丁寧に自己受容の過程を描く、上田麗奈さんの名盤「Nebula」を、ただの考察好きが聴いた話。
季節は夏。
今年もまだ半ばを過ぎたところですが、2021年の名盤は、上田麗奈さん・高橋李依さんのしごはじコンビかな、と思い始めた今日この頃です。
さて今回ですが、まさかの、音泉でラジオを聴いている程度の知識しかない、声優アーティスト「上田麗奈」さんに関する記事です。
今回のアルバム「Nebula」を聴いたのは、twitterのTimeLineにたまたま流れてきた、"ファンの方が書かれた考察記事"を読んだのがきっかけでした。もちろん、曲を聴いていない状態でしたので、読んだところで「なんかヤバそう…」という事しか分からなかったのですが。
で、気になって実際に盤を聴いてみたところ、コンセプトや世界観の奥深さと、それを引き立てる素晴らしい音楽にすっかり魅了され、寝る間を惜しんでこんなものを書いているという感じです…笑
今回は、途中早見沙織さん、高橋李依さんの話に脱線しつつ、閉鎖的で自責的な話、血飛沫と入水心中の話、「気付いて」の話、時間経過を引き伸ばす音楽/後奏の話、等々、アルバムの感想を書いていこうと思います。
また、本記事はタイトルの通り、上田麗奈さんに明るくない人間が書いていますので、先達の皆々様におかれましてはどうぞ、お手柔らかによろしくお願い致します(汗)
1.コンセプティブなアルバムの話
近年、自ら曲を書くようなシンガーソングライターであったり、曲は書けなくとも制作の深い部分まで拘る、制作に積極的に入っていったりする声優アーティストが増えてきたように思います。
今回取り上げる上田麗奈さんも、制作に深く関わっている事がインタビュー等で語られており、26,7歳の自分が体験した挫折を表現する、というまさにこのコンセプトがはっきりした1枚に仕上がっています。
ちなみに、この「挫折」は、上田さんが見ないようにしてきた、拒絶してきたことに起因するものであり、また一方で、上田さんにとって「夏」という季節が、苦手なもの、ひいては拒絶したいものであることから、このアルバムが夏のアルバムである、という話が非常に面白いなと思いました。
また、今回語られる「挫折」のように、自己と向き合い、受容して、未来を描く、といった内省的な曲が、ご時世も相まって、ここ1,2年で一気に増えたように思います。
例えば、個人的には、今年リリースされた高橋李依さんの「透明な付箋」や、昨年リリースされた早見沙織さんの「GARDEN」などがパッと浮かびます。
参考)nhkfmゲスト回書き起こし: https://twilog.org/impgnm7/date-210624
参考)早見沙織さん考察記事:早見沙織の作詞アプローチ・表現力の考察と、GARDENの赤裸々な内面・自己肯定の話。
特に、早見沙織さんが「GARDEN」を引っ提げ、昨年末に行ったライブ「glimmer of hope」では、ライブ前半で孤立感や迷いを経て孤独に至り、続く後半で、立ち上がり、周囲の存在に気付き、アルバムで描いた自己肯定に繋がるという、自己受容の過程が描かれました。
参考)glimmer of hopeセットリスト(是非1度、この曲順でお聴き下さい…!)
