きたない君がいちばんかわいい 最終回を読んで
こんにちは、ペッタ~です。
先日発売した百合姫2022年4月号に掲載された「きたない君がいちばんかわいい」(以下きたかわ)は第26話を以て完結しました。
ここ5年くらいで一番刺さった漫画作品と言っても過言ではなかったので、思ったことなどを書いていこうと思います。
実は前にも紹介記事を書きました。作品の概要や自分なりの解釈などの解説はその時にしましたし、概ね同じ感じで最終回まで突き進んでいったと思うので今回はエッセイ的にダラダラと書いていきたいなと思います。
ハッピーエンド
まず最終回を読んだファーストインプレッションなんですけど、「ハッピーエンドだぁぁぁ!!!よっしゃぁぁぁ!」って真夜中の賃貸で叫んでいました。
倒錯して、歪んで、とにかく二人だけの閉じた世界で展開された今作ですが、3巻時点で盛大にバレているので社会通念的な意味での幸せを掴み取るのははっきり言って不可能に近い。そうなってくると結末が幸か不幸かの基準って「第三者の介入可能性」の有無に収束していくと思っていました。つまり逃避行してしまった終盤においては
・結局警察に捕まって接触禁止を言い渡される
・心中で片方だけ死ぬ
などで二人が運命共同体ではなくなると「バッドエンド」であると考えていました。
その点においてひながあいちゃんを絞め殺してしまってその後、遺体を抱えながら吹雪の中で力尽きるという幕切れは完全に誰も手出しが出来なくなったという観点において「ハッピーエンド」だったと思います。
物語の中で自分が重要視しているのが「信念に殉じたか」であり話が終わるなら「意思で物語を終わらせたか」であったりするので、この最終回を以てきたかわが残した結論が「愛」だけであり純愛の作品だと言えるのではないでしょうか?
未熟と愚かさ
二人が辿った顛末は「二人が若くて未熟で愚か」だったからこそと言えると思います。
事実だけ見れば、学校施設で倒錯プレイをしていてバレて後ろ指を指されたら不登校になり、雪国に飛んだ挙句共倒れになって終了。例えば自分が作中内の別のクラスのモブAさんだったらその話を多分校長先生やら担任の先生やらから聞かされるのでしょうけど「なんじゃそりゃ」としか思わないでしょう。
実際作中内の描写でも女の子同士といった性的趣向に対する偏見を含め、彼女たち二人に対する否定的な態度が何度か描写されていたと思います。
二人の言動は非常に幼稚で周辺人物にはたっぷりと迷惑をかけていたのは疑いのない事実でしょう。でもそれだからこそこの作品は美しいのだろうなとも思います。
先の紹介記事でもこの部分に言及しているのでセルフ引用しますが
ゲロ吐いて始まったヤバイ漫画がエスカレートしていき、異常性交 with 淫乱赤ちゃんや壮大な逃避行までやって最終回に出てきたのが「相手の気を引きたかったから、私だけの人になって欲しかったから」という実に普遍的な人間的感情だったという...最後の最後に実にプリミティブな百合的ナラティブに回帰していくところがめちゃくちゃ熱かった。
ひなは物語が始まった時点であいちゃんに振り向いてもらえない辛い気持ちを我慢していて道化を演じていて、でもそれでもあいちゃんを欲しい気持ちを諦められなくて壊す(≒壊せるのは自分の所有物だけなので)ことであいちゃんの愛を手に入れる。
僕の好きな作家さんの作中のセリフで「殺し合うのって最高の愛情表現じゃない?」って言いながら「愛した人間」を殺そうとするシーンがあるんですけど、相手の愛を得たいといった実に原始的な感情をなんの工夫もなくぶつけてしまえば命を懸けたやり取りになる事態にすらなってしまうのだと――そういう意味でこの作品にも通じる部分があると思います。
あと個人的に道義に反しているから二人に罰は下る(=死ぬ)けどその愛の形そのものが作品としては否定されること無く、夢の中では二人で暖かい海岸にたどり着く塩梅も好きでした。ラストカットで雪の中、朝陽が差して二人を照らしているのはそういうことなのかなと思っています。
放置された一叶
さて最終回の一つ前の第25話は主人公ふたりはほとんど描かれず、残されたひなの一件で仲違いに近い状態だった松下好美と兵藤悠子が愛吏側グループだった宮園一叶の介入によって仲直りする話が描かれました。そしてあくまで「物語」のモブになりたくない一叶は次の玩具としてこのあと好美がやったことを暴露することで二人の仲を決定的に壊すことを示唆して終わりました。
正直この話を最初見た時に「え、延長すんのか?」って勘違いしたくらい混乱したんですけど、結局この話は尻切れトンボになったように見えます。
実際に作劇の構造上はこの話をわざわざ入れずにact.24→act.26と繋いでもそんなに不自然じゃないので、これは一体どういうことだったんでしょうか。
自分の解釈としては「人間のカルマは普遍的」ということを言いたかったんじゃないかなぁと思います。
つまり「あいひな」でさえ一叶の中で永遠の劇的な物語たり得なくて可換な存在であって、そしてあいひなが死んだ後も好美たちが次の「きたかわ」になっていってその次もまた新しい倒錯した関係性は生まれていく。「あいひな」が特別だったのではなくて人の世で延々と汚い業と因果が絶え間なく巡っていくのだと、なんかそういうニュアンスだったんじゃないかなぁと思います。
ありがとうございました
きたかわは最高の百合漫画だったと思います。
毎月毎月の更新が楽しみで仕方なかったし着地点としても積み重ねの果てにお出しされたとして納得のいくものだったかなと思います。
結末は儚く寂しいながらも物語が二人の意志で閉じたことで愛は永遠になったと思います。
なにか続報もあるようなので今後の展開に期待ですね。
ダラダラ書きましたが、今日はこんなところで...
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?