DAY 6 心の『はくしゃせいしょう』

4月5日(金)
庄南ビーチ

ののおぎ浜

祝島
宮戸八幡宮下の漁港の横の浜
宿泊: くにひろ

予報通り朝から北東の風が強い、宿泊している片添ヶ浜のキャンプ場の木々がさわぎ、山と山の間から吹き抜けてくる風で海面にも生まれたばかりの小さな風波がわきたっている、小さな雲たちも南の空にながれていく

わたしが日頃海にでている相模湾とか南伊豆であれば、ダウンウインドを楽しめるということでこの程度の強風でも舟出するのだけど、
そこはやはり慣れていない海、それも島々が折り重なるように点在している場所で様々な方向から潮が流れそれと強風が複雑に入り乱れたときのこの内海の状況をイメージするのは難しい
それに今回はあえてスプラッシュカバー(海水がカヌーの中に入らないように人が乗る部分全体を覆うようにカバーするもの)を用意していない、理由としては大きな荷物になるということと、カバーがあるから大丈夫だろうという判断をしなければならない海のコンディションのときには、最初から海にでるのをすっぱりと諦めるためだ、
先を急ぐあまりチャレンジングな無謀な航海だけはしたくないのだ

今回のボヤージングはあくまでも海をやさしく撫でる、愛と祈りのための航海なのだから

周防灘と伊予灘は一度はひとりでV-1で漕いだことがあるけども、もう13年も昔のこと、それも逆側九州側から漕いできて島影をなるべく岸沿いに逃げるように海流に流されるように大畠瀬戸を漕いだ記憶だけしかない、
一人乗りのカヌーならどこにでも気が向いた浜や浦に避難できるけど、6人のりの大きく長いカヌー、クルーみんなの生命がすべて自分の判断と選択にかかっている、

気軽に冒険心では海にでれないのだ


13年前は祝島に風まち潮待ちで数日間宿泊したんだったなあ、、とそんなことを想出しながら、片添ヶ浜で今回最後の朝日のチャンティングe ala e を終えて海をみていた、

まずは昨日の庄南ビーチに行ってみよう、そして今日舟出するかしないか考えればいい、


車で移動する途中いつものようにコンビニに行き、アンクルが今回好物になったハムパンと肉まんを買う、

普段の葉山での生活ではコンビニに行くのはATMの利用と支払いとコピーぐらいでした行かないわたしだけど、こんかいのヒロシマ・ナガサキの航海では、最初からかなりの頻度でコンビニにお世話になっている

見知らぬ土地、それも島では食堂を探すのも一苦労で、あったとしても早い時間に締まってしまう、コーヒー呑むにしても食料にありつくためにはやはりコンビニしかないのが現状なのだ、
一緒に旅している若いみんなと違い60歳をこえるとやはり何を食べるかでかなり体調に影響があり、そして自然のマナを感じるセンサーも曇りがちになるのだ、かといって何も食べないで漕げるほど欲を克服していない、

庄南ビーチに到着したけどもまだ風は強い、
まだ舟出のゴーサインは出せない

驚いたことに、この浜は今まで見てきた瀬戸内海の浜に比べて断然にゴミがないのだ
その理由は毎日近所の御夫婦がビーチクリーンを欠かさずやっているのだ、プラごみだけでなく満潮線にたまる木くずなども欠かさず清掃しているのだ

昨日、ちょうど体験ヴァアが終わったタイミングでその御夫婦と一緒に清掃する機会があった、お二人の手際の良さに驚いた
黙々と手際よく、神社の巫女さんが参道をはくような感じで呼吸を潮騒のリズムに合わせるように掃除していく姿をみて感動した
この浜はコンクリートの堤防に囲まれた哀しい砂浜ではあるけども、手入れをすることでその砂浜のエネルギーが高まり蘇り自然の美しい浜と同じぐらいのパワーで輝いているようだった
里山と同じで今は人の手がはいらなければ砂浜もゴミの山(浜)となりそして朽ちていくものなのだ、

