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そうじ+あそび。ゆるく、たのしく。新しい公園の遊びかたを開拓する。

みんなの公園が、いい場所であるように。そんな思いで公園ボランティアをしている人は結構います。私も、そのひとり。近所の公園が、気持ち良いいい居場所で、安全で楽しいいい遊び場で、優しくてほっとするいい憩いの場であってほしい。

公園愛護会というサポート制度で、月1回のそうじや草取りをしながら、仲間たちと公園のことを思う活動をはじめて、もうすぐ1年。

公園愛護会とは:
行政と市民が協働して地域の公園を守り育てるための制度で、定期的な清掃や除草、設備破損の連絡などを行う市民の公園ボランティア活動です。
制度の詳しい内容は各市町村ごとに決められています。

秋の落ち葉、冬は寒さ、春は花が咲いて、夏は伸び続ける草!!その間、掲示板を作ってつけてみたりLINE公式をはじめてみたりコロナで活動自粛もあったり。

やってきて、思うのは、

1)やると案外、たのしい。(やらされると、ただの苦行でしかない)
2)ゆるく、たのしく、あそびながら、が重要。
3)知らない世界、奥が深い。もっと知りたい。

こんな感じ。

1)やると案外、たのしい。(やらされると、ただの苦行でしかない)

これについては、もう、そのまんまで。公園の新たな楽しみ方のひとつ。いつも同じ遊びパターンに陥りがちの日常に、新たなアクティビティが登場する。毎回ブランコを押し続ける修行のような時間の繰り返しからの解放。

季節によって落ちているものが違う(花びらや落ち葉の種類も!)のも発見だし、虫博士のような少年にダンゴムシのオスとメスの見分け方をレクチャーしてもらったり、鎌で草を刈るとかこれまで未知の道具の使い心地に感動したり(これまでやってなさすぎ)、もう少しレベルの高いところだと、紫陽花の剪定やったり、植物の知識もつく。庭のない暮らしでも、草や土に触れて、なんだったら花だんを作って花を育てることも不可能じゃない。しかも市から公式にサポートされているという心強さ付き。

みんなでやると楽しくて、子どもたちも、日常の中の非日常のような時間を楽しんでいる。うちの場合、ゴミを拾うことが身近になったあまり、落ちてるゴミに興味を示して、海で勝手にビールの空き缶を拾ったりするから、親としてはドキドキするけど、まあ良い感じに育ってくれてるんじゃないかと思うことにしている。そういえば私も子どもの頃、住んでいた団地でときどき草取りがあって、大人たちが働いているのを見ながら手伝ってジュースもらった記憶がある。そういうのって覚えてるんだよね〜とこの間仲間と話していた。

やらされると、ただの苦役にしかならない。そんな奴隷みたいなことする必要はない、でも自分からやると思っていた以上に楽しい。そしてスッキリする。草がスポッと抜けたときなんか、ミニ芋掘り感覚を味わえる。ひとりじゃやらないけど、みんなでやると断然気持ちいい。

公園そうじとか、高尚で時間のありあまった暇人しかやんないでしょ。という固定概念は捨てた方が、楽しい。

2)ゆるく、たのしく、あそびながら、が重要。

「やらなきゃ!」と思うと、途端に義務感が発生して、その先は苦行への道に繋がってしまう。「あそこにサボってる人いま〜す」とか、そういう小学生の掃除時間のような視点も排除すべし。

やりたい人が、やりたい分だけやって、やりたくない人は、やらなくていい自由。あくまでも自由意志で、ゆるくやることが大切だというのは、やっていて改めて思うこと。

効率や成果を求めると、どうしても厳しい雰囲気になってしまう。でもこれは、仕事ではなくて、ボランティア!。やることに意義があるし、続けることに意味がある。楽しくないと、続かない。

そして公園は、だれもが受け入れられるべき場所。そうじしなくたって、そこに居ていいじゃない。自分がやりたいように、思うように、自由に遊んだらいいじゃない。だって、公園だもの。

仕事や生活に追われる毎日の中で、「やらなくていい自由」を持つことは、どれだけ豊かなことだろうか。心のサードプレイスは、楽しさとゆるさが重要だ。

3)知らない世界、奥が深い。もっと知りたい。

ということで、公園そうじをやっていると、知りたいことが増えてくる。これはもしかすると、社会人になると学びたいことが増えるという感覚に似ているかもしれない。

草取りなんか、ものすごく奥が深くて、時期とか、頻度とか、やり方(根をどうするかとか)とか、虫取り遊びのための虫の居場所の確保どうしとくとか、毒をもった虫や植物の種類や対処法とか、やればやるほど、知りたいことが増えてくる。

道具も、草を刈る鎌や、ちょうどいい長さで切れるハサミ、落ち葉を集める熊手やホウキ、砂は落として葉っぱだけ拾えるチリトリのような箕(み)、それぞれの作業が便利にできるような道具があって、その仕様もさまざま。どのタイプのどの道具がどれだけあると便利とか、ほんと教えてほしい。

かたや世の中には詳しい人がいて、一方の当たり前はもう一方の全然知らない世界だったりするので、あっちもこっちも繋がったらいいなあと思う。


新たなあそびの実験、人と人の距離を縮める仕掛け

そんな感じで、公園愛護会の活動をゆるく、楽しくやっている。そうじ以外にも公園の新たな楽しみを見つける遊びをし始めている。

この間、外で工作あそびをした。前に実験した紙の鳥を飛ばそうのつづき。いろいろ試して、今後定番化していくかどうかを判断しようというスタンス。

仲間が、材料を用意して、子どもたちに手順をシェアしてくれた。安全のためあらかじめ切っておいた紙をつかって、好きな色をつけて、のりやテープを使って、組み立てる。

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この日は、つくって飛ばす鳥よりも、自分が鳥みたいになれる冠づくりが人気だった。カラフルだったり、ピラピラが多かったり、長かったり、いろんな個性の鳥。走り回って、風を感じて、自分だけに聞こえる音を楽しむみんな。その後、ブランコに乗ったり、自転車に乗ったり、もっとバージョンアップしたりして、ずっとずっと改良を続ける小さな鳥人間たち。

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大きな子のやり方をみて、小さな子が教わったり、逆もまた刺激を受けたり学んだり。自然と異年齢のコミュニケーションが生まれていた。それは大人も子どもも。顔は知ってるけど話したことのなかった子とも、距離が近くなったような感じだった。

そういう距離を縮める仕掛けが、いろいろあったら、公園はもっと地域のハブになっていくだろうし、地域が豊かになるんじゃないだろうか。子どもも大人も、いろんな世代が。ちょっとした会話や作業から、ゆるやかに縮まる距離。あいさつしたり、ちょっと話したりするようになる、それがお互いの見守りにもなって、温かい空気になっていったら、最高だ。

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