LIVE FLIGHT山形公演(2014.7.5)で感じた事と、201x年代の水樹奈々ちゃんの変化についての考察。
何をいまさら、って感じですよね…
(私もそう思います)
さて今回は、今から5年以上前、2014年7月5日に開催された、LIVE FLIGHT山形公演のライブの話と、201x年代の水樹奈々ちゃんの変化についての話について、書いていこうと思います。
もしお時間があれば、特に水樹奈々ちゃんの「生き方や姿勢」が好きという方には、是非お読みいただけたらと思っています。
1.まえがき(今回のいきさつ)
先日、奈々ちゃんファンの友人と飲み会をしていた時に、過去一番心に残ったライブは?という話になりました。
初参戦のライブは言わずもがなですので、それ以外で…と考えたところ、悩みに悩んで自分の口から出てきたのが、2014年に行われた「LIVE FLIGHTの山形公演」でした。
この公演は、個人的に、水樹奈々の本質的な部分に触れられた公演、の1つだったと思っていて、あの時あの場所で強烈に感じたものは、決して忘れられません。
ただ、流石に5年以上も前の話ですので、あの時の感動を、飲み会の場でパッと言葉にする事ができなくて。
それが悔しかったというか、残念と言うのか、心の引っかかりになっていたのですが、先日実家で片付けをしていた時に、偶然にも、ライブの感想を書き留めたノートを発見。
これも何かの巡り合わせだと思い、今だからこその視点も含めながら、今回こうして自分の言葉で残しておこう思い立ちました。
2.初の公演中止〜山形公演に至るまでの話
5年以上も昔の話なんて知らない!という方もいるかと思いますので、少し当時のことを思い返してみようと思います。
200x年代後半に入り、オリコンチャートでの度重なる快挙、初横浜アリーナ、初SSA、初紅白出場、初東京ドーム、そして3年連続の全国10公演overのツアー(JOURNEY〜CIRCUS)成功…と、階段を駆け上がるかのような奈々ちゃん。
人気がとにかく右肩上がりだったのに加えて、声優として次々と前人未到を次々にやってのける姿、そして極めて質の高いパフォーマンスを見せる姿から、声優ファン界隈では、奈々ちゃんを神格化する見方があったほどでした。
かくいう私も、ライブの度に奈々ちゃんのステージに圧倒され、水樹奈々=完璧というような印象を、少なからず抱いていました。
というのも、体調を崩していたLIVE ACADEMYの大阪公演ですら、あのアンコールのNew Sensationの素晴らしいロングトーンでしたし、彼女の見せるパフォーマンス自体がこちらの求める質を下回ることなど、殆ど無かったように思います。
LIVE GRACEのMCにて、指揮者の藤野さんも仰っていましたが、彼女は本当にファンを裏切らなくて。
そんな勢いの中、2014年6月、4年連続となる夏のツアーが開幕。
今年のツアーも無事成功だと、誰もが疑いませんでしたが、開幕から6公演目、6月22日の北九州公演2日目に、水樹奈々として初めての公演中止が発表されました。
私は現地にはおらず、PCの画面越しに「声が出なくなった」という事実だけを突き付けられました。
完璧という印象が強かったからか、心配というより、あの水樹奈々が公演中止?というような、どこか不意を突かれたような、ショックを受けたような感覚だったのをよく覚えています。
数日が経ち、中止の原因が、急性声帯炎および上気道炎による音声障害と発表され、同時に自分が参戦予定だった山口・鳥取公演が中止になりました。
過密日程のツアーは続くものの、不幸中の幸いにも、続く東北2公演はホール公演でしたし、しっかり休んで万全を期して、アリーナ級の大阪くらいまで良くなるといいな、と思っていました。
が、7月に入ってすぐに、早速の仕事復帰&東北2公演は予定通り開催と、何とも予想外の発表。