この周防大島のいいところはいたるところに海で拾ったプラごみを捨てれる場所があり、誰もがビーチクリーンで拾ったゴミを捨てれるのだ、プラごみでつくったオブジェまで道の駅に展示していた

そういえばこのあと訪れた唐津の虹の松原もそうだった、ビーチクリーン用のゴミ箱が数カ所設置あり、ビーチクリーンを観光客も巻きこむように街ぐるみで推奨していた、浜に訪れた多くの人たちがビーチクリーンしている姿をみかけるのだ

意識がかわれば環境が変わる
人の意識がかわるだけでマザーアースは蘇り素晴らしい世界になるのだ

今回のヒロシマ・ナガサキ愛と祈りの航海では上陸した砂浜で必ず清掃をするようにしてきたけども、その漂着ゴミの量は半端じゃない

そしてそれ以上にもっともっと多くの上陸できない海岸やおそらく内陸からアクセスが不便そうな海沿いの自然豊かな場所にゴミが山積みしている状況を横目に漕いできた、辛かった

海からの恩恵をうけて生きている(人類すべてなんだけど)漁師をはじめとする地元の海辺に住む人たちの意識が変われば、かならず砂浜や海岸線はきれいになり蘇りマナが高まる、ということをこの庄南ビーチの砂浜を毎日清掃活動している御夫婦をみて確信したのだった



近くの保育園の子供たちと交流ができるかもという期待感を持ちながら少しでも北風をいい角度で背に受けて海を渡れる西側の砂浜に移動する

ののおぎ浜 と地元の人たちが呼んでる浜に1時間ほど漕いでいった、半島を回り込むと向かい風がつよかった、でも少しづつ風が弱まったいるのを感じる

ののおぎ浜は、昔は漁業が盛んだったであろう港の横にある砂浜で、今はもう人があまり来ない浜だからなんだろう、漂着ゴミがすごかった、わたしたちは風が止むことを念じながら黙々とゴミを拾いつづけた
呉や江田島周辺の浜と同じでほとんどが海から生きる糧をえている漁業従事者が発するゴミばかりだ

拾っても拾っても、、、砂に埋れたゴミが次から次と顔をだして哀しくなった


砂浜は子どもたちが裸足で遊ばなくなった途端にくちていく
ハワイの言葉をおもいだした

荷物を運ぶために船をだしてくれるという人と話しをして、午後の舟出を決断した

舟出が遅すぎると帰りが暗くなりひとりでは不安だということで、数日前に周防大島にやって来た葉山から参加したオハナの若者に帰りの船に一緒に乗って島まで帰ってもらうことにした、彼はこのあと最後の長崎までそしてその後も献身的にマザーアースのために動いてくれた、コロナが始まった5年前からオハナなった彼はその時は19歳で、口だけは最近の若者らしく達者だったけどまったく行動は伴っていなかった、彼は今回の愛と祈りの航海でずいぶん頼りになる男に成長していった、マザーアースにとって口先だけでない正真正銘の希望の光りに成長していくと期待がもてた、

伴走の舟は皆の荷物を載せると人が数人しか乗れないほど小さなクルーザーだった

うねりがほとんどない瀬戸内海では車のような手軽さで舟を持っているようで、昨日も江田島でお世話になった家族がもっと小さな小型船で2時間以上かけて江田島から会いにやってきてくれた

陸に道路がなかった時代、どれだけの人たちが舟で移動し日常の足として舟に頼っていたことか、風をよみ、潮をよみ、月をよみ、、海中心の世界が島だけでなくこの日の本の沿岸には長い年月そういう時間が永遠と思えるくらいあったのも事実だ
そんな時代の景色をイメージしただけでもワクワクする

