生死を分ける「ま(間)」 その刹那(瞬間)(5) 父の場合―奇跡の間(ま)Ⅱ

俎板のような手術台で麻酔もなく破片を摘出

迫撃砲の至近弾は炸裂後一部が父の右耳下頸部から顎を抜けて喉ちんこ(口蓋垂(こうがいすい))を半分破壊し、舌に切り傷を作って口腔から抜けた。
大きな凹字形破片が頸動脈を囲むように止まった。
破片が数ミリでもずれて、動脈を少しでもかすっていたら即死だった。
奇跡のま(間)としか言いようがない。
野戦病院の俎板のような手術台で麻酔もなく凹字形破片を摘出した。
細かい金属破片は取りきれず顎と頸部の骨や筋肉に筋金として留まることになった。
輸血はしなかった。
手術した軍医は奇跡だと云って、その破片を記念に貰いたいと父からもらった。

幾つかの奇跡と云っても良い幸運があった。
斜め下から突き上げるようにして顔面を襲った破片であっつたが、目は損傷なし、歯もきれいに残り、右耳下頸部に大きくえぐった様な傷は残ったが、顔面の損傷は無かった。
輸血もしなくて良かった。
輸血の用意があったかどうか定かではないが、父の登録の血液型はA型となっていたが、晩年に近くなって調べたらAB型であった。
出血がもっと多く、輸血の準備があって、輸血と軍医が判断したら、どうなっただろう。

また余談的になるが、所属の部隊は今までに経験しない様な激戦の後、南京に移動した可能性があるようだ。
私の父は鉄砲を一発も撃たずに負傷し、南京にも移動せずに済んだ。
上海の陸軍病院に入院中、南京で何かが起こっていることを、薄々感じていたらしい。


父が語ってくれた、陸軍病院の窓から見た光景がある。                
何気なく窓から外を眺めていた時のことだった。
何人もの市民らしい(捕虜かも知れないが)中国人が穴を掘っている。
掘り終わったところで、まさかと思う光景が展開した。
バリバリ、っと機関銃の音。
日本兵が穴を埋めた。
父はウワッなんて酷いことをと眼を覆ったという。
何でこんなことをする必要があるのかと。

この上海戦では連隊長以下多くの若い将兵が戦死した。
父も負傷する数日前に、大砲の着弾で、今見ていた何人もの日本の将兵が、一瞬にしていなくなってしまったことを目撃し、戦争の過酷さを手記に記している。
残った殆どの将兵がいきり立ち、興奮が冷めぬ状態で、南京へ入城したのだと思う。
戦争は人間の情や思惑を超えて進んでゆくのだろう。
負傷せずにいたら、いずれ戦死し、私と云う人間はいなかった。


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