モアナ(海)ありがとう
久しぶりに映画館に行ってきた、そして感動した!8年ぶりだ
映画館といえばなんといっても思い出すのは、、、
家族で南カリフォルニアのオレンジカウンティに住んでたころは週に最低でも2回は映画館にいっていた、
独りでパシフィックコーストハイウエーぞいの小さな街に住んでた80年代初め、家にテレビはなく、もちろんビデオも身近にない時代だったので、夕方になるとほぼ毎日のように決まって映画館に通っていたころが懐かしく思い出される、平日は99セントで入れる映画館はそのころ唯一の娯楽で、そこでバターたっぷりのポップコーンとペプシを飲み、ホットドッグを食べ、たまにスニッカーズやM&M を買い大切に少しずつ食べる、それが貧乏ぐらしのわたしにとっての最高の贅沢でもあった、
その当時、どんな小さな海沿いの街にも必ず映画館があり、独りでボロいVW Bus を飛ばしてはしごしながら観ていたなあ、なつかしい、
わたしの南カリフォルニアでの青春時代は、海とFMラジオと映画とともにあった、そんな時代だったのだ、
8年まえ、その時も数年ぶりに映画館に行ったのだけど、
その時観た映画は「モアナと伝説の海」だった、
そしてこないだ8年ぶりに映画館に行ったのは「モアナと伝説の海2」を観るためだった、
8年前は母親の子宮の中でモアナを観ていたという孫娘と、4歳の妹も一緒に映画館に行ったのだけど、ジジはなんと幸せなことだろう、
独りで大きなバケツのポップコーンを食べながらボロい椅子の海沿いの映画館で「Back to the Future 」を観ていた自分がこんな3世代で孫を連れて日本のモールで映画館にいくなんて!!ハタチそこそこだった自分に戻って行って伝えてあげたいくらいだ、
南の島の血が半分流れる母親(長男のおよめさん)が、また見た目も性格も映画の中のモアナにソックリなのだ(笑)
そして、また8年後の今もモアナそっくりの母親の肚には3人目の命が宿っていて、映画館で「モアナ2」を観ている、
なんと素敵な巡り合わせであろう、
こんな家庭的で幸せなジジの自慢話をするために書き始めたわけではなく、久しぶりに映画に感動したという話を今日はしたいのだ、
すごく感動したのは自分が孫娘たちと3世代で映画館に行ける年齢になったということもだけど、それだけじゃなくこの「モアナと伝説の海2」に感動したのだ、
感動した視点がほかの視聴者とはかなり違うとは思うけども、、、
映画のはじまりから、わたしはずっと涙がとまらない(戦いシーン以外はずっと)ほんものの海か、と見間違うほどの生き生きした海の美しさ、激しさ、静けさ、映像が目を見張るほどに素晴らしい、そして何よりもそのストーリーにわたしは感動した、
感動したというよりも 驚いた、
これって、わたしたちの活動をみて、そこからアイデアを得てストーリーを考えたんじゃないかな?
