2015年10月第5週
30日(金)
人生4度目の修学旅行へ出かけます。この修学旅行の目的は 奈良クラブ の試合を 奈良 の地で観戦すること。地域リーグ から今シーズン JFL 昇格を果たしたクラブの盛り上がり具合をこの眼で確認しに行きます。修学旅行以外でも 奈良 に来てくださいという コールリーダー さんのお言葉を勝手に真に受けてン十年ぶりの 京都・奈良 へ。しかも最近になって対戦相手の アスルクラロ沼津 にあの ゴン中山隊長 が現役選手として復帰したとの報が……。そんなこんなで 奈良 へ オッサン を向かわせます。3週間前にぷらっと決めた旅なので ぷらっとこだま を利用しつつ、日ごろ計画をたてらえなかったツケは車中の一人 ドラフト会議 を開催して旅の詳細を決定します。
京都駅 到着です。本来なら 京都 観光をすましてから 奈良 へ向かう予定でしたが、出発前日に発表された SP京都フットボールクラブ の JFL 退会の知らせを受けて急きょ変更です。明日改めて 京都 に来ることにして 奈良 へ向かいます。近鉄特急 の色、くすんだオレンジと紺、I die!! です。もうあまりに好きなので オッサン 的には 関東 でも走らせてくれることを期待したくなります。どこかありませんかねぇ。
西ノ京駅 で降りて 薬師寺 到着です。本坊社務所 に近い横門からお邪魔します。
これを見たとたんに、平安京 の世界へタイムスリップです。映画 バックトゥーザフューチャー も 天平時代 のここへ デロリアン で乗りつけたら ハリウッド の 音響 さんが間違えて効果音として 中国 の ドラ の音の連打が挿入されるに違いありません。
金堂 を西側から 中門 へ向かう途中の 西塔 です。傾きかけた陽がこの塔の形の美しさをシルエットとして見事に切り出します。
東塔 は大修理のためすっぽりと囲われていました。金堂 はまさに 青丹よし という言葉が思い出されます。加えて絶妙なバランスの建物です。素晴らしスグル。
西塔 の 初層内陣、東塔 の 水煙、玄奘三蔵院 の 大唐西域壁画。少し急ぎながらも堪能しました。小学6年の時に初めて出会った 薬師如来 さんと 日光・月光 の 両菩薩 さんですが、37年後も変わらず迎えてくれる素晴らしさ、それだけでもありがたくなります。そして自分の重ねてきた歳と仏像たちの時間経過を比較して、人間の業のなんとも情けなく小さくはかない感じに思いをはせる時間となりました。時間ぎりぎりまで消費して 西ノ京駅 へ向かい 薬師寺 にお別れです。
大和西大寺駅 を経由して 近鉄奈良駅 へ到着です。「いっしょに写真とろうよ」の呼びかけに素直に応じるのが オッサン です。すぐさま自撮りを試みます。
しかし「とろうよ」と呼びかけられたと思ったのは空耳だったようです。せんとくん にカメラ目線を断られる事態となりました。これには オッサン、せんとくん にちょっとがっかりです。ここだけの話、つの や て に ぶらさがって やろうかと思いましたがいい大人なので自粛しました。
奈良公園 に来た感がプンプンします。鹿の飛び出し注意の標識、これだけ街中にあるのは日本中でたぶんここだけです。
東大寺南大門 前まで来ました。鹿の飛び出し注意ですが、むしろ人間の飛び出しに鹿が迷惑しているのではないか心配になります。オッサン、なぜか鹿さんにガッツリ興味を持たれたみたいです。思いっきりガン見されています。
中門 へ到着。屋根の張りが絶妙です。南大門 もこれから入る 大仏殿 もそうですが、大きな建物はそれだけでなんとなくバランスが違うように感じます。
廻廊 の中に入るとまったく違う世界に来たようです。まさに 天平時代 の人々の思いにチューニングしてしまう景色です。しかしこれはこれで屋根を大きくとったデザインが設計者のセンスの良さを感じます。
南大門 まで帰ってきました。左目が白く濁った鹿さんが見送りに来てくれました。なにか語ってくれていたように思いますが、私にわかるのは 日本 語 と 広島弁(備後地方 限定)と つたないネコ語 だけなので理解できなかったのが残念です。
JR奈良駅 近くに宿を取りましたので駅に立ち寄ってから向かいます。もう駅舎としての役割を終えた 奈良市総合観光案内所 の建物が実は 京都帝室美術館 の懸賞設計に落選した設計案を再利用したものであることや、建物ごと引いて元の位置から 18m 移動されたことは帰ってからこのノートを書いている間に目の前の箱から教わったことです。
10月31日(土)
さて、29日に飛び込んできた SP京都FC に関するニュースにより2日目を 京都 への訪問に変更します。JR も利用したいところですが元 近鉄バファローズファン としてはやはり自然と 近鉄奈良駅 へ足が向かうことになります。さっすが 古都・奈良 です。Y! mobile も赤ではなく茶色をまとっています。
