開会式の“青い人”フィリップ・カトリーヌについて私が知っている二、三の事柄
こんにちは。あるいはこんばんは。おしゃま図書です。
パリオリンピックで覚えた単語に「polémique」があります。
日本語で「論争」という意味です。
そう、あの、「カトリックを冒涜しやがって!!!」と物議をかもした、例のシーン。
フィリップ・カトリーヌって誰?という人のために
Xでトリコロルパリさん(たぶん同年代)が、解説していたのが、一番わかりやすかったかな。多分、過去の体験がシンクロするから、まるで自分事のように「ほんと、そう!」と思えるのです。
«Nu(裸)»という曲もね、歌詞をみると、本当にいいこと言ってるんですよ。イマジンと同じよ!!!
歌詞の日本語訳も、下記のサイトで紹介してくれています。冒頭だけ抜粋しますので、ご興味ある方はぜひ!
SNSでの炎上、そしてローマ教皇庁からのクレーム…
SNSでも、こんな風な『最後の晩餐』と重ねた投稿が見られました。
でも、芸術監督のトマ・ジョリによれば、このシーンは、『神々の饗宴』というギリシャ神話のシーンからインスパイアされているとのこと。だって、オリンピックの原点はギリシャだから。ちなみに、下の絵です。
トリコロル・パリさんがアップしたインタビュー動画の翻訳より
そして、先のトリコロル・パリさんが、フィリップ・カトリーヌのインタビュー動画をすぐに翻訳してアップされていました。
私が聴いていたカトリーヌ
ネオアコ、渋谷系がど真ん中なので。多分、90年代にフリッパーズギターとかピチカートファイヴが好きだった人たちはもれなく聴いていたと思います。そういえばカヒミカリイのプロデュースもしてましたね。
ああ!!!このジャケット!懐かしい。
«Mes Mauvaises Fréquentations»
このアルバムに収録されてる曲だと、«Mon Cœur Balance»とか、好きだったかも。なんでもかんでも、Youtubeとか、Spotifyとかで、簡単に聴ける世の中になったことは素晴らしい。
振り返ってみたら、私、これの他、
Les Mariages chinois et la Relecture
L'éducation anglaise
L'Homme A Trois Mains
と、1990年代のアルバム4枚を持っていました。多分、WAVEかHMVかタワレコで買ったんだろうなー。輸入盤CDがアホほど売っていた時代。今は好きじゃないけど、当時は渋谷でよくフレンチポップスを漁っていました。
この時代のシュッとしたカトリーヌから、いつの間にか、まんまるジジイになっていました。ピエール・バルーと同じ感じ。私の個人的な感想だけれど、フィリップ・カトリーヌは、もう少し年を取ったら、ピエール・バルーに風貌が近づいていくんじゃないかなと思っています。
映画『シンク・オア・スイム(Le Grand Bain)』(フランス、2018、日本公開2020)でブヨブヨのオッサンになったカトリーヌを見たときは衝撃でしたけれど。嫌いじゃないです。むしろ、いい歳の取り方してるなーって思う。でも、フランス人の美的感覚がわからないときがあるんですよね。 別のル・モンドの記事で「le dandy poète Philippe Katerine」と書かれてたりして。それって、ダンディな詩人ってことよね? いわゆるイケオジ?
ジャン・ギャバン、リノ・ヴァンチュラ、ジャン=ポール・ベルモンド、ジェラール・ドパルデューなどと同じ系譜に入るのかしら。
でも、同じような風貌のヴァンサン・マケーニュは、非モテ男子を演じることが多い。これは、いかに?
ル・モンドのインタビュー記事より
では、そろそろ本題へ。フィリップ・カトリーヌは、開会式後、様々なメディアのインターネットに答えていますが、ル・モンドのインタビューまとめを選びました。それにしても。昼何食べた?から始まるのって、斬新ね。
とにかく、ル・モンドの記事の見出しが、すでに震えるくらいカッコよい。
« Ce qu’il y a de plus beau dans la foi chrétienne, c’est le pardon »(キリスト教の信仰で最も美しいことは許しだ)
このコメントって、披露した曲«Nu(裸)»とも通じる気がしませんか?
フィリップ・カトリーヌの様々な歌を引用しながらのインタビューなので、それがどんな曲かも合わせてリンクを張っておきます。よかったら見てみて!
