福島第一原発処理水放出は妥当か?
なんか難しいタイトルになってしまってるけど、、、
俺自身、ここ数ヶ月、精神も肉体も、疲弊している。
かろうじて、毎日、朝夕と海に出て海に語りかけることで、どうにか生き続けることができているといっても決して大げさじゃないかもしれない。
昨日、11日でとりあえず、汚染水の放出の初回が完了したらしい、
7788トンの核の放射性物質が含まれる汚染水が海に流された。
次回の放出は10月に再開するらしい。
この繰り返しが40年以上それか、永遠に続くらしい。
廃炉にするのは今の科学技術では不可能らしい。
今日の海は朝も夕方も、今までになく元気を取り戻していた。
生き生きと、キラキラしていた。 清々しい碧い海だった。
海を体全体で感じながら海に触れながら漕げばすぐに分かる。
汚染水が流れ始めた先月24日から2日前までの海は苦しそうだった。
あまりにも可愛そうだった。
ごめんなさい、
ありがとう、
愛してる、
と何度も何度も元気づけて漕ぎ続けた。
マウイの火災はまだまだ多くの行方不明者がいて、いろんな憶測がとびかっている。
すぐにでもかけつけて、被災者の援助に行きたいところだけど、結局はラハイナは立ち入り禁止らしく復旧作業を手伝うことはできないらしいし、僕が行くことで島の人に世話になることにもなり、そんなお金があるのならそのエネルギーを支援金として送り続け、そして海を通して今まで以上に彼らと繋がり、アロハのマナを送り続ける。
つらい思いをしているマウイの仲間たちに寄り添い想うことしか今はないと思い、海で浜で祈りを捧げている。
そして、処理水と呼ばされている汚染水の話にもどろう、
タイトルの文章は、NHKが内閣支持率とともに昨日発表した質問の1つだ。
ラジオを聞いてて、愕然とした。
このタイトルにある質問をされて、妥当と答えた人が66%もいるのだ。
逆に妥当じゃないと答えた人は17%だけにとどまり、
わからない・無回答 が17%、
これが四方を海に囲まれた大きな島国、日本に住む日本人の一般的で平均的な気持ちなのだ。7割もの人が海に対して無関心なのだ。
海が身近にないのだ。
海を知らないのだ。
汚染水が流され続けていても、自分の生活には関係ない、
何も変わらず、海を利用するけど、海に向き合おうとしないひとばかり、、、
それは、そうでしょう、ほぼ100%陸の上で過ごし、陸の上で生きて経済活動をしている人達にとっては、海は縁遠いところなんだろうね。
海の近くに住み、海に多大なる恩恵をうけているはずの俺のまわりの人達でさえ、そうなんだから。 普通に、何もなかった顔をして過ごしている。
新聞をみても、テレビのニュースをみても、
いかに汚染水を海に流すことが国にとって妥当なことで、科学的に説明がつく安全、無害なことなのかと説明する論調ばかりなのだ。
漁業関係者への補填とか、経済的なはなしばかり、、、
権威のある科学者が、前々からその危険性に警鐘を鳴らしていても、
反対運動や、抗議活動が起こっていても、まったくメジャーな新聞やテレビ、ラジオでは取り上げないこの政府の強制力。
風評被害とか、漁業関係者への保証、とか、
そういう経済的な問題ごとではなく、
海にとって、
母なる地球にとって、
どれだけ悲惨なことを私たち日本人がしているのか、誰も語ろうとしない。
すべての生命の源、海が危機に瀕しているのに、、、
太古の昔から私たちの祖先は、この海の恩恵をどれだけうけてきたのか忘れてしまったのだろうか、
理性的な人ならだれでも、
私たち人類による自然破壊、海の環境汚染の規模のその大きさとそのスピードの速さに絶望を感じないではいられないはずだ、
何十億年にもわたりこの母なる地球にいのちを育み、数百万年にもわたって種としてのヒトを発達させてくれた海を、この自然を、今の私たちは破壊しているのだ。
近代の思想や、経済至上主義の人達の欲やテクノロジーが古代の思想と伝統を壊し続けている。
私たち日本人をはじめとする、西洋化された社会の人たちは、母なる地球とつながり大自然のおおいなる計画を感知する感覚を完全に失ってきている。
古来からわたしたちの精神は自然によって育まれ、鍛えられてきたのに、、、
その自然を目の前から消し去ろうとしている行為を自分たちがしているということにさえも今の私たちは気付かないのだ。
海に、自然に触れていないから、
地球とつながっていないから、
海の生き物の驚異的な多様性と、その人知が及ばないほどの複雑な相互依存を無意識に、あたりまえのように理解して生きてきたのが、私たちの祖先。日本民族なのだ。
わたしたちが今、汚染水を海に流し続けることで、将来の子供たち、唯一無二のその生命たち、この母なる地球の兄弟姉妹たちが、ゆっくりと時間をかけて汚染されるのはまぬがれないことなのだ。
それとも、海の浄化のパワーは、もっともっと私達が想像を絶するほどに凄いのだろうか、愛のパワーは果てしないのだろうか?
数千年前、数万年前に、戻れとは言わない。
でも、昔の日本民族のライフスタイルと精神的な価値観。
生きるために必要なものだけを自然からいただき、そのことに感謝をし、そして自然にお返しするという自然と調和した生き方。その何万年も、数千年も続いてきた価値観を取り戻しさえすれば、自然環境、地球環境の危機はたちどころに解決してしまうだろう。
『大いなる精霊』『神』は、山に棲み、海に棲んでいる。
私たちは『自然への畏敬の念』という価値観を持っていた民族。
八百万の神、森羅万象、生きとし生けるもの、を敬い、その存在に生かされていた民族だということ知っている。
祖先の日本人は自然界の霊的な力を、神を信じていた、祈りのマナを信じていた、そのマナのなかで人が生き、活動し、存在できる、大いなる霊的なマナと繋がっていた。 その『マナ』を口から肺に吸い込んで、血液とともに全身にめぐらせ、生きるチカラを得ていたのだ。
いまこそ、私たちひとりひとりもまた、そんな先人たちの仲間になるために努力しなければならない、その時が今きているのだと気づいてほしい。
だからこそ、僕は、
毎日、哀しくて、辛くて、いたたまれない、
それでも、、、
海を漕ぐ、
そして、海は碧いのだ、
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