発表には専門医師による診察、というのが明記されていましたが、声が出なくなってから2週間立たずの復帰というのもありましたし、東北2公演以降大きい会場の公演が千秋楽まで続く厳しいスケジュール。
ちゃんと治ったのか、もっと休んだ方がいいんじゃないかと言う声や、ツアー自体中止した方が、という意見があちらこちらで飛び交っていました。
医者がOKと言ったのだから大丈夫だろう、というのは確かにそうなのですが、何より中止自体が初めての事でしたし、ACADEMY大阪公演しかり、彼女が無理をしてしまう人だとなんとなく分かっていたからか、「完全に」治っているのかというところに、みな少なからずの疑念を抱いていたのだと思います。
私自身も例に漏れず、日に日に本当に大丈夫なのか、復帰とはいうものの、どれだけ回復したのか、無理をしているんじゃないか、等々、想いは募る一方。
奈々ちゃんが毎日書いているブログに、奈々ちゃん自身を映した写真が上がらなかったのも、不安に拍車をかけて。
結果、とにかく自分の目で、そして耳で、確かめたいという思いでいっぱいになり、空き時間の全てを使ってチケットを探しました。
そして、公演の3日前になって、幸運にも地元の方から余ったチケットを譲っていただけることに。今でもこの奇跡的な出会いには本当に感謝しています。
程なくして、2019年7月5日。
山形は初訪問ということで、まずは山寺へ。やや薄曇りでしたが、緑がいっぱいで、吹く風がすごく気持ちよかったです。
そして、会場最寄りの山形駅に到着。
島根鳥取に一緒に行く予定だった友人も、前日夜、奇跡的にチケットを手にしてここで合流。
2人で現地に来られた事を喜びつつも、同時にかなり複雑な心境でもありました。
とにかく無理だけはしないで欲しいし、調子が悪いならこのまま中止にしてくれてもいい、と。
また、無事に幕が開くのか、幕が開いたとしてあのパワフルで盛りだくさんのセットリストを歌いきれるのか、フルライブは厳しいだろうし、アンコール無しでもいいんじゃないか等々、色々な想いが駆け巡り、私含め現地では何とも言えない緊張感が漂っていました。
私自身、色紙にメッセージを書こうと思っても、手が震えてしまうほどで。
そんな中、開場1時間を切った頃から、雲が引いて綺麗な青空が。
昔から「晴れ女」と言われていますが、この日ばかりは奈々ちゃんの力だけでなく、天が公演の無事成功に味方してくれているような気がして、とても頼もしく感じました。
緊張で震えるように過ごしていた私も、医者がOKと言って、彼女がやるといったらやるんだと、今唯一出来ることは、このライブを盛り上げること、とにかく良いものにすることでしかないと、気持ちを入れ替えて。
そして何より、彼女に早く会いたいと思って。
いよいよ開場。
こんな幸運が重なって良いのかという感じですが、席は下手の前から4列目。奈々ちゃんの表情がよく見える位置でした。
3.公演中でのできごと、彼女の想い
様々な想いが交錯する中、ついに開演。
Opening Movieからの長いイントロで高まる緊張感の中、掛け声とともに1曲目のVIRGIN CODEが始まり、袖から奈々ちゃんが飛び出しました。
会場中に轟く、絶叫のような歓声。
これは彼女の歌手人生最後になるライブでも、長い期間、長期休養をしていた訳でも無いのですが、とにかくステージに立つ彼女をまた見られたのが嬉しい、という気持ちで会場がいっぱいになりました。
あの瞬間の熱量は今でも忘れられません。何より、彼女の第一声を聞いて、声が出るようになったことが本当に嬉しくて。
その後、Aメロが始まるまでのわずかな時間も、会場中はクライマックスのような熱量で、各々が奈々ちゃんに応えるように、思いの丈をコールやジャンプに込めていたような気がします。
奈々ちゃんはなんとか涙を堪えながら1番、2番と歌いきり、Cメロへ。
後のMCで説明がありましたが、Cメロの「頬を辿る涙を…」の歌詞が、その瞬間の彼女自身とシンクロし、ラストのサビで奈々ちゃんの涙腺は崩壊。
