野分の宵に...玄宗と楊貴妃
情(おもい)たぎる夏は過ぎ
心凪ぐ秋のはじまり
猫たちは口ずさむ
遠い日の記憶のままに ―—
野分だちて
には(わ)かに肌寒き夕暮れのほど
つねよりもおぼし出づる事多くて……
『源氏物語』桐壷
最愛の女性、更衣を失った桐壷帝が
明け暮れ眺めていたという「長恨歌屏風」。
中唐の詩人
白居易(772-846)の七言古詩「長恨歌」。
テンポよく転換する場面を大和絵にうつし
職業歌人が恋人たちに代わって和歌を詠み
屏風に仕立てた。
「長恨歌」の恋人たちといえば
大唐第六代(九代とも)皇帝玄宗、
李隆基(685‐762、在位 712-756)と
楊玉環、道教の号は太真(719-756)。
開元二十八年(740)
玄宗は玉環と出会い
天宝四載(=年、745)皇后に次ぐ
正一位貴妃に冊立した。
歴史の舞台に登場した楊貴妃。
『資治通鑑(しじつがん)』を編んだ
司馬光(1019-1086)は
彼女の特長を三つ挙げる。
豊かで艶やかな外見、 ”肌態豊艶(きたいほうえん)”
音楽に明るいこと、”暁音律”
生まれつき利発、”性警穎(けいえい)
🌾
音楽。
玄宗にとっては、関心事以上の関心事。
作詞作曲、編曲も手掛ける皇帝は、即位後
さっそく宮殿の西北、梨の果樹園辺りに
音楽教習所を設け、自ら指導に当たる。
「あっ、そこ、そこの猫、音がずれてるよ」とか……
帝立音楽教習所で器楽、舞楽、声楽の訓練に励む
若い男女三百名、人呼んで「梨園の弟子(ていし)」。
楊貴妃はといえば、器楽は
琵琶にも笛にもすぐれ、とりわけ
打楽器の一種 ”磬(けい)”の演奏は
梨園の弟子をはるかに凌いでいたとか。
磬は、大きさと厚さの違う石板を吊るして
打つと石板自身が音を出す体鳴楽器。
旋律も奏でられるというから、NHKのど自慢の
「チャイム」みたいな楽器かニャー
パイプの代わりに、緑の貴石の板だったりして…...。
美しい妃の演奏は
耳にも目にも魅力いっぱい。
居合わせた猫たちの感嘆&称賛の
グルグル喉声が聞こえてきそうです。
舞なら
「霓裳羽衣曲(げいしょうういのきょく)」。
献上された西方の舞曲「婆羅門」を
皇帝みずからが編曲、詞もつけた。
猫たちにとって
「霓裳羽衣曲」は、伝説の舞曲。
あるとき、道士の案内で
月世界に遊んだ玄宗が、月宮殿で聞いた
妙なる調べを地上に持ち帰ったと…...。
玉環を初めて後宮に迎えた時に
演奏させたのも、霓裳羽衣曲。
薄衣の袖ひるがえし
天衣たなびかせて
いまは愛しい貴妃が舞う。
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『資治通鑑』は楊貴妃を利発と評し、
”善承迎上意” と付け加える。
天子の意を迎え、当意即妙に応じる ―—
応じ過ぎて
貴妃と皇帝はしょっちゅう夫婦喧嘩。
恋の相手に猫パンチ ?
ネコの一咬み、熱いキス ??
受けた側も、果敢に応戦
「文句があるなら、出て行け!」
出て行ったあとは、残った方が
もやもやブルーの靄に沈み、周囲があれこれ気遣って
結局、いつも迎えの使者を立てることに。ついでに
自分のお膳のごちそうを運ばせたりしてニャ ♡
あるとき、後宮を「追放」された妃のもとへ
いつものように皇帝のお使者が。
妃は、泣き崩れ
「 後宮(おそば)を去るにあたって
何か思い出の品を差し上げようにも、
すべて陛下の贈りもの、自分のものといえば
父母から受けたこの髪だけ」と
匂やかな一房を、使者に差し出す。
すべては相手の贈りもの。
黄金も宝石も、地位も栄誉も―—
それだけ?
