苦しみの中で生きる
4:7 ところで、わたしたちは、このような宝を土の器に納めています。この並外れて偉大な力が神のものであって、わたしたちから出たものでないことが明らかになるために。
4:8 わたしたちは、四方から苦しめられても行き詰まらず、途方に暮れても失望せず、
4:9 虐げられても見捨てられず、打ち倒されても滅ぼされない。
4:10 わたしたちは、いつもイエスの死を体にまとっています、イエスの命がこの体に現れるために。
4:11 わたしたちは生きている間、絶えずイエスのために死にさらされています、死ぬはずのこの身にイエスの命が現れるために。
4:12 こうして、わたしたちの内には死が働き、あなたがたの内には命が働いていることになります。
4:13 「わたしは信じた。それで、わたしは語った」と書いてあるとおり、それと同じ信仰の霊を持っているので、わたしたちも信じ、それだからこそ語ってもいます。
4:14 主イエスを復活させた神が、イエスと共にわたしたちをも復活させ、あなたがたと一緒に御前に立たせてくださると、わたしたちは知っています。
4:15 すべてこれらのことは、あなたがたのためであり、多くの人々が豊かに恵みを受け、感謝の念に満ちて神に栄光を帰すようになるためです。
(コリントの信徒への手紙二 4章7-15節)
大したことをしていないのに、疲れている感がある。最近飲んでいる薬のせいもあり、いつも以上に常に眠い。そしてあまりに日々の進歩がない。何もできていない。同じような毎日に疑問を持たないことは、気持ちを楽にする部分もあるが、結局何の解決にもならない。そうしてまた問題を先送りにして時間が過ぎていく。
四方から苦しめられ、途方に暮れる。虐げられ、打ち倒される。もう限界なのではないか。終わりにした方がいいのではないか。そうした思いにかられることもある。しかし、神はそんな私たちをけして見捨てない。それどころか、私たちの代わりに苦しまれる。そしてまた明日を生きよ、と呼びかける。その明日も苦しみは苦しみのままかもしれないが、そこで生きることを神は求められる。
主の十字架と復活を思い起こし、感謝して、与えられたこの命を明日も生きよう。
2021.3.8
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