といいたくなるほどに、セリフや挿入歌の歌詞も、いつもわたしが海の上でMoana Keiki の子どもたちにヴァアを漕ぎながら語っていることそのものなのだ、
ここだけの話だけど、
わたしの自分勝手な感想で思い込みだと前置きして記しておくが、
NHK BSで年末に放送される「男たちのモロカイホエ」
BSとはいえ全国放送のテレビでヴァア(アウトリガーカヌー)が映し出されることも前代未聞だけども、そこでわたしが創設したカヌークラブ、オーシャンヴァアとそのオハナたちが漕いでるシーンが映る、大好きなハワイと南伊豆と葉山を舞台に映し出されることも驚きでたいへん有り難いことで、わたしの92歳の母親も公共放送に映る息子の姿を観て「あなたがやってることがやっとわかったわ」と泣きながら喜んでくれ、初めて親に理解された子どもになった気分になり嬉しかった、
ほんとに有り難いことではあるのだけど、、、
そんなことのために、わたしは毎日海に出ているわけではないのだ、
ハワイアンの文化をあまり知らず、太平洋の海の民のスピリットやアイデンティティーにもそれほど興味がないスタッフで制作したと思われる公共放送「The NHK」的な老若男女誰でも理解できるファミリーストリーになってしまっている、
これはこれである意味わたしが大切にしている海洋民族のスピリットの、ある一面「Ohana Ka Wa'a 」を日本人の誰もが理解できるような内容で伝えようとしてはいるけども、
それよりももっと深く大切な目に見えない私たち海の民の土俗的で神秘的な精神性を伝えてくれる「モアナ2」は凄い、
映像と挿入歌の英語でも日本語の歌詞にしても、そしてモアナが発するひとこと一言に感動する、
今こそ大切なことを世界の日本の子供達に伝えようとしてくれている、
(そこまで脚本家が考えているのかはわからないけど、、、)
パドルを片手に困難に真正面から立ち向かい、情熱的にそして静かにモアナは大切なことを未来の子どもたちに向けて、そして私に語りかけてくれている、
なんとありがたいことか、
このタイミングでこの映画を観れたことは運命だと思うほどに感謝感激で、モアナに勇気を与えられた、この数日間の複雑な心境と、淋しさと虚しさが漕ぐたびに指が海にふれるたびにスーとカラダから海に融和して行くような感覚だったのだ、
8年前の「モアナと伝説の海」という題名を聞いたときも、
驚くほどに感動した、
なぜかと言うと、モアナというのは大海(外洋)という意味のハワイ語(ポリネシア語)で、わたしの一人乗りのヴァア(カヌー)の名前だったこともあり、わたしにとって一番みじかに感じるハワイ語だった、わたしが設立したカヌークラブの名前がオーシャン(大海)でその子どものクラスをMoana Keiki モアナケイキ(うみのこびと)と呼び始めたのもちょうどこの頃だったと思う、
オーシャンヴァアもMoana Keik も、映画「モアナ」のようなかつて日本にもあった海の民の生き方や価値観、陸でも海の上でも人々が助け合い、協力しあい、分かち合い、そして皆が一つになってカヌーを漕いで海を漕いでわたる、そんな平和で調和のとれた地球を今の世の中に取り戻そう、という思いで活動しているのだ、
子どもたちは希望の光そのものなのだ、
そして日本語の題名の「伝説の海」というのにも運命を感じたことを憶えている、なぜなら今のオーシャンヴァアというカヌークラブの前身でもあり、このPaddle for Mother Earth という活動の前の名称は実は「オーシャン・レジェンド、古代海洋民族の伝説」という名前でわたしは活動していたのだ、
オーシャンレジェンド、それはまさに「伝説の海」なのだ、
今はそのことを知っている人もあまりいないと思うけど、16年前の2008年から数年間その名前で活動していた、
四方を海にかこまれた島国、日本国の人たちの
「心のなかに眠っている古い記憶を呼び覚ます」
「古代海洋民族の魂を呼びもどそう」というビジョンで活動をスタートしたのだ、
何の実績もお金も地位もない南カリフォルニア帰りのすでに40代のオヤジが「オーシャンレジェンド・海洋民族の伝説」といいだしたのだ、