というわけで以外、訳です!
記者の書き出しっぷりもスノッブですわ。さすがインテリ。
«En 2008, je nous voyais avec nos têtes colorées/En bleu ou en orangé/Selon ce qu’on aura mangé(2008年、僕らはカラフルな頭でいる姿を想像していたんだ。食べたものによって、青色になったりオレンジ色になったりしてね。)»
フィリップ・カトリーヌは自身の歌 «78.2008» でそう歌った。そして、その予言通り(?!)2024年7月26日金曜日、パリ・オリンピックの開会式で、このヴァンデ出身のアーティストが、青い肌、オレンジ色の髭、満腹のお腹で、世界中の人々の前に姿を現した。レオナルド・ダ・ヴィンチが描いた『最後の晩餐』のイエス・キリストを思わせるひげをたくわえたディオニュソスという異教の神々を描いたのだ。
世界で最も裕福な男、イーロン・マスクは自身のソーシャルネットワーク『X』で彼を非難し、他の人々は彼に支払われたとされる高額なギャラ(実際は200ユーロ)について空想した。この55歳の歌手兼俳優が、食事を消化しながら私たちに説明してくれた。
―― フィリップ、ランチは何を食べたの?
「鴨のコンフィ。素晴らしい。旬のものだしね」
―― セレモニーの前は?
「コック・オ・ヴァンを食べたよ。ワインも一緒にね」
―― 酔いと恍惚の神、ディオニュソスになりきったわけですね。どうやってそこに行き着いたのですか?
「式典のディレクター、トマ・ジョリにデモテープを送ったんだ。これはオリンピックのための曲だ、とね。彼を納得させるために、私は3つの論拠を提示した。まず、和解のアイデア:裸になれば無害になり、手をつなぐ。ポケットがないから、ポケットに武器を隠すこともない。第二に、脱成長:裸になれば服を買わなくなる。そして最後に、選手たちが裸で競い合ったオリンピックの原点に戻ることだ。」
―― トマ・ジョリはどう考えた?
「彼はたくさんのデモテープの中から、私のデモテープを覚えていてくれた。光栄だったよ。彼は自分のストーリーを持っていて、私はそれに合わせる必要があった。私はその中で演じなければならなかった。結局、私は俳優だった。正直、深く考えようとはしなかった。彼はディオニュソスのことを考え、私を青く塗ることを提案してきた。私は裸になりたかったけれど、何も見せたくなかったので、誰も驚かせたくなかった。そこで、解決策を見つけることにした。
―― 2010年、あなたは «Non mais laissez-moi/Manger ma banane/Tout nu sur la plage(ただバナナを食べさせて/浜辺で裸で)»と歌った。そしてその5年後 «Quand t’auras plus rien/Pareil à l’oiseau qui vit peu mais bien/Sans rien ni réseau/Tu seras ce roi qui s’en va tout nu/Profiter des oies, du manque de revenu. (何もなくなった時、わずかに歌を歌ってくれた鳥のようになろう。何も持たず、繋がりもない中で、裸で去っていく王のようなものになろう。ガチョウたちや、収入がないことを楽しむのだ)» と歌っています。なぜあなたのディスコグラフィではヌードが目立つのですか?
「音楽を作るとき、トラックやアレンジを積み重ねる。裸でギターに声を乗せるのが一番だと思うこともある。それが一番意味がある。人生も同じ。私たちは他者に語りかけるために多くの作為を用いる。その作為はしばしば混乱を招く。ヌードの方がはるかに好ましいこともある。私は自然主義者ではなく、どちらかというと控えめで内気なタイプだ。だからこれらの曲は、個人的なフラストレーションに対する反応なのだろう。」
―― あなたのパフォーマンスは一部の信者を怒らせました。このことを理解していますか?
「一人の人間が一つのものを千差万別に解釈することができる。それをコントロールすることはできない。私の見方と違う人がいても問題はない。確かなことは、トマ・ジョリと私は宗教について話したことはないし、レオナルド・ダ・ヴィンチの絵である『最後の晩餐』について話したこともない。キリストについての質問は一切なかった。私はこの反応に驚いた。私はキリスト教で育ったが、この信仰で最も美しいのは赦しという考え方だ。だから、もし私が誤解を漏らしたり、人を怒らせたりしたなら許してほしい。本当に申し訳ない。私は、赦しは相互的なものだと信じています。」
―― あなたは1999年に« Jésus-Christ mon amour/Les caresses du vent/C′est comme un chant d’Amour/Pour les malentendants (ジーザス・クライスト・マイ・ラブ/風の愛撫/それは愛の歌のよう/聴覚障害者のために)» を歌いました。あなたを攻撃しているフランスの司教たちに何と言いますか?
