江戸にお米を運ぶルートや地図が面白い
noteやカクヨム等で小説を発表されているK_maru027さんから頂いた資料の感想です。
資料内にあるお米の量や輸送ルートに関する地図などが面白かったです!
なお、K_maru027さんは「一次資料」に基づいて創作されます。そのため、古文書や手紙(漢文)、市町村の自治体史など幅広く情報収集されています。
作品を通して、K_maru027さんには、武士の事や藩の事について分からない事を教えて頂いてます。私の見当違いの質問にも丁寧に応えてくださり、ホントすみません(笑)作家さんに直接聞けるのは、noteの素晴らしい点ですよね。
幕末の二本松藩に関して、K_maru027さんの最新作が進行中です(^o^)v
※2024年6月末時点
さて、頂いた資料は、郡山歴史資料館で2023年に開催された企画展「廻米(かいまい)制度 守山藩・二本松藩の事例」の資料です。
「廻米制度」とは、各藩から江戸や大坂に送られ、「扶持米(武士のお給料)」となるお米の仕組みだそうです。
「食い扶持」という言葉の語源にもなってますね。
江戸時代は「士農工商」という身分制度により、武士は農民から年貢(米)を収めさせていました。
実際は、年貢米は食べるよりも換金されたりして経済活動が成り立っていたようです。
このうち、「寛延3年(1750年) 6,300石」の数量には「15,570俵」という補記がされていました。
どのくらいの量なんだろう?と疑問に思ったので、お米の量や価格を調べてみました!
参考【JAふくしま お米価格】
当時のお米は今よりも格段に貴重なので、もっと高値で取引されていたと思います。
となると現在価値で300億円~350億円くらいになってたでしょうか。
市の予算の16%~20%の財源は無視できない数値ですね。
「日本地図の父」といわれる「伊能忠敬」は寛政12年(1800年)から文化13年(1816年)にかけて日本全国を測量しました。
画像の地図は、文化8年1月(1811年)のものなので、伊能忠敬の測量図よりも5年ほど早く、緻密さに驚かされます。
そして、陸奥国(青森〜福島)の範囲の広さが尋常ではありません!(笑)
たぶん、本州では唯一の「日本海と太平洋に両面」する国です。奥州藤原王国が成立したのも納得です。
画像は江戸付近の水運の参考図です。
守山藩(二本松藩の隣藩)のお米の江戸廻送経路について詳しい解説がありました。「本道廻し・那珂川廻し」の2ルートのほか、海上ルートもあったようです。
陸路・水路・海路が組み合わさっていて興味深いです。経路をまとめてみました。
地図を見ながら廻送経路を見ていくと、当時の物流拠点がわかります。気分は当時の「廻送業者」です(笑)
トップ画面はAKISENさんの作品です。
最後までお読みいただきありがとうございました☆
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