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海が見える
二月半ば、前期試験が終わり
後期授業が始まるまで
10日あまりの小休止。
早い日暮れに街の灯にぎわう
パリもすてきだけれど
南仏の海が見たくなり、
リヨン駅からマルセイユへ
大都会の終着駅で乗り継いで
海辺の小さな町まで
ミモザの海に会いに。
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予約しておいた宿の部屋には
露台にまで、ミモザがいけられて
早緑のレエスの葉群れに香るポンポン
枝いっぱいの淡い黄、すぐそこに
紺碧の空と海―—地中海。
西アジアからエジプト、北アフリカの岸辺から
ジブラルタルの海峡を経てイベリア半島へ
アジア、アフリカ、西欧を結ぶ
神々と詩人たちに嘉された海。
交易と戦の舞台、歴史の海。
🌿🌿🌿
テレビ画面が映し出す
廃墟の向こうに地中海。
早春の空の色も、海の色も
ミモザの海と変わらない。
パレスチナにその名を遺した
ペリシテ人(びと)が築いた都市の一つ、
ガザに住むパレスチナ猫たちが
瓦礫の道を行く。
洗練の文化を受け継いで
慎ましく生きるモスリムの民よ、
”猫”と呼んでも、怒らないで。
フランスの詩人プレヴェール
(Jacques Prévert,1900-1977)の
強烈な反戦歌「バルバラ Barbara」(1946年 発表)
詩句にある「君」を「猫」に代えて―—
≪親しげに”君”(猫)と呼んでも怒らないで
≪僕は心寄せる人みんなを ”君”(猫)と呼ぶ
≪たった一度しか会ったことがなくても
≪僕は愛し合うすべての人を ”君”(猫)と呼ぶ
≪たとえ知らない人であっても
作品の舞台はブルターニュ
軍港の町、ブレスト。
この地方特有の霧雨のなか
若い女性が急ぐ、
恋しい人との逢瀬の場所へ
花開くように幸福に酔いしれて。
街角で雨宿りしていた若者が
彼女の名を呼んだ「バルバラ!」
彼女は雨のなかを駆けて、駆けて、
恋人の腕の中に飛び込んだ
≪思い出しておくれ、バルバラ
≪忘れないで
1942年から1945年、戦争は
鋼鉄と火と血の雨を降らせ過ぎて行った。
いたるところ、武器庫にも、街にも、海にも、
美しい島に通う小舟にまで
鋼鉄と火と血の雨を降らせて。
大戦は終わり、ふたたびのブレスト。
バルバラは、いない。
あんなに熱い抱擁を交わしていた相手は
生きている? それとも、死んでしまった?
街はむなしく、くたびれ果てた
喪の雨が降るばかり
≪戦争、なんと愚劣な所業
「愚劣な所業」、もとのフランス語には
卑語のしるし(良いネコは使わないように)。
時が経ち、卑語は俗語になったけれど
「愚劣な所業」は、相変わらず愚劣なまま
いつも犠牲にするのは小さくされた弱い猫たち。
日昇るところ=レヴァント* の海に
ミモザが笑み、アーモンドの花開き
やがて真白いオレンジが清爽の香放つころ
東の果て、島散りばめた青い海を
懐かしく臨む丘にも、ミカンの花。
(*) 地中海東部沿岸地方の総称
水の惑星を覆う海はひとつ。
心おごれるニンゲンたちが性懲りもなく
愚行を重ねていたとしても。
🌿🌿🌿
二月末、後期の始まりに備えて
プラタナスの芽吹きにはまだ早いパリに
学生猫たちが戻って来る。
午後のお散歩がてら、子猫も新学期の準備
カルチェラタンの文具店をのぞいたあと、
緩やかな坂をサン・ミッシェルまで下りて
右へ折れ、セーヌ河岸を尻尾ゆらゆら
少し歩くと、左手にノートルダム大聖堂。
橋を渡ってシテ島はカテドラル裏の
子猫のテリトリー、小さな公園へ。
ここから見る大聖堂は、大きなお船―—
尖塔は帆柱、飛梁(控え壁)は
風待ちの帆。パリ市の紋章の銘のように
漂えども沈まず FLUCTUAT NEC MERGITUR
沈みそうで、沈まニャイ。
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正面に回って、脇の小さな出入り口(猫用 ?)
ちょっと重い扉を押して入る。
尻尾を立てて、中央廊(身廊)を奥へ。
身廊 nef は、9〜14世紀の古(こ)フランス語では
お船を意味していたとか、高々と天を指す弓状の梁は
ほんとに、船倉や船底の天井みたい。
仄暗い堂内にバラ窓から零れる光は
潮のたゆたい、青、緑、青紫。
水を透して降り注ぐ陽の光
きらめいてパイプオルガンの
音の断章。
帆船の伽藍は
魂(いのち)育む
母なる海を内に宿して。
今宵、猫たちは心底の
海の伽藍でひっそりと
お香盒をつくる。
憤りは憤りのまま
悲しみは悲しみのまま
子猫はピチャピチャ前足でお顔を洗い
「泣いてニャンか、いません。
このしょっぱいのは、海のしずく。」
深い夜の
海のしずく……。
🌿🌿🌿
地中海、エーゲ海の夜明け。
ホメロス常用の形容句(”ホメロスの枕詞”⁈)
”バラ色の指持つ” 暁の女神が
その繊細な指で竪琴を奏でるように
水平線をなぞると、日が昇り
今日のこの日 aujourd'hui* が始まる。
(*)現代仏語で 「今日」を意味するaujourd'hui。
元々 hui だけで「今日」を表していたのが音声上の
必要から「この日にau jour d'(de)」を付け加えた。
猫たちは”逐語訳”で生きているのかも…...。
黄金のトロイの若き王は
愛する伴侶(ひと)を護るため、
押し寄せるギリシアの軍勢に挑んで征く。
不安と悲しみのうちに見送る王妃は
乳母に抱かれた幼い愛息を伴なっていた。
幼子は軍装の父に人見知りして
乳母の胸にしがみついたまま。
小さな瞳に映る兜の
なんと恐ろしいこと!
青銅の光輝、天辺を飾る気高い馬の
威風堂々、雄々しいたてがみ。
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ホメロスより新しい時代のもの。
父は声立てて笑い、母も笑う。
王は兜を脱いで床に置くと
我が子を抱き取って、あやした。
いまも変わらぬ家族の情景。
(『イリアス』第6歌 v.466-484 )
戦争の<非日常>は、
都市を破壊し尽くすことはできても
ささやかな<日常>を
消し去ることはできない。
今日のこの日に
美しいもの、善きものを見る
静かなまなざしのあるかぎり。
ガザの
廃墟の向こうに
海が見える。
表題画像は、ガザの海で漁る
近くの避難民キャンプに住む少年。
( 2024年晩秋。国際赤十字委員会のサイトより)