解放区(ポルノグラフィティ)が好きすぎる話
もう表題に尽きるといえばそれまでなのだが、あえてもう一度言う。
ポルノグラフィティの新曲、解放区が好きすぎる。
ライブで初めて聴いたとき、比喩でなく膝から崩れ落ちて泣いた。
以下、個人の感想を勝手気ままに綴っていく。
書いていたら熱が入りすぎて最終的に大変な結論に至るわけなのだが、ご笑覧いただけたら幸いである。
解放区について語る前に、触れておきたいのが「テーマソング」と「OLD VILLAGER」である。
恐らくこの3曲は、コロナ禍という社会の大きな流れがあったからこそできたと私は考えている。
テーマソングがリリースされた時期は、まだ「コロナ禍をがんばって乗り切ろう」という空気感だったように思う。誰もがどこかしらで踏ん張っていた。
ポルノとしては珍しい割と素直な応援ソングで、当時慣れない外国の地で振り回されていた私もこの曲に何度も励まされた。
いつかライブ会場でこの曲をみんなで歌おうというメッセージもとても嬉しかったのを覚えている。
そして、OLD VILLAGERが初めて披露されたのは「暁」のツアーで、世間を皮肉り更にそんな自分をも自嘲しているような歌詞は、綺麗事しか言わない社会に疲弊しつつもあった私の心によく刺さった。
OLD VILLAGERのリリースを心待ちにし続けてきた中、解放区のリリースが発表される。
そのときの私は、OLD VILLAGERカップリングなんだという気持ちと、解放区って曲名からもうドキドキする!という気持ちが錯綜していた。
そこからの、解放区。
晴一さんは、この社会の中で、こういう歌詞に辿り着けるんだ。やっぱすごい、やっぱ好きだ。
ライブが終わってぼーっとした頭の中で解放区を反芻しながら、私はそんなことを考えていた。
「明けない夜でいい」ということを、こんな風に歌う曲がかつてあっただろうか。
「明けない夜」とは、マイナスのイメージで使われるフレーズだろう。本来は「明けない夜はない」と続くべき言葉だからだ。
これまでもポルノには、暗い方向に突き抜けた曲がいくつもある。
しかし、解放区はそれらとは明らかに一線を画す。
闇や夜のことを歌っているのに、この曲からは眩しさすら感じるのだ。
解放区は、今この時代のためのファイトソングであると同時に、25周年を飾る最初の曲としてこれほど相応しいものはない。
ここからは各論に入っていきたいと思う。
かっこつけて各論と言ってみたが、ただ初めて聴いたときの衝撃を順番に書き連ねていくだけだ。
煌めくようなギターから始まったと思ったら、真っ先に出てくる言葉が「夜の国の女王」。
この新藤晴一の描くファンタジックな歌詞の世界観が好きなファンも多いのではないだろうか。無論私もその1人である。
この時点で既に好きが確定しているようなものだ。
そして夜の国の女王の演説が続き、「明けない夜を受け入れたら」のところでボルテージが上がり、さあサビが来るぞと身構えてからの、
「不確かな明日に怯えることなく安全な場所で夢をご覧」
優しいメロディでそんなことを歌われたら、もう咽び泣くしかないだろう。狡い。
そして、そこから世界が開けて、昭仁さんの力強い歌声と共に夜の国の情景が描かれる。
真っ暗な闇の中だからこそ映える色とりどりの花火。
「自由の花」を私は勝手に白だと思っていて、花火に照らされ、それこそ自由な色を思い思いに映し出しているところが、間奏と共に浮かんでくる。
2番は、夜にこそ美しくなるものの一つである「恋」にまつわる話が描かれている(と思っている)。
シャンパンのあの繊細でありながら永遠を錯覚させる美しい泡は、深い夜に大切な人と見るのが1番素敵であることに誰も異論を挟まないだろう。
ライトアップサファリは初めて歌詞を聴いたときは驚きで一瞬涙が引っ込んでしまったのだが、ライブと解釈している方がいて、なるほどと思った。
正直この辺りはまだ自分の中で消化できていないところが多いのだが、晴一さんの世界観を全て理解しようとすることがそもそも私などにはおこがましいことだと開き直ってしまうことにする。
「たとえわずかな一歩でも進むこと」
この耳障りの良すぎる言葉を、ある意味歌詞の定番であることから聞き流した私は、次の言葉で完全に裏切られる。
「光の国では言うだろう
それさえできない夜はここにおいで」
この歌詞。そして昭仁さんの、まさに魂を揺さぶる歌声。
この瞬間に出会うためにポルノグラフィティを好きでいるのだと断言できる。
「この国は終わらない 私とお前がここにいる限り 終わりはしない」
ここで私ははっと気付かされる。
「夜の国」とは、「解放区」とは、ポルノグラフィティのことなのではないか、と。
ポルノの曲を聴くと、まるで短編小説を読んでいるような没入感があり、今自分が立っている世界からほんの少しだけ離れられるような気がするのだ。
それが、思春期から続く私のささやかなストレス解消法だった。
ポルノグラフィティが導いてくれるイマジネーションの世界、それこそが解放区なのだとしたら。
失われ続ける時代、それでも希望を持てと言い続ける世界、そこから逃れて私が辿り着いた先。
太陽などという、自分の力ではどうしようもない大いなる希望が来てくれるのをただ待っている必要などない。
私はここで、ポルノグラフィティという灯りをともせばいいのだ。
それだけでもう、ここは暗いだけの世界ではなくなる。ポルノグラフィティと共にある世界に変わる。
思えば、明日まで開催されるツアー名は、「PG wasn't built in a day」。「ローマは一日にして成らず」をもじったものだ。
もうここで答えは出ていたのかもしれない。
ポルノグラフィティとは、国。
そして国には、民がいないと成り立たない。
民とは、私たちファンのことだろう。
「私」と「お前」がいる限り、終わらない国。
私もまた、ポルノグラフィティを築いてきたほんの小さな一欠片になれているのかもしれない。
そうだとしたら、これほど嬉しいことはない。
今年の建国記念日(デビュー日)にはそれはそれは盛大な祭りが開かれることだろう。
ツアー千秋楽で発表されるのか、はたまたファンクラブ限定配信動画などで発表されるのか。
一国民である私は、それを楽しみにまた今日を生きるとしよう。