「テーブルの上に宗教的なサインがなかったこと、十字架がなかったこと、割れたパンやワインが出されなかったことは簡単にわかります。フランスの司教たちは物事に火をつけたがっているという印象を受ける。火打ち石が1つでは火はつけられない。2本必要だ。」
―― «Marine le Pen, oh non/Mais Marine le Pen, non mais/Tu le crois pas/Tu le crois ça ? (マリーヌ・ルペンだって? ありえないよ)»
結局、あなたを攻撃したのは、彼女の姪であるマリオン・マレシャル・ルペンだった......。
「私は右翼のキリスト教徒と一緒に育ったので、彼らのことはよく知っている。私は右派のキリスト教徒と一緒に育ったので、彼らのことはよく知っています。彼らはプライベートで神を冒涜する最初の人間です。
―― テニスプレーヤー、ヤニック・ノアの曲「Saga Africa」をカバーし、ジル・ルルーシュ監督の『シンク・オア・スイム(Le Grand Bain)』(2018年/日本公開は2020年)では水泳選手役を演じましたね。オリンピック期間中はどのスポーツに注目しますか?
「私は若い頃バスケットボールをやっていたので、まず第一に興味のあるスポーツであることは明らかです。それから、もともと好奇心が旺盛なので、水球、バドミントン、卓球、フリスビー......オリンピックの大きな特権は、見たことのない種目を発見できることです。私にとってスポーツ選手は鬼神だ。白装束に身を包み、セレモニーの最後に聖火を交換する姿を見たとき、それは壮大なものだと思った。」
―― 特にブノワ・フォルジャール監督の『ガズ・ド・フランス』(2015年)では、かなり説得力のある国家元首を演じていました。どう思いますか?
「ご親切にありがとうございます。でも私の性質は亡命と秘密主義に傾きがちなんです。」
ル・モンドで引用されたフィリップ・カトリーヌの歌たち
俳優業のフィリップ・カトリーヌ
あまり、日本で公開されていませんが、『シンク・オア・スイム』とか、『エージェント:ライアン』は日本でもやってました。
昨年亡くなった女性映画監督ソフィー・フィリエールの遺作にも出ているんですよね。ぜひ日本公開してほしい。ここまで“青い人”の話題性がある今!今でしょ!今配給するっきゃないでしょ! と、鼻息が荒くなる私なのでした。
青い人、中国で大バズり
インスタで、青い姿をスマーフ(フランス語だとシュトルンフ)に例えている人なんかもいましたけどね。
なんか、中国でバズってるらしいんですよ。
シュトルンフのアーティストって(全然違うのに)
あれですね。日本でトルコの無課金オジサンがバズってるのとおんなじ感じでしょうかね。まぁ、こういうのは微笑ましいやね。
でもね。フィリップ・カトリーヌが言うように、「汝の隣人を愛せよ」なんじゃないんですかね。キリスト教って。
このカトリックの論争にしても、裏を返すと、対アメリカだったり、対極右だったりがすけてみえてくるわけですね。姜尚中氏のこの論説の中で、次のように語られていたことがとても印象的でした。
フィリップ・カトリーヌ自身は、どのインタビューを見ても、割とひょうひょうとしているけれど、自身がLGBTQ+である芸術監督のトマ・ジョリやDJバーバラ・ブッチは、かなり脅迫(殺人予告的な?)を受けていて、捜査も始まったそうで。ほんと、結局、一枚岩ではない“多様性”って難しいですね。
この辺、日本の謝罪会見とはひと味違うなぁと思います。
基本、「僕ら、悪くないし。そう思ってるのはそっちの都合でしょ?」ってスタンス。日本だったら、誰のことなのかよく分からない”世間”に対して謝るけど、そういう感じがないのも、なかなかフランスっぽいな、と思いましたが、どうでしょう?