涙でいっぱいになりながら、なんとか1曲目を歌いきりました。
最初のMC。
奈々ちゃんはいつもの挨拶のあと、会場中から投げかけられる「おかえり」の声に、涙を流しながら「ただいま」と。
彼女の名前や、彼女を想う言葉が飛び交い、開幕の瞬間の熱さとは少し違う、何とも暖かい時間が流れました。
そして、そのやり取りに感極まって「今日は泣かないって決めてたのに…」と、子供のように涙きながらに言う奈々ちゃん。
奈々ちゃんは何度も、噛みしめるようにここ(みんなの待っているステージ)に戻ってこられて何より嬉しいと。そして、声が出せて、歌が歌える、ただそれだけの事がどれだけ「素敵」な事なのか、改めて感じられたと話してくれました。
(以降、このありがたみを、私自身も噛み締めて曲を聴いたのは言うまでもありません。)
その後もライブは進み、アパッショナート後のMCでは、沢城みゆきちゃん&YUMEKOの結婚の話に。
その際、チームヨーダで一番「古い」メンバーであるMIKAの話になり、「MIKAが毎年、今年こそ結婚すると言っているので、いつかはお祝いしたい」と話す奈々ちゃん。
その発言に対し、すかさず客席から「奈々さんはー?」という声が。
当時、この手の話は軽く流されそうなものでしたが、なんとも珍しく話が拾われ、療養中の話に。
(この「風鳴翼」という役、まさに水樹奈々を投影したような役というか、真面目で、真っ直ぐなところとか根を詰めてしまうところとか、すごくよく似ているなと思います。)
正確ではないかもしれませんが、内容としてはこんな感じでした。
201x年代後半の今となっては、相手がいない等々、ライブで恋愛の話をするようになった奈々ちゃんですが、当時、自らの恋愛について話すことはほとんどなかったように思います。
(EXPRESS静岡公演のMCで、アイドルと自認していた節の話をしていたので、偶々という話ではないかと思います。)
そんな恋愛の話含め、彼女の弱い部分というのか、完璧とは対照的な、力の抜けた内面的な部分を見たのは、この山形公演が初めてだったように思います。
また、MCだけでなく、歌の面でも肩肘張らない、すごく力が抜けた感じだったように思います。
いつも以上に、そして誰より奈々ちゃん自身が一番の笑顔で、少し子供みたいというのか、心の底から笑っているように見えて、とにかく、とにかく楽しそうで。
正直な話、この日の歌は、音程に上手くはまらず音を外したり、歌詞が飛んでしまったり、高音やロングトーンが出切らなかったりも多く、お世辞にも良いコンディションとは言えないものでした。
勿論、1曲目から難易度の高い曲ではあるのですが、質の高いパフォーマンスを見せてくれるいつもの奈々ちゃんとは全く違っていて。
例えるなら、アニメとかでよくある「翼を持つヒロインが傷ついて、膝をつきながら何とか立ち上がったシーン」とでもいった感じでしょうか。
(この時点で傷は癒えておらず、その後の香川くらいでようやく空に浮かび上がれるようになり、その次の神奈川で自由に飛び回れるまでになった、というような印象でした。)
ここで言いたいのは、歌がどうだったとかそんな話ではなく、こんな中止を招く状態になって、復帰してまだ数日で、万全とは言い切れないのにも関わらず、また声が出なくなったらどうしようとか、少し休んで万全にとか、そんな話ではないんだなと。
規模の小さいホール公演だから、中止になっても不幸中の幸いだとか、そんなのは戯言でしかなくて、誰より東北でライブをやることに拘ったのは、お金の事を気にした偉い人でも、周りのスタッフでも誰でもなく、彼女自身だったんだと。
完璧さなど捨ててでも、気持ちだけであったとしても、とにかく歌いたい、ステージに立ちたいんだという、強い強い意志を感じましたし、本当にどこまでも貪欲というか、東北2公演も以降の公演もこぼさず、20曲どころかアンコールもダブルアンコールも1曲もこぼさず、その瞬間その瞬間のやれる限りで、大好きな歌を届けるんだと。