このライブでは、アルバム曲以外の既存曲も多く使われており、制作時期や作家さんもバラバラでしたので、それぞれの曲で歌われている出来事に直接的な相関がある訳ではありませんが、「GARDEN」の曲を軸として、見事に曲の連続性、延いては上で書いたような「自己受容の過程」という物語性を感じさせてくれる素晴らしいライブでした。
(早見さんの記事で触れていますが、ガチガチの相関や連続性は持たせずに余白や解釈の幅を与えておき、逆に、聴き手に"聴き手の物語"を投影させるのが、早見さんらしいやり方であるとも言えると思います。)
2.身を削って描く、自己受容の過程
で、本題の「Nebula」の話に戻るのですが、このアルバムでもそういった内省、そしてそこからの自己受容の過程が描かれています。
このアルバムの何よりの特徴は「すべて上田さん自身が実際に経験した挫折」を題材とし、それを「1枚丸々、しかもミニでなくフルのアルバム10曲を費やして、時系列順に落とし込んでいったこと」にあると思います。
挫折というのは、様々なアーティストによって歌われるものではありますが、普通であればそれをアルバムの中の1〜2曲に込めるのがせいぜいで、これに1枚を賭した、というのは異質であるように思いますし、すべて実体験を元にしているというのが、何とも身を削っているなと。
(これに沿って、イメージ写真の多くが黒であったり、沈む・漂う=彷徨うという意味での水が使われていたりする印象です。)
ただ、挫折により墜ちていく過程を、丁寧に、丁寧に描いていったことで、長く暗いトンネルに迷い込んでしまった際、何も言わず、たとえ狂気の最中であっても、はたまた絶望の淵までも、ただひたすらに寄り添い続けてくれるような感覚を与えてくれます。
ですので、気持ちが落ちている時、この盤を丸々1枚聞くという聞き方ができる、1枚でまるごと寄り添ってくれるのが素敵だなと。
さらに、明転していく盤の終盤であっても、上田さんの柔らかく、前のめり過ぎない声質によって、気持ちを無理に引き上げる、立ち直りを強要するようなキツい印象を聴き手に与えないのも、このアルバムが非常に良いと思ったポイントです。
(詳しくは後述しますが、本アルバムは後奏や空白、曲の並びなどを巧みに使い、アルバムの尺以上のゆったりとした時間経過を感じさせてくれるのも、コンセプトと非常にマッチしていると思いました。)
3.閉鎖的で、酷く自責的な内省
そしてもう1点の特徴が、閉鎖的・自責的であるという事です。
そもそもストレスや劣等感の類は、対人関係の中で感じるものですが、先ほど話題に上げた高橋李依さんや早見沙織さんのWorksでは、自分を理解してくれない相手や、比較対象としての自分と違うものを持った人、あるいは自分を支える周囲の存在を描くなど、他者が感じ取れます。
一方、このアルバムには、自分以外の人物の存在がほとんど感じ取れません。
2曲目には世界と距離を置き始め、3曲目で心を閉ざしてしまい、以降は他者の介入を許さず、ひたすらに自分と向き合い、傷つき、諦めながら、時間が過ぎるのを受け入れるようで。
(アルバムのジャケットからも、独りである印象を強く受けます。)
今回は、上田さんが自らの挫折の経験をcreatorに伝え、その上で自由に表現してもらうという形態を取っているため、全てが上田さんの詞という訳では無いですが、ラジオで多少お喋りを聞いた程度で感じる自己肯定感の低さから鑑みるに、その伝えた内容や考え方が自責的であった事が、詞全体から想像させられます。
また、見出しに「酷く」と付けたのは、曲で描かれているその程度が、他の声優アーティストの描くそれとは異なっており、自責の念が強すぎて、彼女が自分で自分自身を傷つけてしまっているような、鮮血の滲むような心の有りように感じられたからです。
次の章以降では、そんなアルバムの曲を1曲1曲、深掘りしながら、パッケージとしての完成度の高さについて話していきたいと思います。
(まだ未視聴の方がいれば、下に貼るダイジェストを聴いていただくか、PC版のspotifyであれば、一応無料で曲順通り聴けますので、是非まずは一度お聴きください。)
4.【#1-6】関係の途絶、時間経過を感じさせる音楽性
#1のうつくしいひと、を最初に聴いた時に思ったのが、この曲が1曲目で合ってる?という事でした。
インタビュー記事などを読むと、「崩れていく前の、外面的なわたし」を以後と対比的に描くために、1曲目に配置されているというのが分かるのですが、序盤にあまり置かれないであろう内面的な詞であり、これが1曲目に置かれている時点で、ただならぬ1枚であることを予感させられました。
#2の白昼夢では、世界が暗転し、「もう聞きたくない」「歪んだ愛すべきこの世界」といった拒絶が歌われており、世界と距離を取り始めたように感じました。また、続く#3はインストなのですが、あっ狂った…(狂ってしまったな…)と思ったのがここでした。
