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誰かの姓にしたい

学生時代から3年付き合った彼と、この夏結婚する。

早々にお互いの家族へ挨拶をして顔合わせも済ませ、あとは婚姻届を出すのみと、順風満帆に準備を進めていたが、姓をどうするかという段になって大きな壁に直面した。というか現在進行形でぶつかりまくっている。

ありふれた話だとは思うけど、自分ごととなるとかなり重いできごとなので、自分への鼓舞として、そして私と社会の現在地として、記録しておく。

2人で決めたこと

まず私は姓を変えたいわけでもないが、変えたくないわけでもない。
自分の姓自体すごく好きということもなく昔はもっと可愛い姓(?)だったらよかったと思ったくらいだし、親しい友人からは下の名前ベースで呼ばれることが多くアイデンティティというにも弱い。ただちょっとめずらしいのでありふれた姓になるのはなんだかもったいないかも、程度。彼の姓は私の姓よりは一般的だが、綺麗な響きなのでその名前になること自体への抵抗はない。
彼は私と違い姓由来の呼び名で呼ばれることが多いのもあり、アイデンティティとしての意識も強いが、同じく絶対に変えたくないというほどでもないようだった。

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実はここまでの段階では、彼のほうがアイデンティティとして姓を大事にしているみたいだし、彼の姓にしてもいいかな、と思っていた。なんなら一度は彼にそう言った。
でも、いざ彼の姓にしよう、と決めてみると、「普通は結婚したら男性の姓にするもの」という固定観念を助長する一員になるということでもあるんじゃないかと思えてすごくもやもやしてきてしまった。私が姓にそこまでこだわりがないのだって、女性側の姓にする夫婦が4%しかいない社会で育ってきた影響は否定できないだろう。
かといって私の姓にするのが正当だと言い切るほどには自分の姓への愛着が強くはなく、社会的意義と目の前の彼の気持ちの間で困ってしまった。

それを彼に伝えると、私が社会的意義だけに邁進できないのと同じように、(社会へのアンチテーゼという意味合いが少なからず占めるとはいえ)私が積極的に姓を変えたい、というスタンスではない以上、彼もまた自分が変えたくない気持ちと同じくらい、私に変えさせることへの申し訳なさがあるとのことだった。
お互いを思いやる素敵カップルっぽい書き方をしてしまったけど、言い方を変えると「嫌がる相手を押し切るほど自分の信念への覚悟もないし責任もとれない」という無責任さの表れでもある。

これらの状況から当初私たちが導き出したのは、「占いに行き、占い師に決めてもらう」という結論だった。なお普段占いには全く行かないしスピリチュアルな分野に熱心なタイプではない。とにかく、どちらにも責任がない形で進めたかった。この理論だとまあじゃんけんでもあみだくじでもいいのだが、占いのほうがより「第三者が決めた」感があってよい。

ちなみに2人とも、夫婦別姓は望んでいない。選択的夫婦別姓の導入に反対する気持ちは1mmもなく大賛成だけど、私たち個人の問題としては同じ姓にすること自体は割と前向きに捉えている。

本当なら2人で新たな姓になって、姓を変える痛みを平等に分かち合いたい。文字通り誰かの姓(=せい)にしたい〜〜。

親の反応

私たちはお互い東京出身で、継ぐような家も家業もお墓もないサラリーマン家庭の出身だ。
客観的に見て姓を残さなければいけない事情がないうえ、普段の言動からしても比較的頭の柔らかい両親だったので、今回の結論についても多少の驚き(もしくは占いという部分への呆れ)はあってもまあ受け入れられると思っていた。顔合わせの際に姓のことに触れられたので、まだ迷い中だと答えたときも、ふんわり流されたので特にこだわりがなさそうと判断したのもある。