この、気持ち以外が削ぎ落ちたことで浮き彫りになった、そこまで好きなのかと言ってしまうくらいの、呆れるくらいに歌が好きという強い気持ち、「歌を歌う事が他のどんな幸せな事以上に幸せなんだ!」という気持ちが、恐らく、今までに触れたどんなものよりも綺麗で、真っ直ぐで美しいと思えて。
そしてそのメッセージが、心の底からの笑顔の表情からも、ステージに臨む姿勢からも、そしてMCの言葉の端々からもド直球で胸に届いて。
呆れるほど、とは言いましたが、実際は奈々ちゃんのそんなところが大好きで、すごく素敵だなと思っています。
という訳で、これが、完璧とは程遠い、復活の聖地と呼ばれるこの公演を、私が1番に選ぶ理由です。
(言葉にすると気恥ずかしいですね…(笑))
(当時のやまぎんホールは2019年11月30日に閉館。同じ会場でライブをやることは2度と無いですが、山形にはまた足を運びたいなと思います。)
余談ですが、実は当日のMCでは、「医者の先生に歌ってもいいけど、120%は出さないでと言われたが、みんなを目の前にするとやっぱり全力が出ちゃうし、というか超えてる気がするけど、みんなからパワーをもらってるから大丈夫!」というような、あんな事があったばかりで何を言ってるんだ…と本当に呆れてしまうような発言もしていました。
(その直後にみんなから怒られるから、無理しないように気をつける、という補足は本人からありましたが(無理しないではなく、気を付けるとは…って感じですが))
FCイベントVIIでトラブルがありましたが、あの時三嶋さんが言っていた「みんなと約束した」というのは、無理な仕事量を与えないというのは勿論、こんなブレーキを持とうとしない少女(敢えて少女と言います)を、何としても止めるという意味を含めての約束だと思っています。
そろそろいい歳だと思いますし?、周りが止めようにも限界はあるので、いい加減本人でブレーキを…と思ったことありましたが、結局はブレーキを使うんじゃなく、ブレーキを使わずに済む体を作ろうと考え、アスリートと呼ばれるまで鍛え上げてしまうのは、もうさすがという言葉以外出てきませんね。
4.その後、201x年代の変化について思うこと
FLIGHT以降の奈々ちゃんは、少しずつ変わっていったように思います。
高く・完璧に、から、好きの追求や自己解放による、素の・自分らしくへ、とでもいうのでしょうか。
(「文庫版 深愛」のあとがきを読むと、「水樹奈々はこうあるべき、と水樹奈々を演じていた」という認識の変化について綴られていますが、遠く高く飛ぶこと、こうありたいという理想の追求、という点では、書いた2014年初頭の時点では、まだ変わり切っていなかったのではないかなと思います。)
2015年。ADVENTUREツアーに入り、少しずつ、ライブ中に素の部分が見えるようになってきたように思います。
また、エゴアイディールの歌詞を書いた頃もこの頃でした。
この詩のメッセージについて、「自分の中で強く理想があればあるほど、そこからのズレで自分を責める事があるが、そうじゃなくて、自分らしくあることで、理想よりももっと素晴らしい未来が見えるかもしれない」と、当時のラジオで語っています。
そして、2017年のZIPANGUツアー、そして2018年のISLANDツアーと、年を重ねるごとにその度合が増していったように感じました。
以前は、もっと心配になる程にストイックというか、まあ今でも人並み以上にストイックではあるのですが、山形公演での言葉を借りるなら、「ピンと張りつめたような印象」が無くなってきた、とはっきり感じたのが、この頃だった気がします。
お友達や後輩とご飯を食べに行くという時間も増えて、無理のない過ごし方をしている感じで。
言うなれば、最初に書いた神格化からの脱却、だったのかもしれません。
(2017年LIVE ZIPANGU)
ZIPANGUでは山形以来?の結婚の話も出ましたが、聞いていて少し吹っ切れたような印象を受けました。
