、善悪で事象を捉えているものが多い。事象の全ては善か悪に分類している。
三性の理は二元性一元論、善悪のどちらにも相反する双方の要素が含まれていて、そもそも全ての事象は善悪の中間に位置する「無記」であるという考え方。
例え
無記→石
善→木の実の殻を割る
悪→人に投げつける
無記→化学物質
善→薬
悪→毒
無記→変化させる
善→つくる
悪→こわす
みたいな。
無記は価値観念をとっぱらった状態であり、善にも悪にもどっちでもいける。それは悪にあるものも一度無記へ回帰すれば善にもなりうるということでもある。
そもそも無記にあるものを無記として認識することが難しい世界であると思う。初っ端から善として、悪として伝達されている気がする。
全てを無記として捉えることで今まで見えていなかった事象を捉えることが出来ると思った。
2022年2日目によい言葉に出会った。
ps.オートファジー復活させるー。RAIZIN33が胸熱。それぞれの選手入場曲を聞いてはアツくなるを繰り返している。
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