1936年2月26日前後、旭川の小学生男子の日記
亡父は小学時代の数年間を札幌近郊と旭川で過ごした。旭川に住んでいた9~11歳頃の日記(担任教師に提出していた痕跡あり)がまとめて残っているのだが、ちょうど例の事件に触れた日記があるので、季節柄ここにまとめておく。
旧字は新字にしましたが、かなは本人が書いたものに寄せています。
☆父が通っていたのは、当時は特定の職業(お察し)に就いた人の子だけが入学していた学校らしいので、例の事件への触れ方も一般的な小学校のそれとは違っていたかもしれないです。
「総せんきょ」、第19回衆議院議員総選挙ですね。ほんとに投票日が2月20日だったので、おう…となった(語彙力)。
ケンカはN君とO君の間で起こったことで、本人は目撃者だった模様。
O君が乱暴者なのはよくわかった。
見出し画像はその日記の挿絵。
天気と気温の記入欄があるけど、気温は「華氏」で書かれてます。
朝礼がなかったのは、悪天候のせいだったようです。
2月23日(日)何して遊んだ的な通常の内容なのと画像の下の方が切れていたので本文は確認してから入れますが、絵がアレなのでその部分だけ載せます。上の絵といい何をお手本にしてるのやら。
2月26日当日。ごく普通の内容。挿絵なし(画像は省略します)
2月29日。「荷造りのお手伝い」は、父親の転勤で引っ越しが決まっていたから。
そして。
「東京で色々の事けん」があり、学校が休みになり、引っ越し(東京ではない)も延期に。「東京の事件」を説明したのは父親だろうか。
そして。
「特別の事情」で記念日が休みでなくなり、登校して「お話を聞いた」。
そこ、どんなお話を聞いたか書いていないが、日記全般たいてい「学校で何のお話を聞いたか」書かれていないのだった。残念。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?