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乗り物が時間を支配する

日陰のバス停。時間の流れを遅くする魔のスポット。待つバスは永遠に来ないのかと不安になる。体感長いこと待ったバスに乗り込んだ時の行き先を発する声はいつもより低く感じる。席に着いた時に香る自分は冷気を帯びている。

後ろから2列目、右側の席が好き。すっぽりとバスの中に隠れているような気がするから。(運転席に乗った事のない私は正確にそうなのかはわからない。)

バスは電車よりも時間を自分のものにしにくい。バスは他人の事情に左右されやすい道路を走る。

朝、同じバス停で降りるおじさまの持つスーパーの袋にはビールが2本入っている。しかもロング缶。

昼、同じ時間帯のバスに乗るお姉様は腰まで伸びた髪の毛をブラシをといて、そして器用にひとつに括る。

夜はほぼ貸切状態のバスに乗る。市営バスを贅沢に貸し切り。


バスが通る住宅地は時間帯で登場人物が変化する。

パーキングエリアにパジャマを着たお爺さんがぽつんと立っていた時はしかるべき場所に電話をするか悩んだ。
でも昼間にそのお爺さんがきちんとした洋服を着て歩いているのを見た時は心底安堵した。

朝はランドセルを背負った子どもたちが駆け抜ける。本当に冬でも半ズボンやらショートパンツなんだからびっくりする。

実は路線バスが時間を操っているのかもしれない。
お偉いさんたちが頭を突き合わせ、念入りに精密に作り込まれた時刻表があるのに、偶発的に起こった事情でそれ通りに走れないことがある。いろんな事情の上をバラバラの目的を持った人を乗せてバスは走り続ける。

私は乗っているバスが遅れるのが好き。
「ゆっくりしていきなよ」と言われているような気がする。それに身を任せると「たしかにそんなに急ぐことはなかったかもしれない…」とぼんやり思う。だいたい「バスが遅れてました…」で許される裏付けも取れている。うふふ。

バス停が陰気臭いのは「事情」だけが取り残されているから、なのかもしれない。バス停は動かない。動かないところで立ち止まり続けるのは人生においても面白みなくなる。

バスは揺れるが進む。進むが揺れる。全部拾い上げて進んでいる。

#バス #エッセイと創作の間

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景
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