風待ち潮待ちの2日間
3月28日の投稿に書き加えた文章です
今日のヒューマンビーチ長瀬からの舟出は延期しました
行く先々でスケジュールを見ながら
待ってるサポーターの皆さま、ごめんなさい🙇♀️
今日は午後から雨になるということ、
また明日は風が強くて航海不可能と判断しました
昔と同じように動力は人間の力と自然から得られる力だけの航海
風待ち
潮待ち
漕ぎ手待ち
の母なる地球にかぎりなくやさしい手漕ぎによる航海です
今回のボヤージングでもっとも大切で神聖なエリアとわたしが位置づけている被爆地広島、そして世界の海のPIKO(おへそ)中心と言っても過言でない海、わたしたちが今現在いる瀬戸内海
この場所にもう少し滞在してやるべきこと、わたしたちの役目、役割を働くことはこのまま航海して前進するよりも何よりも大切でわたし自身のクレアナ(使命)なんだと強く感じてます
急ぐよりも、時間をかけてやることでマナと想いは増大するもの
今日は一緒に旅を続けている葉山からやって来たケイキ(子供達)を連れて原爆資料館や原爆ドーム、平和公園に行きます、もちろんアンクルも、
今わたしと共に祈りの航海を続けている"希望の光"とわたしがよんでいるこの子らに、戦争の悲惨さを見て平和の大切さを切実に感じてもらい、そして心から世界の平和のために祈る🙏人になってほしい、調和と愛の大切さをなによりも求める大人になってほしいと思うから
未来のこの母なる地球のために、まだ見ぬ子どもたちのために
そして明日は一日かけて今pilialohaを置かせてもらっている砂浜、江田島のPIKO(おヘソ)のような神聖なヒューマンビーチ長瀬をビーチクリーンしたいと思う
そしてたくさんの慰霊碑に手を合わせる時間を持ちたいと思います🙏
実は、あまりにも個人的過ぎてあまり口にしなかったんだけど、、、
SNSには投稿しなかったけども、、
ここ江田島は岡山生まれのわたしの父親が青春時代を過ごした場所
ぽんぽん船で島に渡ってたのだろうか?
あの港で舟をまったのだろうか?
この場所は歩いたのだろう、
この海をカッターで漕ぎ、泳いだのだろうかと、、、
キラキラと輝く海に島々が浮き立つような美しすぎるこの瀬戸内海の景色をどんな思いでみていたのだろうか?
彼の目を通して見てみたいと何度も思った
海や浦を見るたびに父親の若かりし頃の面影を想像する
彼が僕に話しかけてくるように
海が大好きだった父親が生きてれば、きっと今わたしがやっていることを応援してくれてるだろうと思う、必ず喜んでくれていると思う
親父の存在がこの瀬戸内海という海を漕ぐうえでの一つの原動力になっているのは確かだ、もしかして父親の意思に今の自分は動かされてるのだろうか、とおもうほどだ、
わたしの父親はここにある海軍兵学校在籍していた、あと数ヶ月終戦が伸びてれば、確実に戦地に行っていた、父の兄さんは南の島で亡くなっている
わたしはこの地におりたってからというもの、
お酒を呑むときまって
「貴様と俺とは、、、、」と
同期の桜、という海軍の歌を涙目で歌っていたことばかり思い出す、
さて、話をもどそう、
漂着ゴミで足の踏み場もないあの砂浜の状態をこのまま見て見ないふりをしてわたしたちは舟出はできない
子供達が裸足で歩ける浜にしてから舟出したいと思う、
献水の儀式でアイナ(大地)とモアナ(海)を浄化してから海に出たいです🙏
そして明日の南西風がかわせる場所でもあるので、地元の子供達と一緒に漕ぐ体験ヴァアも同時に開催します🤙
夜はマラマホヌア交流会(ホクレアの映画moananuiakea上映会)を『だんだん』でやりたいと思います
体験ヴァア、マラマホヌア交流会の時間はまたアナウンスしますのでお近くの方で興味ある人は子供達連れて来てくださいね🤙
@etajima_sea_support
@magicisland_hiroshima