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パ、パ、パ

久しぶりに『魔笛』を聞いた。
モーツァルトの作曲、シカネーダー台本の
ジングシュピール、台詞のある音楽劇。

パ、パ、パ、パパゲーノ
陽気な鳥刺しの声がする。
恋人が欲しくって、やっと出会えたのは
彼にぴったりのお相手、パパゲーナ。
パパパ、パパゲーナ
パパパ、パパゲーノ

            🐦

パ。
日本語には一つの音だけで
ちゃんと言いたいことが伝わることばが
たくさんあるけど、フランス語にも
けっこうあって、"パ pas" も、その一つ。

最初の一歩の”歩”
一歩また一歩、パ・ア・パ  pas à pas
地面にしっかり足(四つ⁈)をつけ
尻尾を立てて歩いていく。

バレエのステップも、パ。
「ネコのパ pas de chat」は
左右の脚をまげて飛びあがって
両足(ほとんど)同時に着地する。

英語ネコなら、pas のかわりに paw !

『眠れる森の美女』では
王子さまとお姫さまの結婚式に
長靴を履いた猫とお相手の白い猫も招かれて、踊る。
二匹とも後脚は「ネコのパ」
前脚は、どう見ても、猫パンチ。

マーゴット・フォンテイン Margot Fonteyn (1919-1991)
ルドルフ・ヌレエフ Rudolf Nureyev (1938-1993)
二人のパ・ドゥ・ドゥは、魂の二重唱。

固唾呑む三重唱なら、パ・ドゥ・トロワ。
ロ-ラン・プチ Roland Petit 振付による
『ノートルダム・ドゥ・パリ』(1967年初演)
大聖堂の高位聖職者フロロは
ジプシーの美少女エスメラルダに恋をする。
そのエスメラルダが思いを寄せるのは
若く凛々しい士官フェーブス。
恋人たちのあとをつけたフロロは
闇に紛れ二人の逢瀬の場に潜む。
振り向いてはくれない女(ひと)が舞うとき
フロロの心も舞う。消そうにも消せない嫉妬の焔、
魂は千の見えない刃に切り苛まれながら
なおも欲せずにはいられない愛しい人。
時に離れ、時に寄り添い
慟哭のアラベスク(*) 。
            (*)片方の脚を後ろに伸ばすかたち

            🐦

風にちぎれ飛ぶクモの糸のように
このごろ三角お耳によく引っかかるパ。
コスパ に タイパ。
映画『モダン・タイムス』の画面から
漏れ出して、圧縮された
奇妙な音の集まり。

「パ、サ Pas ça (それ、じゃなくて)!」
ここでもパは、 一歩の歩。もともと
「一たりとも、歩きません」と
否定を強調したくて使っていた語が、
いつのまにか耳を捉える音が残り、
いまではフランス猫たちが毎日使う”否定のパ”。 
「そんなのイヤ」といいたい時も、
「パ、サ!」

コスパにタイパ?
Pas  ça!

            🐦

時計を持たない猫たちの
時間は、のんびり過ぎていく。
日は昇り、日は沈み、
また日が昇り、それで一日。
短くなった陽が伸びて、
冬が去り、春が来る。
夏が来て、秋になり、
また冬が来て、一年。

猫たちの時間は、星の時間。
大切な相手を思う時
時間は無限に広がり
天空の調和に和して
歌い始める。
パパパ、パパゲーナ
パパパ、パパゲーノ
            『魔笛』第二幕 29場

ドイツ猫たちは、
鳥刺し夫婦の名前を聞くと
パパゲイ Papagei、鸚鵡を想い出す。
二人のあいだに生まれてくるのは
かわいい小さなパパゲーノ
かわいい小さなパパゲーナ。
繰り返し、繰り返す
パ、パ、パ
いのちの連なり。

            🐦

ねこじゃら荘の居間兼台所、
食卓兼作業机に
名のみの春の午後の光。

暮れに収穫したユズは
下ごしらえして蜂蜜に漬けて……
そろそろジャムになりたいころかニャ?
トロトロとろ火にお鍋をかけたら、お縫物。
祖母猫が遺してくれた着物(おべべ)を解き
長いスカートを縫っている。ひと針ひと針、
母たちの<時>を紡ぎ直して。

パパゲーノのカリヨンに代わって
ウグイスさんのコロラトゥーラ。
まだ春寒の時季はお稽古。
「ホッ、ホッ」「ホーッ、ケッケ」が
のびやかな「ホ〜ホケキョ」に変わるころ、
うす紅の花の息吹があたりにみちて

ふたたびの春――。

          🌸  🌸  🌸