見出し画像

うんぷてんぷ

お金といっても、お銀(かね)、
銀が流通貨幣だった時代のお話です。

中国は明の時代、
若いころから生業に精を出しそれなりに財を蓄えた老人がいました。
老人は収入の中から銀の小粒を少しずつ取り置いて、それが集まり
百両(*)ほどになると、当時の錠前のかたちに似た銀塊に
鋳直してもらうことにしていました。一個、二個……
二個一対を赤い紐で括って、それも、いまでは八個四対。
老人は錠銀を枕元に並べ、毎晩、鈍く光る白い銀塊を撫でては
ハハと笑って眠りに就くこともありました。
                              (*) 当時の一両は、37.3 g

ある日、老人は老い先をあれこれ考え
生涯かけて築いた身代を、元気なうちに
四人の息子たちに分けておこうと決めました。
息子たちに意向を伝えたその日の真夜中、
長い白い着物を着て腰には赤い帯を締めた
四人の見なれぬ大男が老人のもとを訪れ
しばらく譲り合っていましたが、とうとう
一人が進み出て、慇懃に切り出します。

   ≪ これまで長い間、一方ならぬご愛顧を蒙り
   ≪ 煩わしい仕事に悩まされることもなく無事
   ≪ 我ら四兄弟、立派に成長させていただきました。
   ≪ お礼の言葉もございませんが、承りますれば
   ≪ このたびご令息方に私どもをお譲りなされます由
   ≪ あなたさまのご子息とは申せ、私どもとは
   ≪ もとより無縁な方々。この際、お暇をいただき
   ≪ 某村の何某のもとに身を寄せる所存でございます。
   ≪ ご縁がまだ尽きぬようでしたら、また
   ≪ お目にかかることもございましょう。

こう言うと、大男たちは連れだって家を出て行きます。
老人は慌てて後を追ったものの閾につまづき、
目が覚めて……

夢かと思って、いくら探しても
今まであった錠銀は消え失せていました。
老人は、息子たちの手前もあり
錠銀の行方を確かめたい気持ちもあり
白衣の巨漢が口にした村を訪ねてみることにしました。

村へ着くと、白い大男の言った何某は
実際にその村の住人でした。家の前まで行ってみると、
たくさんの人が集まり盛大に生贄を捧げて大賑わい。
おめでたいことがあったと聞いた老人は
その家の主(あるじ)と会って、訪問のわけを話します。
家の主はたいへん驚き、これは他でもない、
突然現れた四対八個の錠銀を祝い祭っているのだと。

〔…〕もともとあったものが無くなり、無かったものが手にはいる、
この辺は人間の考え及ぶところではないのである。

抱甕老人『今古奇観』第九話
平凡社 東洋文庫 2
千田九一・駒田信二 訳

            🍊            

『今古奇観(きんこきかん)』全四十話は、十七世紀
明朝末に、抱甕老人(ほうようろうじん)が編んだ
口語体の短編小説集。

錠銀の精が登場する昔話を ”枕” に置いた
第九話の主人公は、何をしてもうまくいかず
まわりから「倒運漢、運のない男(ひと)」などと
あだ名されている文若虚(ぶん・じゃくきょ)さん。

若いころから詩や書画に親しみ、話し上手で人気者。
とはいえ、詩や書画やおしゃべりで暮らしの立つはずもなく
家は傾き、その日の糧にも困るありさま。

ある日、たまたま出会った旧知が
交易船に便乗させてくれることになりました。
義侠心に富んだこの知人、元手集めに奔走してはくれましたが
集まったのはわずかな銀子、商品を準備するには到底足りず、
文さんは地元の安価な蜜柑「洞庭紅」を籠いっぱい買い込みます。
船旅は喉が渇く。乗船させてもらったお礼にみんなにも分けて
いっしょに食べようと思いついてのことでした。

ようやく船が目的地に着くと、
交易に慣れた仲間はさっさと下船して商いを始めます。
一人残った文さん、すっかり忘れていた船底の蜜柑を思い出し
いまのうちに風に当てておこうと籠から出して甲板に広げました。
ためしに一つ口に入れると、長旅の間に追熟した
「洞庭紅」は甘味を増して、美味でした。

異国の船にずらりと並んだ燃える赤、
蜜柑は遠目からも現地の人々の興味をそそり
果実が食用と知ると、ひとくち味見、
その爽やかな甘さに誰もが先を争って買い求めます。
「洞庭紅」は望外の財をもたらし
運漢は、運漢に。

儲けは、もうこれぐらいでいいよ。
思いがけなく手にした沢山の銀貨、
これを持って早く故郷(くに)に帰りたい。
文さんのこんな気持ちに反して、海は大荒れ。
ようやく無人の小島に漂着したものの、仲間は
浜辺でぐったり、だれ一人動こうともしません。
新鮮な空気を吸いたくなった文さんは
無人島の探検を思い立ち、ただひとり
密林に分け入っていきました。そして見つけたのが
亀の、信じられないほど巨大な甲羅。

故郷への土産物もまだ何も用意していないし、
まあこれでも持って帰ろう。文さんは
甲羅を引きずって何とか船まで戻ってきます。
亀の甲羅の並外れた大きさに、こんなものを
わざわざ持ち帰ったと、みんなは愉快に大笑い。
無用の長物、甲羅は船底の物陰でひっそり
持ち主の荷物入れとして使われることになりました。

無人島で見つけた巨大な亀の甲羅は、その後
たまたま真価を知るペルシア商人の目に留まり
買主にとっては破格の廉価、売主にとっては
破格の高額で取引されます。契約を結び、
商品の引き渡しも無事終えたあとで
甲羅の値打ちを聞き知った仲間の一人が
売主の無知につけ入った契約は無効だと
息巻くのですが、当の売主は ――

どうやら人生には運否天賦というものがあって、
無理に求めることはないようです。わたしたちも、もし
あの主人の目ききがなかったとしたら、あの品はただの
廃物にしてしまったことでしょう。〔……〕

前掲書

「人間の考え及ぶところではない」
運・不運が絡まる糸の結び目、出会いは
いつも不思議です。

            🍊

運否天賦、うんぷてんぷ。

いい時もあれば、悪い時もある
どんな時もあって一日、そして
また一日。

今日と同じ明日が来るとは限らないけれど
明日のことは明日にまかせ
移ろう季節の息吹を体と心で呼吸して
この時をただ生きている
猫暮らし。

スイセンが花を終えるころ
だんだん夜明けが早くなり
春さむの朝、
熱い珈琲を淹れますね、
 ―― ちょっと濃いめに。