愛する猫は心に誓う。
《わたしの思いも考えも、善いもののすべてを
《あなたに贈ろう、わたしの夢もあこがれも
《大切なあなたに。
愛された猫は、わかっている。
《わたしの内なる善いものは
《すべてあなたにもらったもの。
あなたから私へ、私からあなたへ
恋猫たちの贈答の輪舞(ロンド)。
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玄宗は、即位後の開元十三年(725)
聖なる山・泰山に登り、天地を祀る
封禅(ほうぜん)祭祀を挙行する。
このとき天子として政にあたる覚悟を
皇帝は親しく隷書で認め
石に刻ませた(「紀泰山銘」)。
その要諦は、慈、倹、謙 ―—とりわけ、慈。
李氏を名乗る唐の帝室は
李耳(りじ=老子)を遠祖と仰いで
道教を信奉し、『老子』を尊んだ。
民を慈しめば、国はおのずから治まる
「愛民治国」と経典にあるが、
玄宗にとっての民とは漢人、そして非漢人。
外見も言語も風俗習慣も異なる猫たちを
(アビシニアンも、ペルシャネコも、ニホンネコも…)
天子は、礼を以て遇し、孝を尽くしたという。
同じく『老子』にいう「治身治国」。
我が身を治め国を治める、これって、儒家の
「修身 斎家 治国 平天下」(長っ!)に近いかも。
道教、儒教、そして中国に伝わって久しい仏教、
この三教を精神のよりどころとして
玄宗の治世は始まった(”開元の治”)。
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古来、中国の詩人たちは善き君主を
美人、佳人にたとえてきた。
「離騒」の屈原(BC343-BC278)も
「閑情賦(かんじょうのふ)」の陶淵明(365-427)も。
※ どこのノラ猫ニャー!「閑情賦」を屏風に表装して
遊里の部屋に飾ったのは⁉
天子・ 玄宗、美しい統治者は
時機(とき)を得て
美しいひとに出会った。
愛の神霊(ダイモーン)エロスは駆り立てる
美=善なる魂を欲し求め
<生産>せよ、と。
出会った二つの魂(いのち)は
呼び交わし、響き合い
たまゆらの余韻のうちに
一つになる。
そこに生まれるのは、新たないのち、
子から子へ、そのまた子へと
連なり連なる身体のいのち。
時空を超えて、より遠く
どこまでも広がっていく
精神のいのち。
<生産>が目指すのは
死すべきものの不死(*) 。 (*) プラトン『饗宴』207
死すべきものを不滅の存在に変える
<生産 ポイエシス>は、ときに
詩 poiesisそのもの。
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地上で出会った恋人たちに
地上で別れの時が来る。
天宝十四載(755)冬、安史の乱が勃発。
翌六月、夏の終わりに、玉環は
長安から西へ百余里(約60km)
馬嵬の山腹で果て、翌年の冬
隆基は、ひとり都に戻った。
変わらぬ宮殿のたたずまい
不在者は至るところに。
池の蓮は顔(かんばせ)
庭の柳の細い葉は優美な眉
季節は移ろい
春風に桃やスモモの花開き
秋雨に青桐の葉が落ちて
月日は流れても、愛しい人とは
夢にさえ会えぬまま。
そんなある日
一人の道士が申し出た。
「貴妃さまの魂魄をお探し申し
陛下のご懐慕をお伝えいたしましょう。」
道士は玄宗の使者となり
貴妃を求め、天翔けり地に潜り
茫洋たる東の海の彼方、ついに
蓬莱の島にいたった。
蓬莱宮の深窓に
まどろむ佳人ひとり。名は太真。
天子の使いと聞いて、驚き目覚め
華の帳を押し分けて、堂を降りて来る。
薄衣の袖ひるがえし、天衣たなびかせ
霓裳羽衣曲を舞っているかのよう。
泣きぬれて
春、雨を帯びた一枝の梨の花
美しいひとに、道士は伏して乞う、
彼女が楊貴妃である確かな証拠を。
「私が私である証し?
それは、星合の夜のささめごと
誰に知られることもなく
二人が交わした誓いのことば」
比翼連理―—
彼なくして私なく、私なくして彼はない。
いまも聞く
鮮烈の決意
いまだ忘れぬ
星々の夜の契り。
史家の冷徹なまなざしを離れ
同時代の揶揄や後世の弾劾からも
はるかに遠く、恋人たちは
詩の息吹を受けておもむく
生死の彼方、無窮の宇宙へ。
玄宗と楊貴妃
二人の物語もまた
愛の神話 mythos。
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ねこじゃら荘のネコジャラシ
庭一面の夏の名残りに
風、一陣
野分の宵に
夢の一片(ひとひら)。