No.216:9.11テレビをみていたあの頃
記憶の種類の中に「フラッシュバルブメモリー」と言われるものがある。これが特殊な記憶なのかどうかは置いておいて、非常にショッキングなことがあった時、そのときの場面を写真の様に鮮明に覚えていて、なんなら後からその写真の様な物を検索出来るくらいはっきりと覚えている、そんな記憶。大昔に授業で習った時には「ケネディ大統領が射殺された時にあなたは何をしていましたか」「ジョンレノン暗殺の時~」が定番の質問だったけれど、それが「チャレンジャー号打ち上げ失敗」になってそして「アメリカ同時多発テロ事件(9.11)」になった。
日本だと「日航機墜落事故」「地下鉄サリン事件」そして大きな2つの地震。あんまり近いとフラッシュバックを起こすことも多いので、個人的・時間的にに近い物は扱わない。
私の場合日航機の時は父と一緒にテレビの前に布団を敷いてニュースをずっと見ていたこと、9.11の時はちょうどニュースステーション(現在のテレ朝報道ステーションの前番組)を見ていて、ありえない画像をみて驚いていたところに、逆からつっこんだ映像が入ってきて目を疑ったことを覚えている。その後も色々な衝撃映像を見たはずなのだが、9.11といって思い出すのはその映像を背に話す渡辺真理アナウンサーだ。久米宏の時代だったはずだが、確か夏休みかなにかで彼女がしゃべっていた。
思えばあの頃、テレビがまだ生活の中心にあった。まあ個人的に近くない事件を目撃するわけだから、テレビを見ている確率は高いわけだけど、視界のメインがテレビの画面という記憶は最近大分少なくなった気がする。今も昔も何か重大事件があれば、全面特別放送で、テレ東以外はみんな報道番組というのは変わらないのだろうけれど、テレビとの距離が少し離れたなというきがする。それは年を取ったからなのかもしれないけれど、なんとなくテレビという物への信頼が目減りしてるからのような気がする。東日本大震災の時も割とラジオを聞いていた。もちろんネットも。自分の方で距離を設定できる(流しぎきにするとか確かめる時間間隔を開けるとか)メディアの方が気が楽だったのだ。
9.11の後のクリスマスに仕事でNYに行った。格安航空券だったが、それにしても東京NY往復で4万円くらいのチケットでびっくりした(貧乏だったからありがたかったけど)。乗っている人もCAさんも少なくて、足下を誰かが飲んだビール瓶がゴロゴロしているようなフライトだった。グランドゼロにも行ったが、治安が悪くなっているから気をつけろといわれた。確かにキラキラしたNYにそこだけが、真っ黒なクレーターのように凹んでいて、ただただ何かのエネルギーを吸いとりつづけているようだった。そんなザラザラとした霧のかかった記憶。
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