錦糸町のトコちゃんスピンオフ☆トコちゃんのお母さん娘時代のエピソード
お母さんに聞いた話を書いておきます。
お母さんは世田谷の用賀で生まれ育ちました。
お母さんのお父さん、私のおじいちゃんは昭和29年、お母さんが15歳の時に他界したので、生活は苦しく、沢山の下宿人を置いていたそうです。
下宿人には富山の薬売りの人たちも多かったそうです。
その中の一人、南部さんという人は、いつもご飯を食べ終わっても部屋に戻らないで、母がご飯を食べているのをうれしそうにずっと見ていたそうです。
顔もすごく近くて嫌だったけれど、若い娘だったから嫌とも言えなかったそうです。
ある日、お母さんの兄の二郎おじさんも一緒に食べていたら、南部さんは2人の顔を見比べて「二郎君の肌は栄子ちゃん(お母さん)よりもキレイだね」と言ったそうです。
お母さんは
「ホントに失礼しちゃうわよね!」
と、いつも怒って笑いながらその話をします。
二郎おじさんは、疎開から戦後にかけて、山形庄内の遊佐町に住んでいました。
遊佐町は用賀のおばあちゃんの故郷です。
美味しいお米や新鮮な野菜が豊富なので、お母さんやきょうだいたちは疎開していた時、毎日美味しいご飯を食べていました。
けれど戦後にきょうだい皆で東京に戻って来た時、二郎おじさんはご飯が美味しくなくて全然食べられなくなってしまい、一人だけすぐ遊佐町に戻り、そのまま10代を過ごしたそうです。
庄内地方は東京よりも紫外線が少ないので、
「二郎おじさんは18歳くらいで帰って来たとき、ホントに肌がキレイだったわ、白い陶器のようで。
でも田舎暮らしで大変なことも沢山あったみたい。
家族から離れて淋しかったと思うし。
でも生活も苦しかったから、一度行ってしまったら大人になるまで帰ることは難しかったと思うの。
これも戦争の悲しい記憶ね」
二郎おじさんは、お母さんのきょうだいの中でも一番、きょうだい想いで、いつもみんなの心配をしたり、困った時はすぐに助けてあげたりしています。
たぶんそんな時代があったから特に、きょうだいを大切にするのかなと思いました。😊