こう、やっぱり私って「何より」歌が好きなんだ、ということを改めて自認しているような感じ、とでも言えばいいでしょうか。
(2018年LIVE ISLAND)
ISLANDでは歌詞のミスが多かったように思いますが、テーマや選曲も相まって、自分らしさ、自己解放の度合いがかなり色濃かったように思います。
(特にエゴアイディールと夏恋模様の配置が完璧でした。)
歌詞のミスを全肯定するつもりはないのですが、上のtweetで書いている通り、解放とミスは少しトレードオフな部分があるような気がしています。
また、山形の一件があったからこそ、歌の時計を止めることがないように、アスリートと言われるまでにトレーニング馬鹿(褒め言葉です)になる姿は、努力のベクトルの向きを変えただけで、努力の大きさ(一生懸命に歌に真摯に向き合う姿勢)が変わっていない事を、何より示しているのではないかなと。
また何より、このISLANDツアーで見せた笑顔が、すごく素敵な笑顔で。
山形公演で見たのと同じくらい、というかあの時以上にドキッとする綺麗な笑顔を見たのは、あの公演以来だったように思います。
完璧なパフォーマンスを見せる彼女はカッコいいですが、何より私は、あの笑顔を見せてくれる、自分らしくて等身大の奈々ちゃんが大好きです。
余談ですが、これを書く半月くらい前、CANNONBALL RUNNING発売記念ニコ生の際、鷲崎さんが仰っていた「いくら超人であったとしても、1人の女の子ということが大事」という発言が、自分の想いをすごく代弁してくれたような気がして嬉しかったです。
5.ファンへの接し方と、仲間でありたいという話
少し話が逸れますが、私が奈々ちゃん呼びを変えない理由もここに通じるところがあるような気がします。
200x年代の昔を振り返ると「奈々ちゃん」という呼び方が一般的だったと思いますが、200x年代の終わりごろになって「奈々様」という呼び方が登場し始めました。その後「奈々さん」でしょうか。
ただ、個人的に、この「奈々様」という呼び方に特に抵抗感があって。
というのも、奈々ちゃん自身が奢らない人である、というのは随所で言い尽くされていますが、ライブ中に奈々ちゃんがファン1人1人と目を合わせようとしたり、最後の最後まで手を振ってくれたり、ファンへの接し方は昔から何も変わらなくて。
深愛の中にも綴られていましたが、ファンを大事にするという姿勢から、テレビの出演には慎重的だったという話があったり、或いは、ファンはライブを一緒に実現する仲間、という発言もあったり。
彼女の生き方や考え方は、少なからず、というか私自身の大切な軸になっていますし、今まで出会った大人の中で、迷いなく最も尊敬する人だと言えます。
ただ、会場が大きくなってファンが増えても、決して変わらずにあろうとする彼女の振る舞いに対して、この呼称の変化が、こちらから距離を取っているように思えて、何だか寂しくて。
彼女よりも年下の私が、ちゃん付けで呼ぶのに違和感があるかもしれませんが、尊敬と敬愛の念を込めての「奈々ちゃん」であり、そして何より、彼女を等身大に捉えて、ライブを一緒に作る仲間であろうとする為に、この呼び方に拘っているのだと思います。
もっと言えば、コールやジャンプなんかも同じなのだと思います。
近年、薄れつつある文化ではありますが、ライブを一緒に作ろうと彼女が求め、煽り続けてくれる限り、続けていきたいと思っています。
6.あとがき、LIVE RUNNER 2020に向けて
さて、もはやライブの話すらしなくなってしまったので(笑)、そろそろ終わりにしようと思います。
曲について1曲(VIRGIN CODE)しか触れていないのに、ライブレポとは何なんでしょうね…
あれから5年経った今となっては、当時の1曲1曲を聴いてどう感じたか、という細かい部分まで覚えていないというのが実際だったりします。
勿論、Don't be long、JET PARK、ONE等々、あの場所で聴いた曲たちは大切に、記憶に残っています。
