つづき。曽祖母の実家はいかに。そして明治19年式以前の血縁発見か?
※画像は町史から。
結局、曽祖母の実家の確証は得られなかったけど、まとめるために戸籍を見直す。
○戸籍には四女が載ってる。
(四女→高祖母の妹で高祖母夫(高祖父)の後妻に入る)
○二男三男四男はそれぞれ他家に送籍や分家。
○家は明治19年に25歳の長男が継ぐ。
○高祖母は婚家の戸籍の事項欄に実父との続柄が書いてあり三女と分かる。
この戸籍、長女と二女がいないのだ。
※明治19年式あるある。
あるあるではあるけども、この長女と二女が早世せずどこかに嫁いだとして、どちらかでも養子と結婚したんじゃ??
養子入籍の送り状では養子のメンズのみ入籍してる。
(夫婦養子ではない)
以下参考。
○明治6年29歳で単身うちに養子入り、明治18年以前に分家。
○明治37年には20歳以上の男子がいる。
(日露戦争に出兵している)
ちょっと、高祖母の実家の話しに戻る。
○家を相続した長男は文久元年生まれ。
(養子さんが16個上)
ほほう。
これは長女二女が長男と年の差無い年齢ならば、十分、年の差婚の範疇。
あり得る。
養子さん、単に縁組した家系としか見てなかったけど、血縁なのかも知れない。
相続させるつもりのない養子を迎えて分家させて、うちになんの得があるのかと思っていたが、娘の貰い手だったのか。
娘の実家から徒歩二分の距離に分家してるのも、そう考えれば自然だ。
養子の実家でも三男の貰い手探してたんだろう。
送り状によると養子のご実家は隣村。
19年式以前の縁組だし、血縁とは思ってなかったので、台帳取ってなかったが、養子さんの旧姓がこの地域の新田師の名字。これはこれで興味のあるので、あらためてまた旧土地台帳取ろうかな。
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日露戦争で亡くなられたのはひいおばあちゃんのいとこで、単に親戚だけでなく、もしや血縁。
お墓、見つけられたら手を合わせてこようと思う。