旧土地台帳からお曽祖母のご実家を探す
今回探すお家のひとつは“当時から本籍地に住んでる人あんまいなくない?”な家庭である。
↓こんな感じのちょっと謎の家。↓
○戸主に子がいるのに戸主の妹に婿を取る。
○戸主が中国没。戸主の子が相続。
○北海道で生まれる甥姪たち。北海道へ転籍する曽祖叔父(←甥姪の父)。
○現在、子孫と同姓同名が旧村内にいない。同姓は数軒ある。
(なんなら、同村内別系統同姓の曽祖父、高祖父の家は今でもある)
○明治19年式が昭和18年まで使われていて本籍地が番戸表記のまま。
↑以上は戸籍、電話帳、旧土地台帳から。
↓以下は郷土誌と旧土地台帳から。
○明治6年に他家から養子(29歳)が入る。←19年式戸籍には既に分家したらしくいない。
(なぜ養子が“分家したらしい”なのかと言うと、養子の弟になる高祖父(5世祖の長男)が家督相続している)
※高祖父は明治6年12歳。相続時25歳。
○養子が養家の名字で旧村内の土地を所有。その“子”へ相続。今も住んでる。
…変な家である。
謎は残るがこのお家を先日、官報で発見したのだ💡
2年越しに番地判明✨
中国没の曽祖伯父(戸主)が明治38年に義援金を地域の総代に連名で出している。そこに番地まで書いてあるっ🥺✨
この地域、番地と地番が一緒なのです。
うぇーい(∩´∀`)∩ワーイ
前後5軒新たに申請しました🎵
正直に言うと、今は続いてない家って絶えてしまったとか、財力のない家(平たく言うとボンビー)なんだなって思っていたのだけど、この家、総代にしてもまぁいいかなくらいの家庭らしい。
と、考えていたのだが、分家した養子の子が戦争へ行っていたことが発覚。
本家としてはそりゃ、出すか。
そうだ、分家からしたら一応、本家。
だけれど、分家の方が力があるというか、なぜわざわざうちに養子に入ったのか。
あれ?謎深まってない?
養子はさておき。
今回の申請で高祖父、曽祖伯父のお名前が出てくるか、楽しみなのである((o(´∀`)o))ワクワク
※曽祖母は父方曽祖母→父母母。
高祖父はその曽祖母の父→父母母父。
結果はこちら
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