「俺達の祖先は偉大な海洋民族で、その歴史は海洋民族の代表のような存在でもあるポリネシア人よりもずっと古い歴史があるんだ!」と語っても、え?何? まったくさまにもならず、誰も振り向かなかった、ましてや ”古代海洋民族”という言葉もその当時はまったく意味不明だったのだろう、あげくのはては自分で自分のことをレジェンドと呼んでるオヤジと言われるほど違うとられ方をしたり、「海を漕いで海を癒やすなんて、なんと傲慢な人間」と後ろ指をさされることもあったりした、
だから、8年前に「モアナと伝説の海」という映画がでてきて、日本でも世界でも大ヒットしたということを知って、主人公モアナが発するセリフだけでなく、歌の歌詞の内容を聞いて、それまでなんとなくいつも迷いながら海に道を探しているようだった活動と自分の発するメッセージにパッと光明がさした感じがして嬉しかった、子どもたちがビデオを観る姿をみて嬉しくなり、モアナの歌を聴くたびに勝手に感動し目頭が熱くなった、
そして、それから8年がたち、お母さんの肚で「モアナ」のスピリットを感じ、生まれてからなんどもDVDで繰り返し「モアナ」を観てきた孫娘も7歳になり、晴れて生まれて初めて映画館にわたしといったのだ、
それだけでも特別な記念日のようで感慨深いことだよね、
前回16歳だったモツヌイ島の”村おさ”の娘「モアナ」から6年の歳月が経ったという設定らしいのだけど、モアナが16歳のときはリーフ(環礁)を超えて外洋の海に漕ぎ出ることは決してやってはいけないというのが、このモアナが住むモツヌイという島の昔からのオキテであり日常だった(同調圧力だね)のだけれども、モアナの海洋民族としての魂の目覚めとともに環礁から漕ぎいでて外の海、外洋を航海してマウイに出会い、その冒険のようなボヤージングから帰還してからというものモツヌイ島の島民の意識とその島の環境は大きく変わった、眠っていた古代海洋民族のスピリットが目覚めたのだ、島民みんなが覚醒したのだ、
「モアナ2」では無数のアウトリガーカヌーや帆がついたダブルハルのカヌーが島の砂浜や入江に停泊しているのだ、わたしがよく夢に見る南伊豆は弓ヶ浜とその奥の青野川になるまえの入江の景色そのもの、
余談だけど、マウイはハワイアン・スーパーマンとも呼ばれていて、ハワイの神話の中で、島々は彼の釣り針で引き上げられ、太陽を捕まえてたヒーロー、いたずら好きで、気高くて、魔法を使う、と歌にも歌われるほど人気がある半神半人の存在なのだ、日本の古事記にでてくる神みたいだ、
今回の "再び世界をひとつにするための航海 "「モアナと伝説の海 2」では、次元を超えてやってきた海洋民族の先人であり、モアナの祖先でもあるタウタイ・ヴァサの精霊がモアナをさらに覚醒に導く、前回はボヤージングしている古代の記憶の中で「アウエ、アウエ」と「わたしたちは何者で、どこからやって来て、どこへむかっているのか、知っている」と、意味深に力強く歌いながらでてくるだけで名前もでてこない彼だけども今回は大切な役目をもって精霊として何度もモアナの守護神のようにして登場するのだ、
偉大な祖先の航海士タウタイ・ヴァサと同じ1000年ぶりに復活した "タウタイ" の称号をうけたモアナは、祖先も同じように目指した桃源郷モツフェトウという島を探す航海にオハナ(家族のような仲間)とともに大海原に漕ぎいでるのだ、
祖先の精霊タウタイ・ヴァサは、モアナの前回亡くなったこれまた素敵な ”スピ” の祖母タラのアウマクア(守護霊)とともにモアナを護り助け、そしてモアナに大切なクレアナ(使命)を伝え続け困難に打ち勝つマナを授ける存在となる、
なんだか、まさにわたしの魂の記憶に眠る世界そのものなのだ、
モアナはディズニー映画なので、このシーンはアメリカだけでなくキリスト教国の西洋諸国ではすごく不思議な感覚のはずだ、アメリカはキリスト教国(プロテスタント)で、輪廻転生とか先祖崇拝、という概念はないはずなのに、わたしたち日本人には凄くしっくりとくる感覚、ご先祖様のお告げ、お彼岸やお盆や精霊流しを風習として長い間生きてきた私たちには凄く身近な出来事で、これはまさに日本的、いやハワイなどの太平洋の民のアニミズム、死生観でもあるのだろう、
わたしたちはつねに死の世界などの魂や霊の住む世界と次元を違えるだけで並行して永遠に生き続けているのだ、肉体は単なる入れ物で魂は永遠に死なないのだ、
