身軽にくらす ②モノを通してヒトに束縛されていた
7月の後半にモノを捨て、暮らしを整え始めてはや1ヶ月ちょっと。
モノを減らし初めてわかり始めたことのまとめてみたの第一弾
モノを通してヒトに束縛されていた
私がモノと向き合っている時、捨てられない理由は「これお母さんに買ってもらったやつだし、、」や「これは友達にもらったモノだし」と大抵自分では購入していないことが多かった。
大学に入学すると同時に始めた一人暮らしだったから、家具家電スーツなど必要なモノは母親に揃えてもらった。だから使用回数が減っていたものでも「買ってもらったから捨てられない」と躊躇していた。
でも母は手放しても良いか聞いてみると「もうしばらく使ったからいいんじゃない?」とさっぱり答えてくれた。
しかし難関なのは先日亡くなった祖母である。「これは高いから一生モノ」「これさえあれば一生困らない」と「一生」を大安売りしていた。
一人暮らしを始めた当初も「一生使える」鍋と包丁とマットレスを持たせてもらった。しかし鍋はずっとうまく使いこなせず、だんだんとただただスペースをとる奴に変わっていた。
暮らしが変わると考えも変わる。考えが変わると手持ちだって変化していく。
祖母に確認なんてしたら「クソくれ!!!!」と怒鳴られそうだし(本人確認なんて生きても絶対絶対できない)(本当にこうやって怒鳴る。今思えば何語だったんだろう)もう亡くなったから母に手放しても良いか聞いた。
このモノを手放す時に自分自身以外の誰かに確認しなければいけないことがとても厄介。身軽ではない。
「買ってあげた」「高かった」と頂いた側の奴が恩知らずな言葉かもしれないけど、恩着せがましい思いまで乗せたプレゼントなんていらないしあげないようにしよう。
(私のビビりすぎなのかもしれないけど)プレゼントは本来ならばプレゼントをしたい程の愛情であったり感謝の気持ちであったりが重要で、そこが重荷になってしまうのはモノ自体も望んでいないだろう。モノがかわいそうだ。
だからこそ寄せ集めではない本当に好きなものを見極めることの大事さを学んだ。そして一生モノなどない。
最近では蒼井優さんと南海キャンディーズの山ちゃん夫婦は結婚指輪をつけないと公言されていた。
指輪ではなく、体験の共有を。とのことでその記者会見を見たときはまだ断捨離まえではあったが「これこれ!!」と思った。
モノに縛られる儀式ではなく、体験を共有した本当の信頼関係を深めていけるのが理想である。
私もいつか夫婦関係とかだけに限らず、友達や家族など大切な人とはそういう深いところで繋がっていきたい。