ところがいざ占いで決めようと思うと話してみたところ、彼の両親から「妻の姓になる可能性がある」ことに猛反発を受けた。人には人の正義があって私の視点からわかったように書くのはフェアじゃない気がするので義両親(仮)の主張を改めて書くことはしないけど、結局はやっぱり「男は、自分の息子は、姓を変えないもの」という考えが無意識に根付いていて、そこからいきなり、そうじゃないかもしれませんよ、と言われたことについていけていないということなのかなと私は捉えている。
義両親(仮)が根拠としてあげている色んなことは、どれも男女平等という盾を使えば論破はできる。実際、私が変えるべき客観的理由はどこにもないんだということは対話を続けてきた。
でも理屈じゃなくて心が否定している以上、理屈が違う側にいる私たちが彼らを納得させることは難しく、対話の結果「最後は2人で決めることだけど」という枕詞はついたものの、「妻側の姓にしたら距離が遠くなると感じる」「結婚式も楽しめなくなるかもしれない」「受け入れがたい」と言われてしまった。

ちなみに私の両親はどうかというと、彼の姓にするほうが波風は立たないし生きやすいとは思うけど、そもそもそれがおかしいという主張もわかるし2人のことなので2人で決めたらいい、というスタンス。ただ相手のご両親がいいなら、という条件付きなので、義両親(仮)の反応を言ったら反対派に転じる可能性も大きい。

現在の心境

義両親(仮)が夫婦別姓のニュースなどを耳にしつつもどこか別世界と思っていたように、姓にこだわる男親という存在を知ってはいても他人事と思っていた私は、正直驚いた。
息子である彼はなおさら、これまで理解があると思っていた両親との隔たりに困惑していると思う。

そして驚きと困惑とともに、(占いという手続きを踏まずに)大人しく相手の姓にするのは嫌だ、という気持ちが強くなってしまった。もともとは彼の姓にしてもいいと決めたくらいにはこだわりがなかったのに、義両親(仮)が姓の大事さを訴えれば訴えるほど、ならどうして私にはその大事なものを守る権利が与えられないんだ?と思ってしまう。
そもそもまだ私の姓にするなんて決まっていなくて、多くの男性及び息子を持つ人々が当たり前にもっていると思っている、「姓を変えない権利」を、女性である私ももっていますと言っただけでどうしてこんなに反発されないといけないんだろう。時代は急速に変化していて、両親世代は問答無用で夫の姓になったのだろうから、どうして自分の息子だけ、と抵抗があるのはもちろんわかる。寂しいのもわかる。でもそれを押し付けるのは違うんじゃないか。

「最近はもう家と家って感じでもないしね」と結納もしなかったのに、姓だけは持っていかれるのも納得いかない。
結納は嫁入りの儀式の側面が強く、だからこそ妻側の家に多めの金品が渡されていたわけで、そこと妻改姓がセットになるなら、共感できるかはおいておいて一応筋は通っていると思う。それなのに男女平等の都合のいい部分だけ取り入れて、手放したくない部分だけ守ろうなんて虫がよすぎると思ってしまう。まるで男女問わず総合職同待遇で採用しながら、女性には通常業務に加えてお茶汲みまでさせる会社のようだ。(そんな会社あるのか知らないけど)

その一方で、私と義両親(仮)のみならず彼と両親の関係にもヒビを入れてまで、社会的立場を取っぱらって考えれば変えてもよかったはずのものにしがみつくのは、社会ばかり見て目の前の彼を大切にできていないのではないかと思う自分もいる。彼は考えは人それぞれなので親の意見も否定しないと言いつつ、大事にすべきは2人で決めることだと言ってくれるけど、私の社会に一石を投じたいという気持ちだけで、世界に2人だけの親を悲しませる決断をさせてしまっていいんだろうか。
もう何が正しいのか、そもそも正しさで決める問題なのか、考えれば考えるほどわからない。

でもやっぱり、1人ないし2人だけで生きているわけではない以上、私は社会的存在で、自分の行動が社会を動かす一部になると思うし、そう思いたいのだ。
男性の姓にする夫婦が96%という現状は、私と同じように、ちょっと引っかかるけど頑張るほどではないのかも、と思った人たちの積み重ねでできている。本当は社会のことなど気にせず自分たちの事情だけを見て決められるのが一番いいけど、それができる社会にするには、今私が不和を招いてでも、主張するしかないのだ。

そこまで腹をくくってもやっぱり、占いに頼らず私の姓にしたいとまでは言えない私なので、せめて2人の意思だけで(=占いで)決める、という軸だけは守りたい。
あーでも本音は、やっぱり2人で新たに誰かの姓にしてしまえたらいいのにな。

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