わたしはいつも海を漕いでいると、宇宙や祖先や次元の違う別の世界とつながっているのを感じることがよくある、
だから私たちのヴァアの名前で「Ke ala kai o kou mau kupuna」『”先人たちが辿った道をたどる” そうすれば今のわたしたちが進むべき道がみえてくる』という名前のヴァアがオーシャンにはあるのだ、海を渡っていると、道がない海の上にも必ず宇宙や祖先から導かれて進むべき道がみえてくるのだ、映画の中でもなんども、ウエイファウンダー、と「海に道をみいだす人」という言葉がでてくる、
また、「モアナ2」に出てくる、その昔、太平洋のいろんな島からいろんな海民たちが航海して集まってた島として出てくる海に沈んだモツフェトウはそれこそわたしたちオーシャンオハナが魂で目指すハワイキヌイ(桃源郷)のことでタヒチのライアテア島にあるタプタプアテアのことなのだろう、
このストーリーはポリネシアに伝わる海洋民族のタコの神様の伝説そのもので、私たちは2016年にタヒチのハワイキヌイヴァアというレースに言ったときに地元のパドラーに聞いた話で、タコの足のように八本の足(海路)で世界の海民とつながっていたという話しそのもので、その1つの海路は島国日本ともつながっていたのだ、
そして、そのすべての海民の故郷(桃源郷)は日いずる国、日の本という名前ができるまえのこの列島に住んでた縄文人のことだと思うのだ、
なぜなら私達の遠い遠い祖先は
「和をとおとしとする世界最古の海洋民族」なのだから、
海の果ても 越えてゆこう
すべての海をつなぐ ”導くもの” モアナ
空と海が出会うところをめざして漕ごう、
祖先がわたしをよんでる 、
水平線がわたしをよんでる、
海にえらばれた、
海がわたしをよんでるの、
どこにいても、わたしたちは海でつながっている、
島と島を漕いでつなげることで、この地球上に平和な世界が蘇る
そういうモアナが映画の中で歌い、語る言葉はそのままわたしたちオーシャンオハナが、とくにMoana keiki (うみのこびと)の子どもたちがいつも海でるたびに意識し、海に祈り、太陽に感謝のうたを歌いながらわたしが語りかけていることと同じ、
でも世界の子どもたちや若者たちはこの映画をみて何を感じているだろうか、
わたしと同じように感動しそのまま言葉とおりのことを真剣に受け止めて海に生きようとする人はほとんどいないだろうけども、
無意識のうちに子どもたちの潜在意識に、海と意志を通じ合わせることができる、海にも生命があり生きていると感じて、これから海に大切に寄り添う感覚が芽生えることをわたしは期待する、
これからもっともっと大変になる子どもたち、
たくさんの魅力的な誘惑や手軽な楽しいことが無秩序に散乱している陸(おか)の世界を生き抜く子どもたち、
電気がなくなったらすべてが消えてなくなるような手軽で一見便利なスマホやナビに頼り、YouTubeやゲームに熱中し、AIやアバターの架空の世界に憧れるのではなく、今も実在する海を渡る海洋民族に憧れて、風や雲や太陽、海や島や大自然に憧れ、生身のカラダと心で地球の息吹を感じたいと欲する子どもや若者たちが少しでも増えて、その子たちの眠っている野生の感性が目を覚ますことを切に期待してやまないのだ、
ここ葉山では、もうすでに映画「モアナと伝説の海2」を観た子どもたちに大きな変化が現れている、
8年前は生まれてなかったり幼すぎて映画館で「モアナ」に出会ってない子どもたちばかり、親の影響でDVDで何度も観て育った子たちばかりだけども、この年末の寒空の中、それも西風で荒れた海にでも果敢に漕ぎい出よう!という頼もしい子どもたち、
今この子らの心の中には困難なときでも諦めず荒波に立ち向かっていく「モアナ」がいて、海洋民族の魂が目覚めつつあるのだ、
いつの日にか、この子どもたちが社会という大海原の上に自分の道をみいだし、この蒼いカヌー🌏️をより良い方向へと導くことができる若者に育ってくれることだろう、
情報を求めず 感じよう
先の計画をたてず 今を全力にいきよう
決められた道をいかず 道をみいだそう
神話や迷信や伝説を生きる
モアナ! 子どもたちを目覚めさせてくれて、ありがとう!