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愛に押し出されて

「この子には主の力が及んでいたのである。」ルカによる福音書1章66節

 最近では珍しく、仕事関係でなんだか忙しい日。なぜかといえば、もともと入っていた予定に加え、ペンディング状態にあった案件について片付けようと自分で動いた結果、案外周りの反応が早く、急に色々とやることになった(なってしまった)ためである。これは必ずしも悪いことではないようにも思うが、ただ使える時間には限りがあり、やるべき仕事はほかにもあり、それぞれにリミットがあり、ひとつひとつある程度大事にしなければならないわけで、そこには優先順位の設定と取捨選択が必要となる。また、自分ひとりでやれることは少なく、周囲と協力しながら、歩調を合わせてやっていかないとうまくいかない。そして自分が周囲から影響を受けるのと同じかそれ以上に自分が周囲に与える影響は大きかったりする。

 基本的に誰もが今までやってきたようなことを今までやってきたようにやりたいものであり、新しいことを始めるのはなかなかハードルが高いものだ。そして、新しいことに踏み出す時は、突然にやってきて、やむを得ず踏み出さざるを得ないような時が多いような気がする。事前に準備などほとんどできない中で、進むしかない。

 これまでの慣習や自分の思いとは裏腹に神の大いなる力に動かされ、救い主イエスの歩む道を先立って整えていく洗礼者ヨハネの父母として関わることとなったエリサベトとザカリア。神の愛に信頼しなければ、とても受け入れられなかっただろう。でも、その戸惑いを超えて、神の愛は彼らを押し出した。

 その時が来たらもう導かれるしかない。主に委ねて明日の日も歩んでいこう。

2021.12.21

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