とおくとおくの虹のはて
ひとがなくした太古のすがた

はくしゃせいしょう 白砂青松
それが太古から永遠とつづく日本の砂浜の世界だった、
そんな悠久の時の流れあった

とおいイマージュみなもにおとす

帆を上げてすすむ千石船、小さな帆船、櫓ですすむ舟、櫂ですすむ舟、くり抜き舟など様々な舟がこの瀬戸内海には溢れていたのだろう、

ゴミらしきものはまったく何もなく、ゴミではないけども川から流れてきた落ち葉や木くず、そして貝殻だけが浜にたたずんでいたのだろう

山とのへだたりがない、まさに山と一体になった白く美しい砂浜には、浜を埋め尽くすほどの山の精霊が宿る木だけで作られた小舟で溢れているのだった

はくしゃせいしょう 白砂青松

Pilialohaに乗って沈黙のなか海をすすむとたまにそのような昔の風景がフラッシュバックしてくる、クプナがたくさん海とつながり自然とともに生活しているそんな景色がわたしにはみえてくる

伴走の舟があるだけで、安心感がまったくと言っていいほどに違う
安心感と引き換えにその海のマナやスピリットが薄れてしまうのも事実だ
それは今の時代しかありえないこと、
母なる地球への祈りのパワーも半減するように感じるのは四六時中ペペルとして海に出ていたわたしだけの感覚だろう
島が見えなくて潮と風におされながら漂流しているときや荒れた海を無心に漕げば漕ぐほどマナ(氣)もスピリットも高まりそういう時にかぎってクプナ(先人)が現れてくる、
そして沈黙しているときこそ神氣を感じるのだ、
母なる地球の息吹を感じる、
風のささやく声さえも聞こえてくる、
そんなときを今回の愛と祈りの航海では何度も経験した

それが本来の航海、人力で海をわたるという世界感なのだろう


なかなかヴァアで漕いで渡れる機会がない海域なので、参加してきた皆に漕いでほしかったので数回ほど島影で漕ぎ手を交代をしているうちに4時間ほどで祝島が上関の島影から見えてきた

夕陽に照らされた祝島は名前のとおりに神々しかった、祝福されてるように感じた


しかしながら上陸した砂浜は瓦礫の浜、砂地のはずの浜がほとんど漂着ゴミで埋め尽くされていた、

見上げると八幡神社の下にあたる地盤が傾き崩れている、墓地の墓石がたくさん傾き今にも崩れ落ちそうだった、
となりの漁港に停泊している船も動いていないと思われる漁船が多かった


13年前にも同じ浜に上陸したけども、これほどまでに哀しい景色はなかった、まだ活気があった、原発反対運動のために移住していた若者もまだ島に住んでいて、漁師も元気だった
歩いている人もほとんど見かけず人口はさらに減り、高齢化がさらにすすんでいるのがすぐわかる

その足の踏み場もないほどのゴミと瓦礫のうえで、わたしとアンクルは声高らかに祈りをささげた

献水のセレモニーをいつもと同じ手順だ、このころからスムーズにサポートの皆が必要なことを必要なタイミングで動けるようになる

みなが一体になって動き出すのだ

献水と似た行為をハワイイではPi'i kai というらしい

こういう荒廃した場所だからこそ清水で清める ”みそぎ” がひつようになる

自分の心を鎮める
そして清水を 大地と海 にささげるのだ
母なる地球にたむけるのだ

浄化、清らかさ、安らぎ、平和、やさしさ、柔軟性、

すべてのものを一つにつなぎ、拡げ、調和するちから

無限のアロハ(愛)にむかって流れていくちから

清らかな水のちから
それは想像するよりもはるかにおおきなものだということを今回の旅で感じた

地球上のすべては水でつながっているのだ

祝島での宿は、ここ(くにひろさん)しか営業してなかったようで、
無理にお願いして皆が泊まれる布団を用意してもらった、わたしたちが島に上陸する数時間前に決まったのだった

親切丁寧な、島の案内人も兼ねているくにひろの御夫婦にはほんとにいろいろと助けられました
























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