ただ、今回はどちらかというと、当時あの場所で感じたものを、少しでも残しておければと思って書いておりますので、もし皆さんにも何か伝わったものがあったのであれば幸いです。
FLIGHTの話に続けて、奈々ちゃんの素や自分らしさについても話してきましたが、その集大成が、最新アルバム「CANNONBALL RUNNING」にあると思っています。
(初めてタイトルを聞いた時、水樹奈々の前半戦を一言で現しているかのようなあまりにも的確な言葉選びに、思わず笑ってしまいました…(笑))
実際にリリースされたCDを聞いてみると、内容もまさにその通りというか、19年上旬のナナラボ等を経ての「音楽の幅」の広がり(大きく昔側に振れた曲、後ろノリの曲、或いは各楽器の際立たせ方…等々)を感じて。
そして、様々な場面の曲がありつつも、どの場面においても彼女が歌うのは、一貫して「前向き」というか、もはや「前のめり」でしかなく。
特に、Higher Dimensionのような予想できない曲で始めて新Stage感を出しつつ、あっという間に次の曲へ駆け抜けていく「始まり方」。そして、大きい曲で綺麗でまとめたと思わせて、テンポが早く、最も攻め感の強いFINAL COMMANDERを、最後のメッセージとして配置する「終わり方」は、何とも見事だなと。
あとは、伝えたい事や考え方の軸は変わらないものの、高い、大きな目標を歌うというより、私たちにもある日常の場面で、彼女らしさを歌っているというか、Kinesis的というよりはEnergeia的というか、先導、船頭のような立ち位置というより、まさにエネルギードリンクのように身近な、視点の変化のようなものも感じました。
(水樹奈々のように生きられないという自己嫌悪に苛まれて、曲を全く聞けなくなった時期が懐かしいですね…私以外にも通った方がいるかもしれません。)
この辺りをライブでどうパッケージにしてくるのか、近年のライブは、1つのコンセプトアルバムとしての完成形であるかのような印象があるので、すごく楽しみにしています。
最後に。ここに書いたのは一個人の解釈でしかなく、言わずもがな、唯一解でもなんでもありません。
私以上に奈々ちゃんを見てきた方、私とは違う奈々ちゃんを見てきた方、今までに触れたコンテンツ、そしてその捉え方よって、解釈は無限に変わってくるものだと思っています。
上の解釈はまだまだ浅い、というご意見もあるかと思いますが、これによって私とは違う色々な意見が聞けたり、議論が活性化したりすれば、それでいいのかなと思っています。
こうして振り返ってみて、改めて、この201x年代を奈々ちゃんと過ごすことができて、本当に幸せだったなと改めて思います。
(散らかった話がそれっぽくまとまりひと安心…)
山形公演を共にした友人、文字に起こすモチベーションをくれた友人、そしてこんな話にいつも付き合ってくれる友人、そしてこの長文の読者の皆様に、心からの感謝を。
2020年以降、また「新しい旅を始める」奈々ちゃんを、今後も細々と応援していきたいと思います。
2019.12.29
.kura@impgnm7
7.参考資料
・2019 LIVE EXPRESSふりかえり
https://togetter.com/li/1383606
・2019 NANALABOふりかえり
https://togetter.com/li/1332801
・2018 LIVE ISLANDふりかえり
https://togetter.com/li/1296125
・2017 LIVE ZIPANGUふりかえり
https://togetter.com/li/1296207
・歌唱履歴/分析、ラジオでの曲解釈の書き起こしなど
https://pgnm7.skr.jp/
・(追記)三嶋さんのラジオ出演まとめ
https://togetter.com/li/1617929