男と女が同じ社会を生きるということについて


これら記事を読んでもらえれば、ここから以下のおれの文は読まなくてよいんだが。

「男女」という軸で語ると喚く人が多いので、ここはあえて「身長」で話を進めていこうと思う。

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Aさん(男性)は、身長が156センチである。平均身長より10センチ以上ビハインドがあるため、「舐められる」と感じることが日常で多い。マチアプで待ち合わせに行くと「うわ」という目で見られる(たまに本当に言われる)し、高いところの棚に届かないので、高身長女子に手伝ってもらう。職場のおばちゃんからは「かわいい」というセクハラを受け、バス待ちの列では割り込みされないように気を張って、ときにはシークレットブーツを履いたりする。シークレットブーツを履くと(それが気づかれなければ)相手の態度が変わることがあり、それに気づいてまたゲンナリとする。友達に軽い話題で、「おれシークレットブーツ履いてるんだよね」って話をしたら、真面目に「やめたほうがいい、ダサい」などと説教をされて、低身長への理解が全く得られないことに失望した。

Bさん(男性)は身長が176センチである。平均身長より高く、生活で身長に関わるストレスはほぼない。身長があり、ガタイも悪くないので、「見た目でマイナスに判断」されることはない、といってよい。満員電車は嫌いだが、基本的に女性よりは目線が上になるので余裕がある。身長が低い人たちは大変そうだなと満員電車に乗るときに思う。
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ポイントはBさんは「背が高い」というだけで、すでに自動的に「優位性」が付与されているということ。背が高いのはあなたのせいでもなんでもない。たまたま、そうだ、というだけ。

でも、AさんとBさんの抱える「生きづらさ」は全く違う。
もちろん、Aさんはトレーダーとしてめっちゃ成功していて年収4桁、Bさんは氷河期世代で何度も就職に失敗した非正規雇用かもしれない。
でも、「身長だけ」にフォーカスを充てた場合、圧倒的な「身体的な優位性の差がある」のは「事実」なのよ。

この「生まれながらにしてある差」というのは、優位側(高身長)が、劣位側(低身長)に対して「なにかを譲る」ということでしか、均衡はとれないの。譲る、というのはつまり、身長が高い側は、身長が低い人に対して、無意識に権利を侵害していないか?を常に気にする、ということ。
身長が高い人が身長が低い人を見るときに、先入観を持っていないか?を常に立ち止まって意識しないといけないし、電車に乗る時には背が低い人がつかまるべきつり革や柱を無意識に占領していないか?を考えないといけない。それが「なすべきこと」。

生活の背景や年収がまったく同じ(学歴が同じで同じ年収で同じ社会的地位(会社の係長クラス)で独身、など)の場合で考えたら
身長が高いほうがすでにアドバンテージを得ているということ。

それが「権力勾配」と呼ばれるもの。

権力には常に「勾配」がある、ということ。
たとえばそれは、アメリカで暮らすアジア人は迫害される確率が高いことや、視覚障碍者は点字ブロックが埋められていると歩行が困難だ、とかと同じ。別に誰のせいでもなく、ただそこにある、というだけで生まれているのが「勾配」。
優位性を持っている、ということを、優位側は常に「それを自覚することを求められる」し、それは当たり前のこと。

ゾウとアリで考えてみるならば、
ゾウからしたら、ただ「歩いただけ」。殺すつもりはなかった。足を前に伸ばしただけ。悪意なんてなかった。
でも、たまたまそこにいたアリは潰されて死んでしまう。


つまり、飛躍を恐れずに言うならば、
「優位性を持っている側は、その優位性を自覚し、己の振る舞いにはもっと、もっと気を付けなければならない」ということ。
そのつもりがなくても腕がぶつかって相手を殴ってしまわないように。
そのつもりがなくても、陰茎を相手の陰部に挿入してしまわないように。
そのつもりがなくても、大きな声で相手を圧倒してしまわないように。

自動的に、無意識に、自分の選択とは違う、そのうえで与えられたものだからこそ、「扱いにはもっと注意が必要」なんです。

性別にフォーカスを充てた話だけでなく、たとえば私だったら、「健常者」という優位性を持っている。たとえば障がいを持つ様々な人たちに対すると私は完全に「優位側」である。
そのことへの自覚を持っている。ヘルプマークにはなるべく気づくようにするし、点字ブロックやエレベーターにも気を払う。

冤罪を恐れる気持ちはわかるよ。
でも私(女性)がたまたま腕を伸ばしても、その腕が人に当たる可能性は、あなた(男性)がたまたま腕を伸ばした時に人に当たる可能性より低いんですよ。
アリはゾウを殺せないの。
だから、「自分が冤罪になる可能性を考えないのか」じゃ、ないんですよ。冤罪を恐れるならなおのこと、「自分の歩く場所の安全性を石橋をたたくように確認して渡る必要がある」ということなんですよ。

性加害、多くの場合は「性行為」の場面で起こるのです。
身体優位性を持っている方の性別(男性のほうが女性より力が強い)は、そのことを強く自覚しましょう。
何を言っているかわかりますか?
「性行為」の場面に行かなければ冤罪は起きようがないんです。


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