日没を祭れ2023

福島県富岡町に全国から合唱人が集まり、震災から歌い継がれてきた曲を歌う、被災地を巡る合唱ツアー「日没を祭れ2023」に参加してきました。

拙い文章ですが、一参加者として感想を書きました。

イベント概要はこちら↓

見学: 被災から12年で目にした被災地と現状

ツアーでは、合唱練習の他、バスで現地を見学させていただいた。

震災遺構の請戸小学校跡地は、津波の被害を受けた小学校が当時のまま保存公開されているもので、現物を見るとやっぱり衝撃は大きかった。地震が起きてからの避難の様子も見学通路上で紹介されていた。とんでもない状況の中で冷静に避難を先導した先生方が本当にすごい。避難ルートなどの臨機応変な対応、学校に来た保護者へのフォローもされていて、子供たちの命を守る大人の姿を知り、備えの大切さも痛感した。全員助かっていて本当に良かった。
津波が直撃した校舎は一階部分の壁がまるまる流されているため、海風が通って涼しい。自然の残酷さと同時に美しさがある場所だった。これは現地に行かなければわからなかったと思う。暗く寂しい場所を想像していたけど、美しかった。

最近避難解除がされた地域もバスで案内していただいた。
長い間人の立ち入らなかった土地は静かに心を痛める。当時の姿そのままで退廃しており、人の気配はなく、フレコンバッグと呼ばれる黒い袋(除染廃棄物が入っている)があちこちに積まれていた。撤去が進んでいない部分もあり、がらんどうの建物も多く見た。

最近ようやく富岡町に戻って来れた人も珍しくないし、未だ帰って来れていない人もいる。ツアーの後にいくつか他の被災地を見て回ったが、ここ富岡町〜浪江町よりもかなり復興が進んでいるように感じた。大きな津波に比べたら現物の被害は少ないかもしれないけれど、復興に向けてとにかく時間がかかることとその難しさから「目に見えない災害」の重さを知った。

富岡町は、原発が来たことにより栄えた町であった。原発ができたことにより、職ができ、人が入ってきたので、地方の割に若者が多かったらしい。原発によって栄えた町は、原発によって人がいなくなってしまったのだった。でも、新しいものを受け入れてきた町・人々だからこそ、震災後も前向きに復興ができていくような気がする。

また当時の被害を目の当たりにして心を痛める一方で、この土地の美しさに何度も心を奪われた。
行きの常磐線上り列車から見える広がる海。海からの風と遠くまで広がる空。とにかく美しかった。富岡町の人たちが帰ってきたいと思い続けるのに納得した。

また3日目には見晴し台に行き、和合さんのお話と朗読を聴いた。海と風が本当に美しい場所だった。


音楽: 震災から歌われた曲たちとその土地

◼️光の走者よ (詩 和合亮一/曲 信長貴富)

いわきの合唱団が初演をしたばかりの比較的新しい曲で、音取りをして向かった。
行きの常磐線で、この詩の元となった作文を読んだ。小学生の作文なんて感動的に決まってるんだからわかりきってるんだから〜、と読む前はドライでいたのだけど、読んだら電車で泣いてた。この詩の主人公の警察官は和合さんの教え子だったそう。

波を 風を
の部分が私はすごい好きで、音楽的にも一番盛り上がる部分ではあるんだけど、この波と風の美しさは現地に行くことでようやく理解した感じがする。ここで見て感じた、波と風の美しさはずっと忘れられないと思う。


◼️群青

自転車をこいで君と行った海、を実際に見せてもらった、本当に綺麗な場所だった。空の青がどこまでも続き、水平線の先に消えていき、海の輝きがずっと広がる風景は、まさに群青の言葉にふさわしい場所だった。ここで青春を過ごした高校生たちを羨ましく思ったと同時に、そこで起きた災害、離れ離れになったことの苦しさに心が痛んだ。その中であの前向きなエネルギーの詞の曲が生まれたこと、逆境にくじけず明るく言葉を紡いだ小田先生と当時の生徒のみなさんの、その生き方に感動する。あの状況でこの詩を作れるの、本当にすごいと思う。この土地は自然が美しいけれど、人間の生き様はもっと美しい。

伝承館での演奏は、信長先生指揮・小田先生伴奏で演奏する機会だったけどこれが本当に素晴らしかった、この演奏に参加できたことは一生忘れないと思う。信長先生の指揮は静かながらもはっきりとした意思が伝わってきて、一つ一つのフレーズに指針が見えたし、言葉を乗せやすかった。群青はサビ部分がユニゾンなのがずるくてかなり効いていて、合唱の本質的な楽しさ、他人と同じフレーズを同時に歌うこと、共有することの素晴らしさを存分に感じることができた。日曜は富岡町の皆さんとも歌えたし、その場にいる人、老若男女誰もが参加してみんなで歌えることができる曲という意味でも名曲だったし、これからもこの地で歌い継がれてほしい。想いが一つになるって言うとありきたりだし恥ずかしいけど、確かにあの場で共有したものはあったと思う。

