「頑張って」という凶器
私は「頑張って」という言葉が嫌いだ。言うのも言われるのも。
ところで、私は「頑張って」という言葉で2回泣いたことがある。1回目は、大学4年生でなかなか内定が貰えなかった時。祖母と電話をしていたときの一言。
「就活頑張ってね」
電話を切った後、ワンワン泣いた。
大学4年生の11月頃の話だったと記憶している。私なりに就活を頑張っていたが、内定という結果が伴わない。
この後、就活について考えるのを少しの間やめた。
その後はなんだかんだで、就活成功とは言えないものの卒業後の進路は決まって心配はなくなった。
2回目は昨年の今頃。Twitterでフォロワーからの一言。
「午後からもお仕事ですか?頑張ってください!」
昼休憩も終わりかけだったが、トイレで静かに泣いた。
昨年の2月は私の担当業務のメンバーに欠員があり、業務を回せるギリギリの人数で仕事を回していた。そんな中追い討ちをかけるかのように、チーフがインフルエンザで1週間出勤停止になった。
担当業務をギリギリの人数すら切って業務を回し、残ったメンバーでチーフの仕事も分担して。チーフが復帰したとき、心配にならないように本当に頑張っていたときだった。
この2件に共通して言えるのは、言った側が「私の頑張りを知らない」ということだ。祖母とはしょっちゅう会える距離ではないからそれを知らなくて当然だし、Twitterのフォロワーなんて尚更のことだ。
どちらも何気ない会話の一言で、相手が私を傷つける意図がないのは重々承知している。でも、十分すぎるくらいに頑張っていた私には凶器でしかない言葉だった。
冒頭に戻るが、私は「頑張って」という言葉が嫌いだ。私がそれに類する言葉を使いたいときは、別の言葉に置き換える。
私が知らないだけで、相手が計り知れない努力をしているのだろうと推測できるときは「応援しているね」と言う。
明らかに目に見える形で努力がわかるときは「お疲れ様」と声を掛ける。
最後に、読んでくださった方に私は「頑張って」という言葉を使うなと言う気は更々ない。