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昭和16年に16歳男子が書いた、6つ上の姉の追憶

筆者の亡父が16歳の時、若くして亡くなった自分の姉の遺稿集に寄せた序文を転載します。
背景的なことはこちらに書いてます。

https://note.com/petitelanterne/n/n8038259fa499

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 死んだ姉のことを考へるのは餘りにも悲しいことだ。けれども僕を其の悲しみから救つてくれるのは矢張りそれを考へることより外無いやうな氣がする。僕と姉とは年が幾分離れて居た關係で餘り喧嘩をしたこともなく、彼女は何時も姉らしいやさしい氣持で僕を愛して呉れた。よく僕はこの姉とつまらぬことで議論してはしよつちゆう遣り込められて居たものだ。僕がだんだん大きくなつて色々な本など讀みたい頃になると、姉はあれやこれやとさう言ふもののことを教えてくれた。そして自分が女學生時代讀んで感激した作家のことや、其の作家が通俗物を書き出して失望したことや色々な話をした。又「お前が早く大學に行つて私に色んなことを教へてくれられる様になるといゝ。」などとも言つて居た。
僕にとつてさう言ふ暖い存在であつた姉が急に死んでしまつたのである。一年半ばかり前僕達一家は父を失つて居た。父は頑健其物の様な肉躰の持主であつたのに、不治の病の爲病んでから一年しか生きることは出來なかつた。其の恐しい不幸もやがて追憶とならうとして居た時に姉がチブスに罹つたのである。どうして僕達にその報せが容易に信ぜられたゞらう。まるで悪夢だつた。併し事實は事實だつた。學校を休んで東京の病院へ駆けつけた僕達の眼の前には瀕死の姉が居た。もう其の顏は黒ずんで死期の近づいたことを示して居た。そして濁つた目で僕も一緒に來たのを知ると、自由に動かぬ舌で「よく來たね。」と言つて微笑むのだつた。僕はもう何を言ふことも出來なかつた。姉の方を向いて微笑まうと思つても口がひきつつた様にゆがむばかりで涙がほろほろ流れ落ちるのだつた。さうすると姉は、「何をにやけてるの。」と廻らぬしたでゆつくりと又微笑んだ。
かうして数日後姉は息を引き取つたのである。
それから半年餘りたつた今日、出版することになつた姉の遺稿を讀みかへして見て感ずるのはさゝやかながらも姉の生活の或断面を表すことの出來るものが僕達の手許に残る喜びである。
僕は全然姉の書いたものなど手紙以外に讀んだことはなかつた。けれども僕は何ら其の遺稿を見て新しいものを發見しはしない。其れは生前のあるが儘の姉の姿であり、悲しい追憶である。しかし其の悲しみは僕の今の心と同じ或部分を永久に占めて居て、常に僕を純粋にしてくれ、時には或力をさへ與へてくれさうな氣がする。姉の思ひ出は悲しい。併し純なものだ。そしてそれが純な形の儘で残つてくれることになつたことを僕は喜ぶ。
 
昭和十六年九月 ○○(父の名)

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父は大学進学直後に兵隊にとられるも戦地に送られる前に終戦を迎えた。大学に戻って勉強を続け、そのまま勉強を職業とした。
少年時代の父に「お前が早く大學に行つて私に色んなことを教へてくれられる様になるといゝ。」と願った伯母は、さぞかし天国で喜んでいただろう。

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