#3 poeme en proseでは、#2では保たれていたpopsらしい輪郭すらなくなり、ピアノやストリングスが訥々と鳴り、終いには断末魔すら聴こえてきます…何かの比喩としての断末魔ではなく、リアルな断末魔です。なかなか断末魔が入ってる曲って無いんじゃないですかね…
また、曲の最後には音がノイズになり、その音がバスっと切られているのが、まるで外界との繋がりをシャットアウトしてしまったように感じました。
(このノイズが、実は自分以外の周囲の人の声の隠喩であった、みたいな事を考えると、中々に怖いな…と思ったりします。まあ深読みだとは思うのですが……はてさて)
続く#4〜6では、シャットアウトした、自分しかいない精神世界の中で、ただ自分が自分と会話し、自分を否定し、自分を傷つけていきます。
#4 scapesheep。華やかな上物の音もなく、短調に刻まれるバスドラムの音が刻まれる中で、上田さんのひたすらに低いのトーンの歌声だけが響き、体面を取り繕えなくなったことを感じさせてくれます。
#5のアリアドネでは逆に、声のトーンが上がったような印象を受けました。特にAメロは、軽快で可愛らしい音色も使われていますし、歌い方にもそういった節があるのですが、段々と3拍子のループに明らかな違和感を覚え始め、このトーンの変化が高揚や好転を表す類のものではなく、狂気に陥ったのだと気付きます。この辺りの歌のニュアンスづけはさすが…という感じでした。
また、所々でしゃくりや絞り出すような声が出てくるのですが、これと可愛らしいトーンの声を行ったり来たりしていると、まるで体から血飛沫を上げながら、笑顔で踊っているようにすら感じられ、何とも痛々しくて…
加えて、アリアドネの最後の歌詞は「痛いよ」なのですが、この後にラララ…を歌い続けるのが、何とも狂気じみていて、イカれた表現だと思いました…さらに言えば、それがループしたままフェードアウトしていくのも、この狂気の出口の無さ、終わりの無い長さを感じさせます。
墜ち続ける前半の最後、#6のデスコロールは、#4と同じく低いトーンに戻るのですが、明らかに歌い方から生気がなくなっており、#5の長さを感じさせる終わり方も相まって、長い時間を経て、この状況に辿り着いてしまったような印象で。
また、1番と2番の間に、意味深な気泡の音があるのですが、「もう何も信じない」「希望もいらない」の詞にある通り、もう何もかもを諦めてしまったような声色も相まって、水に沈んでいく、まるで入水心中のようだなと。
(ラジオにて、「分かってはいるけどマネージャーからの連絡に返事ができない、音信不通ぎみ」みたいな話をされていたのを聴いて、ある日突然いなくなってしまいそうな感じがする方だなと思ったりもしたので、あながち過激すぎる比喩でもないのかなと思ったり)
5.【#7-10】「気付いて」が繋ぎ止め、浮上していく物語
(このアルバムの中で、個人的にはこの曲とanemoneが特にお気に入りです。)
さて、このアルバムは自己受容の過程を描いたものですので、ここから明転に向かうはずです。
ただ先ほど書いた通り、デスコロールで本当に入水したとすると、死を迎えてしまう訳なので、物語はそこで終わってしまうんですよね…
当然そんな事はない訳でして、アルバムを何周かした頃、デスコロールを聴いていて、「気付いて」という歌詞が"不自然"に、挿入されていた事に気付きました。
この記事の中で「自分以外の人物の存在がほとんど感じ取れない」「他者の介入を許さない」というような事を書きましたが、この一瞬に限っては他者を求めたようにも感じられます。
或いは、明確な他者へ投げかける事はできず、単に空に投げられた言葉、という解釈もあるかもしれません。
いずれにしてもこの一言に、微かな「期待」が隠されていると感じましたし、これが詞の主人公に残っていたおかげで、自分自身にピリオドを打たず、細い細い糸ではあるものの、次の物語へ進むべき彼女を繋ぎ止めてくれていたような気がしています。
続く#7のプランクトンは、ラジオっぽいエフェクトがかかったvocalから始まりますが、#6までで沈み切り、ある意味で静かな状態を迎えていたので、#6との連続性があるよう、抜けやすい音を排除し、優しい耳触りで曲に入りつつ、少しだけ明るい、少しだけ浮上したような印象を与えてくれるのが見事だなと思いました。
また、上田さんはこの曲を「漂っているような感覚」と表現されていますが、ピアノやシンセの後残りやすい音作りはもちろん、ゆったりとしたテンポと、きっちりとしたリズムを感じさせず、後ろノリ&シンコペーションで進行していくのも、この揺れ感を表現するのに大きな役割を果たしているなと。
(例えば、この曲がanemoneのようにテンポが速く、タイトできっちりとした4つ打ちのリズムが入っていたとすると、全く別のメッセージ性の曲になってしまうのが想像できるかと思います。)
もう1つ、この曲で素晴らしいのが後奏の長さで、実にvocalがいなくなってから40秒も続いています。
