海にごめんなさい

こうしている間も、僕たちが寝ている間も、
福島第一原発からは、核の放射性物質を含んだ汚染水が、私達が愛する母なる海に大量に流され続けている。

自然界に存在しない化学物質で、母なる海を汚染し苦しめ続けているのだ。


わが国日本が、太平洋を、世界の海を、、、汚染し続けている。
なんということだろう、、、


喪に服す、、、、いかにもそんな心境がずっと続いている、、、


哀しすぎるとは思わないか?

世界で唯一の被爆国である我が国、核の恐ろしさ、放射能物質が生物や人々に与える悲惨さ、苦しみ、をどこの国よりも知っているはずなのに、、、

水俣病の話も知ってる私達なのに、

目に見えない、放射能の恐ろしさ、海の生態系を崩し、人間の染色体にまで影響を与えると警鐘をならす科学者がいるのに、

海に囲まれた島国、我が国日本は古来から海の恩恵を受けてきた。海によって生かされてきた、海とともに生きてきた。と言っても過言ではない国だったはずなのだ。神話の世界から、海は人と人をつなぎ、人とともに存在してきた。

日本の八百万の神々はすべて海からやってきた。

海は、古来からの日本人にとって、極楽浄土の場所でもあった。

海や、水を神聖なものとして崇め奉る民族だったはずなのに、
世界最古の海洋民族の末裔のはずなのに、、、、

毎日海に触れ海を漕いでいる僕にとっては、汚染水が流され始めた昨日24日の早朝と日暮れ時間の海は水の感触が確かに違ってるように感じた。

自分の意識がそういう感覚を作り出しているのかもしれないけど、排出前とあとの海は確実に波動というかエネルギーが違ったのだ。

いつもは大きくすべてを受け入れるあたたかく優しいなんとも言えない大きな大きな愛を感じるのだけど、

汚染水排出後の夕焼けに照らされた海の感触はあまりにも緊張した、切ないほどに何かを拒絶するような哀しさを感じたのだ。

ごめんなさい、

ありがとう、

だいすき、

何度も何度も繰り返しながら、海に語りかけるように、哀しげに赤く染まる海に大きな声をかけて元気ずけるように漕いでみたけど、いつものような母なる海のあたたかい微笑みかけてくるような愛を感じることができなかったのだ。


そして今日、土曜日の海は、空は、いつもにないほどに哀しいほどに碧く輝いてみえた。

雲も真夏の白雲で伊豆大島も伊豆半島もクッキリと見えた。母なる海は、ただただ沈黙しているだけだった。 まったりと沈黙し続けていた。

母なる海は何も語らず、ただ、そこにあった。

おそらくクラブのオハナと一緒だったからなのか、土曜日で混雑した海だったからなのか、僕自身の気持ちも慌ただしすぎて、独りで母なる海に静かに耳を澄まし、意識で語りかけようとしていなかったのかもしれないけども、ただ、海をとりまく大自然たちは、僕の都合に合わせるように恵みの雨、雷、青空、とすべての気象条件を複雑な心境で表現しているようだった。

皆は海は生きてると思うかな?

海は生命があると思う?

意思や感情があると思う?


そんなことさえ考えたことがある人が何人いるのだろう?


夕方、体験ヴァアの時フラのハラウの女性たちが来て、皆で海に向かってハワイアンのオリを唱えた時には、確実に海がキラキラと喜んでいた。特に小さな子供の笑顔や笑い声に反応するようなのだ。

生き生きと碧が深くなり、空も雲も一緒に反応して、虹も見せてくれた。

現代人はどうしてここまで無責任になれるのだろう?

海に寄り添うことができないのだろう?

汚染水を海に流すような物質至上主義、利権まみれの人間のことをいってるわけではない。

彼らは今までの諸悪の膿を海に流し、すべてが明るみに出てやがて滅びてしまうだろう。 時間の問題だろう、もうそんな日がそこまで来ている。

それよりも僕が危惧しているのは、

一般の人、普通の人、

知識ばかりで、いつまでたっても精神的に目覚めることができない人達、

言葉やSNSではイイネするし、映像には感動するけど、わかっているけども、地球とつながることができない人達、


僕の大好きなJane Goodallの言葉
「未来をもっとも脅かすものは無関心」


海の近くに住みながらも、あいも変わらず海を自分の都合がいいように利用するだけで、今回のような前代未聞の地球規模の大変な事態が日本の海から起きても、何も生活のペースも変えず、いつもと同じように、まったく海に対して無関心をよそおう大多数の人達のことが残念でたまらないのだ。

海のことは人ごとなのだろうか、

海は単なる酒のつまみ、

波は単なるBGMではないのだ、


人間の快楽のためだけに存在しているわけではなく、

自分自身のワクワク、ドキドキだけで 世界が変わると勘違いしているにわかスピリチャル


どうしてここまでも海を気にかけることができないのだろう?

