おやすみタローマンを見ていて寝れなくなって
こんにちは。あるいはこんばんは。おしゃま図書です。
昨日、文学フリマでテンションがあがったせいか、普段は10時には寝てしまう私が珍しく夜ふかし。
というのも。旦那が「これ、観たがると思って撮っといたよ」と、「おやすみTAROMAN」を流し始めたのです。もう0時を回ったというのに!!!
TAROMANに釘付けに!
ひと目見て、それが岡本太郎から来ていることがわかる造形です。番組の概要には次のように書いてありました。
ほぼワンシーン・ワンカットなTAROMANの動きをね、こう、見ていたら、やはり映像って時間なんだなーと改めて思ったんです。
そして「コンテンツ」と呼ばれることになった作品はじっくり鑑賞する時間などなく、ときに早送りしてとりあえず消費する対象であり、観たあとは、特に考えることもなく「いいね」ボタンを押すだけで良く、視聴済みのリストに入るだけ。
視聴者側が時間をコントロールするボタンを手に入れた時から、忙しい現代人は、本来あるべき作品の時間を「効率化」という名のもとに倍速で流し始めたのだとすれば、それはネトフリなどよりもずっと前、ビデオデッキができたときでしょうかね。早送り、巻き戻し、エトセトラ、エトセトラ。
タローマンのスローな動きを見ていると、今の倍速で動画を見る風潮へのアンチテーゼなのではないか、なんて思ったりして、夜中にダンナと話が盛り上がりました。
You Tubeにもありました。便利な世の中ですね。
というか、去年ですか? これ放送されたの。なんで知らなかったのかしら。こういうとき、ほんとに情報弱者になったなー、と思います。
TAROMANが闘うのものとは
TAROMANは様々な怪獣と闘うのですが、その怪獣はどれも岡本太郎の作品からインスパイアされたようなものばかり。
TAROMANはタローの言葉から生まれているような気がするし、怪獣たちはタローの作品(表現)から生まれたもののような気がする。だとすると、彼は、自分の中にある他者と闘っているということでしょうか。敵とは、常に自分の中にあるのだと諭されているような気持ちになります。なんだか哲学的な、とても哲学的なテーマを含んでいそうな気がしてなりません。
そして話はアートと言葉について
そしてまた、旦那がいいこと言いました。
偶然ですが、先日見た山口晃もそうだけど、岡本太郎も言葉と表現が密接に関わっているよなと。
岡本太郎って、「芸術は爆発だ!」と突飛なことを言っただけの変人ではなく、かなりの理論派ですよね。フランス語もペラペラだし。分かり合うこと、分かり合えないこと、分かり合えないことを分かち合うこと。おやすみTAROMANを見ていたら、そんなことがメッセージなのかも、などと考えてしまい、珍しく3時まで夜ふかししてしまった!!!
そして日曜日
タローの時間を堪能した私は、逆に自分の睡眠時間を削ってしまい、翌日曜日、無理して観に行った映画をほぼ爆睡してしまいました!!!
コメディだからいけると思ったんだけどなー。
文学フリマの翌日だし。やはり、まだ若いつもりでいても、体力が持たなくなってるってことですかね。
映画で寝ちゃうとね、ダメージ大きい。タローに負けた。そんな週末でした。って、オチのない話ですみません。
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