ミノス王家の女性たち(Ⅰ)
トロイ戦争より遡ること数世代、
クレタ島の勇者ミノスは
兄弟たちと王位を争い
海の神ポセイドンに助勢を乞うた。
そして誓う。
神意を示す証しに
美しい獣が遣わされたなら、
これを生贄にささげよう、と。
ポセイドンは一頭の牡牛を与える。
しかし獣の見事さに心奪われた王は
誓いを破り、神の牡牛を
自身の家畜の群れに留めおいた。
* * *
そのミノスの妻パシファエは
太陽ヘリオスの娘。
王との間にはすでに多く子をなし、
二人の娘にも恵まれていた。
アリアドネと幼い妹パイドラー。
ある日、波とたわむれる娘たちを見守っていた母は
海上はるか沖合から近づいて来る
白々とおぼろな一塊に気づく。
女神ウエヌスが生まれたあの泡ほども匂やかな、
それは純白の牡牛であった。
時は春。
エーゲ海の青い風に誘われ、雌牛たちは
甘い鼻声をたくましい雄牛たちに送り
獣たちの荒ぶる恋の季節が始まっていた。
群れの中に抜きんでて
ひときわ堂々と草を食む
真白の牡牛。
練り絹を捲いたかの艶やかな角、
隆々たる筋骨、思慮深げなまなざし
内なる律動の湧出、優美な尾の動き。
いとしいものの姿を
パシファエは飽かず眺め
策をめぐらす。
恋は練達の策士。
王妃は、食客であったギリシャの匠、
ダイダロスに張り子の牝牛を作らせる。
その獣皮で覆われた木枠の空洞に身を潜め
ついに牡牛と結ばれたパシファエは
やがて赤子を産み落とす。
牡牛の頭部を持つ男児アステリオスは
”ミノスの牡牛(タウロス)”
ミノタウロスと綽名される。
「自然に反する」?
けれど「自然」は
「反する」と叫ぶ人知をかろやかに超え
光のいのちに照り映えている。
パシファエ、その名の通り
”すべてのもののために輝く女(ひと)”
太陽の娘は、いま朝の水際に佇立する。
春の光は、どこまでも広がり、立ち昇り
エーゲの海を無数の煌めきの粒に変えていく。
* * *
ミノスは
ダイダロスに命じ
迷宮を設計させた。
七曲(ななわた)の七曲り
九十九(つづれ)に折れた回廊の果て
ミノタウロスを住まわせておくために。
⁺画像はピカソのエッチング
「ル・ミノトール(部分)」による。