いつも、惜しみなくたくさんの幸福と恵みを与えてもらっているのに、、、


人はどうして、海に祈る、海に語りかける、という行為をしなくなってしまったのだろう、哀しくなる、 

神などいない、昔の人の願いのエネルギーの集合体が形となっただけの神社やお寺では、簡単に手を合わせるのに、、、、

人はたしかにすべての営みは陸の上にあり、趣味も娯楽も陸にある。

夏の風物詩、祭りやお囃子や宴(うたげ)に興じ、酒を飲み交わす場所も陸地、

すべてが陸で行われる。 海はただの景色だけなのかもしれないね、

車で移動し、電車に乗り、歩く場所も陸地、

楽な方に、楽しい方に、ばかり興味がいく人々、


文化も風俗も、それこそ文明も、陸の社会の上になりたつ。  

海を身近に感じる生き方や、生活スタイル今はなくなってしまっているので、いつのまにか海が人の生活から遠ざかり、自分の身の上にはまったく関わらなくなってしまっているのだ。

でも、古来日本では、はすべて海を中心にして行われていた。

でも、母なる海は確実に僕らと密接に繋がっている。

人間一人一人が海の波の1つ1つのようなものなのだ。

海と人間の鼓動、血液さえも繋がってる。


海が病気になれば、必ず地球のバランスが崩れてしまい、人間どころか、生きとし生けるものすべてが病んでくるのだ。

今のあなたの大切な陸の上での生活にも必ず影響を与えるだろう。
ちかい将来、、必ず、


だから、今は海に祈ってほしい。

海は生きている。

意識がある、

古代の私たちの祖先はそう理解していた。


あなたが楽しければ、豊かであれば、それでいいのだろうか、

五穀豊穣や大漁祈願、、、
もっともっと、たくさんたくさん、自然を資源とよび、海を銭とよび、
必要以上に欲しがり、
人間の都合のため、自分の欲望のために偶像に祈り続けた
その人間の物質主義の欲望の末路が原発であり、

そして今回の汚染水の海洋放出なのだ、

人間を自然から切り離して、海を、地球を「自然貯蔵庫」として扱って今までの私たち。でも今は目覚める時がやってきたのだ。

気付きの時がやってきた。

森羅万象の「声」を聞き取ることが肝要な時がやってきているのだ。


「私は人間だけでなく、すべての生命と一体になりたい、
すべての生命は、それがどんな形態であろうとも、本質的には一体なのだから」マハトマ ガンジー

人間以外の声に耳を澄まし、その声を子供たちに伝えたい、


海は今、苦しんでる。


皆が叫び酒を交わし楽しんでいる最中も、汚染水は海に流され
海も海の生き物たちも苦しんでいる。


明るく照らす、陸の電気の傍らで、海は暗闇の中で静かに佇んでいる。

 
どうして、ただ、静かに海に寄り添うことさえできないの?


海に祈ってほしい、

何よりも、海に祈りを捧げてほしいと切に願うのだ。


波打ち際を歩きながら、ゴミ拾いながら、でもいい、

海を漕ぎながらでもいいだろう、

母なる海を励ましてほしいのだ。

僕たちが愛情で語りかけ、祈りを捧げれば、病んだ海はさらに元気を取り戻し、放射性物質を浄化し、海の生き物たちを癒やす力を増すことができる。
母なる地球さえも癒やしてくれる。

もう一度いいたい、

今、母なる地球は、海は、危機的な状況なのだ、

でも、まだ変えられる。私たちの力で海を浄化し、母なる地球を癒やすことは可能なのだ。

「ひとりひとりが重要であり、それぞれに役割があり、誰しもに現実を帰る力がある」 Jane Gudall

ごめんなさい、

ありがとう、

だいすき、

自分から発せられた言葉は

母なる地球にどんな影響をあたえるだろう

母なる地球の海、水にどんな言葉が転写され影響をあたえるのだろうか

そんなことを意識して言葉を選んで

母なる地球にとって、 

海にとって、

希望の光りの子たちにとって、

よい言葉を選んで発しながら、

海に祈りを捧げよう。

意識で語りかけるだけでもいい。

汚染水で苦しむ海と海洋生物たちを浄化し、母なる地球を癒やすことができる愛の波動、マナ、エネルギー、を送りつづけることができるのは、天地創造の神のほかに、おそらく私達人間だけなんだから。


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