◼️夜明けから日暮れまで

これは元々大学の合唱団で歌ったことのある曲で馴染みがあったけど、その時とは感じ方がかなり変わった。「夜明け」「明日」など、悲惨なことを経験したからこその、未来に向けた言葉の重みを感じた。

道をゆけ 野を行け
風に追われ 雲を追って
野火を
野火を求めよ
その先に
夜明けがある
海を行け 風を行け
雲に追われ 空を追って

ここの未来に向けた力強さは和合さんの詩の真骨頂だと思う。辛いことを乗り越えていく、人々の生きるエネルギーの力強さと前向きさ、海や風が作る壮大で美しい自然、どれもここ富岡町で私(たち)が感じたことそのものだった。この地でこの曲が生まれたことに納得し、それらを表現する詩と曲の素晴らしさに脱帽。和合さん信長さんに多大なる感謝。

◼️なみえ創生小中学校校歌

群青、夜明けから日暮れまではもはや定番曲だし、光の走者よも名曲だけど、個人的にはなみえ創生小中学校校歌が大好き。「虹をかけたい なみえの朝だ」の詩の輝きと重さ、「創生のとき」のシンプルな音形に宿る力、浪江の情景が浮かぶ言葉の数々。この曲のことは全く知らなかったし、譜読みの段階ではピンと来なかったけど、浪江町での日が昇る水平線や人々の前向きな力を見てから歌うと、一気に曲の解像度が鮮明になり、またその重みを感じた。正直校歌でこんなに心が動くと思わなかった。「なみえの朝」が人に希望を与え続け、長くこの曲が歌われることを願う。



現地を見て、その地で歌った曲は一つ一つの言葉が重かった。言葉に魂を宿すように音楽が乗せられ、多くの人に歌われて伝わること、同じ想いを共有すること、これらの合唱の持つ大きな力を感じた。

これらの演奏動画(『日没、新しい夜明けに 第一夜』)はこちらから見られます。↓


人: 前向きさ、歌の作る繋がり


「ここ富岡町はあなたのふるさとでもあります」と言ってもらえたことが本当に嬉しかった。これまで、震災について部外者が語って良いものではないと思っていた節があった。2011年、私自身は海外にいて距離もあったし、今まで被災地に来たこともなかった。それにエンタメとして消費してるだけみたいになったらすごく嫌だった。ここで自分で壁や距離を作っていたのだけど、こう言ってもらえて、自分も向き合って良いんだ、何かを思っていいんだ、応援していいんだという風に思えるよつになったのは、今回訪問での大きな変化だった。この地に帰ってきたいと思えるような、私のふるさとの1つになった。3日間しかいなかったけどいいのかな…と思いそうになるけど、現地の人に受け入れてもらい、歌うことで喜んでもらえたこと、更に一緒に歌えたことを思い出すと、3日間だけでもふるさとになったと思える。

富岡町の人は私が思っていたよりもずっと前向きで、復興における人の明るいパワーを見た。建物が新しく良いものが多いのもあって、良い町に向けて建築が良い役割を果たしていた。良い建築は人に前向きなパワーを与える。と、建築設計者としてどう町に貢献していきたいかについてもちょっと考えたりした。

全国から集まっ50人を越える合唱人は、年齢も出身も本当にバラバラで、1人で来た人も多くいた。ワイワイみんな友達!って感じの雰囲気ではなく落ち着いた雰囲気だった。合唱やってる人って話すのが苦手な人が多い印象だけど、あの土地で音楽と体験を共有したことで、同じものを感じていたと思う。話してないけど歌で通じ合えたものがある気がする、あの時間を共有できたことが人とのつながりそのものに感じた。
普段東京の人としか話さないから実感しづらいけど、日本中に合唱人はいるし、老若男女色んな人が歌っている。合唱界は狭いと思っていたけど、私の想像よりずっと多様なんだと思う。


さいごに

現地に来ないとわからないこと、現地に来たから感じられることがたくさんあった。福島の海と空は本当に美しかったし、そこに生きる人の営みはもっと美しい。

一生忘れないであろう経験をさせていただきました。ツアーの企画・運営に関わった皆様、素晴らしい曲を書いて下さった和合先生と信長先生、小田先生、温かく迎え入れて下さった富岡町の皆様、全国から集まって共にツアーに参加した合唱人の皆様、本当にありがとうございました。
また会いましょう、群青の町で。

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