直後の#8で一気に明転することを考えると、この40秒という長さが、まさに漂っている時間の長さを表しているようで、言い換えれば、状況が次に進む(好転)、または聴き手の気持ちが切り替わるのに、ちゃんと時間を取ってくれているような印象を与えてくれます。素晴らしい…
さて、8曲目にしていよいよ明転です。
曲の冒頭に「踏み出さなきゃ何も変わらない」という歌詞がありますが、先述のタイトな4つ打ちのリズムが、#7までの漂っていた状態とは全く違う、地に足をつけて歩き始めたようなニュアンスを感じさせてくれます。
曲の序盤は音色も少なく、漂っていた海から上がり、モノクロな砂浜でも歩いているかのような印象ですが、曲が進むにつれて、音色が増え、歌の表情にも色がつき、段々と景色が色を取り戻してカラフルになっていくような印象を受けました。
また、この曲は途中でビートが変わり、ラスサビに至っては、キーまで上がるんですが、これには正直驚きました。そこまで浮上するの?と。
ただ、実体験に置き換えて考えると、意外とそんなものだったりするような気もしていて。
どんなに長いトンネルであっても、ある日、誰かにかけられた言葉で解決したとか、ある日突然、何に悩んでいたんだろうってなったとか、トンネルを抜けるきっかけは一瞬だったりもして…
そう考えると、#1-6を丁寧に描き、#8で一気に明転するという比重の置き方も、なんとも巧み、妙だなと思いますし、明転の前に置かれていた、ただ流されるような#7の時間がきちんと描かれていたことも、実体験を元にしたからこその丁寧な落とし込みに感じました。
以降、#9のわたしのままでにて、「わたし」と向き合い、自分を受け入れていく自己受容を歌い、#10のwallで自らを鼓舞し、前へ進んでいくというメッセージを歌って、盤として綺麗な終わりを迎えます。
ここまでの物語がheavyすぎて、劇を見てきたかのような錯覚すらあり、もはや大団円と言っても過言ではありません。
個人的に、#8,9,10と、単なる右肩上がりの浮上ではなく、#8から#9で一度トーンを落とすことで、#8と#9の間にも時間的な隔たりが感じられ、時間が経って、ようやく挫折に意味があったと思える、ようやく過去の自分と向き合えた、とも解釈する事もできるかもしれません。
また未視聴の方、是非このパッケージを順番通りに聴いていただき、時間をかけて、ゆったりと、#9、そして#10に至る感動を味わっていただければ幸いです。
6.あとがき(沼)
ちょっと書くだけのつもりが、気付けば6000字ほどに、、
コンテンツに対して沼という表現を使うことがありますが、上田麗奈さんご本人が沼というか、ラジオ等々で話を聞いても聞いても根底が見えず、この人底無しなんじゃないか…と、最近思ったりしています;
実は数年前に1st albumのRefrainを聞いたことがあったのですが、底無し感ゆえか、聴いていて気持ちが不安定になってしまい、放り出してしまった過去があったり…笑
とはいえ、Nebulaに関しては、本当にじっくり聴かせていただいたので、これを引っ提げたライブを見てみたいな…と思っているところではあったりします。(なんかお芝居を見にいきたい、という感覚に近い気がします。)
こんなものを書いておきつつ、私自身ファンなのかと言われるとよく分からないのですが、少なくとも上田麗奈さんに興味はあるようなので、今後も楽曲やらインタビュー記事やらラジオやら過去の楽曲やら、自分のペースで少しずつ触れていきたいなと思っています。
また、上田麗奈さん関連で、これだけは通っておけとか、是非これを読んでくれとか、もちろん本記事の感想も、下記のtwitterまで気軽にコメントいただけますと幸いです。
最後までお読みいただきありがとうございました。
7.謝辞、リンク
・よだん様
https://note.com/spk_road_runner/n/n8ec0faa2cb8b
本記事のきっかけとなる、たまたま流れてきた考察記事の執筆者様。多謝。
・すったん様
https://note.com/oga_suttan/n/n5d53bb8419d4
たまたま考察記事を流してくださった側の方。また、上田麗奈さん沼にいざなってくださった方。多謝。
・ナタリー様インタビュー記事
https://natalie.mu/music/pp/uedareina03/
本記事を書くにあたり、軽く読ませていただいた記事。非常に内容が濃く、質問の切り口もお見事でした。
・早見沙織さん「GARDEN」記事
https://note.com/pgnm7/n/nc4a4e4fdb5e8
本文中でも紹介した記事。この記事をここまで読んだ方には多分楽しんでいただけると思います、ご紹介まで。
・しごはじ
https://www.onsen.ag/program/shigohaji/
ひびのいやし。
・作者ホームページ
https://pgnm7.skr.jp/
歌唱履歴、セットリストなど掲載しています。