京都駅 で乗り換えましたが、高校入学直前に訪れた時にはなかったと記憶している30番台のホームにびっくりです。乗る予定の電車の 33番線ホーム出発 の案内表示を見て、どこへ連れていかれるか少し不安になったのは 東京駅京葉線ホーム を知る人でしたら理解していただけるものと確信しています。初めて JR嵯峨野線 を利用して 太秦駅 へ到着です。修学旅行と映画村がなければこれを うずまさ と呼ぶことを オッサン が一生理解することがなかっただろうと思う地名です。
もうね元 撮り鉄 の オッサン には踏み切り待ちも大切な時間になります。JR山陰本線(嵯峨野線)と 京福電鉄嵐山線 の踏切での通過電車待ちを写真撮影の楽しみに変更します。
広隆寺 の 楼門 前です。しかし路面電車と多少クランク気味の十字路が重なる交差点では都内某交差点並みにひんぱんにクラクションが鳴ります。
もうこれ以上望みようがない秋の空です。日頃の オッサン の行いの正しさを表しているかのようです。(ホントに思っているわけではありません。 京都 にお集まりの皆さんの日頃の行いの総和が オッサン の数々の悪行のマイナスポイントをはるかに上回ったと理解しました。)
小学生のときに出会った 弥勒菩薩 さんですが、ホントにお優しいお姿が変わらないのを確認して安心して 広隆寺 を後にします。JFL を退会する SP京都FC が 西京極陸上競技場 で ソニー仙台 と対戦することを出発前に確認したため、2日目を 京都 訪問&サッカー観戦 に変更して 西京極競技場 訪問のため 四条大宮 まで 京福電鉄 に乗って行くことにします。
終点の 四条大宮駅 乗り換えで 阪急京都線大宮駅 から 西京極駅 到着です。昔、隣に住んでいた同い年の I 君がファンだった 阪急ブレーブス の準フランチャイズ球場の 西京極球場 (現・わかさスタジアム京都)脇を通って 西京極陸上競技場 へ向かいます。その途中に 京都サンガ・京都ハンナリーズ・京都フローラ の自販機が三つ並んでいたので思わずポチリました。京都を本拠地としている サッカー・バスケットボール・野球(女子!!!)のプロチームです。
ここ西京極陸上競技場は全国的には高等学校駅伝や都道府県対抗女子駅伝で有名ですから女子マラソンのオリンピックメダリスト3名有森裕子・高橋尚子・野口みずきの足型のモニュメントがあります。当たり前ですがオッサンの足と比べるとちっちぇーぞ。
JFL の試合ですからスタンドはかなり寂しい感じになります。ただ30年前の日本のトップリーグもこんな感じでしたから、当時のことを思い返すと純粋にサッカーをどれだけ普段から好きかが勝敗を分ける鍵になります。
クラブが解散というわけではありませんが、JFL というリーグから退会することになった SP京都FC です。まぎらわしいことに2013年1月にトップチームを解散した SAGAWA SHIGA FC とは違うクラブチームです。佐川印刷サッカー部 として発足しているので区別のために「印刷」と呼ばれているようです。ちなみにチーム全員が 佐川男子(ただし 印刷 )です。
ソニー仙台 には 川崎フロンターレU-18 出身の 山田 佑介 選手が所属。いかにも フロンターレ のアカデミーっぽい雰囲気の選手です。写真は普段の甘いマスクに反して厳しめの顔つきのものをあえて選んで掲載しています。
ゲームは ソニー仙台 が追いついて 1‐1 の引き分けに終わりました。写真の二人は SP京都FC の 宇佐美 潤 選手と ソニー仙台 の 中村 元 選手。横浜 に帰宅後に調べたら、ともにトップチームが消滅した SAGAWA SHIGA FC に以前所属していた選手でした。試合終了のスタンドへのあいさつが終えたあとにメインスタンド前にやってきて、知り合いの方に写真を撮っていただいていました。二人していい顔をしていたので知り合いのカメラの背後からひとポチリいただきました。
SP京都FC でそれとなくうまいと感じさせたのは 吉木 健一 選手。守備のポジション取りがうまく、彼付近のスペースから攻めを組み立てることはほとんどできなかった印象です。競技場外に並んで立っていたのぼりでご紹介します。
当初の予定では 西京極陸上競技場 から 清水寺 へ向かう予定でしたが、バス停まで来ると 京都外大前 行に乗れば 慈照寺 まで直接行けることが判明。変更して 慈照寺 を目指します。途中 四条 の繁華街を抜けるのに時間がかかり少し遅れて到着です。しかし、前に来た印象ではこれほど整っていた寺へのアプローチではなかったように思いますが、オッサン の適当な記憶があてにならないのは本人がよく知るところです。
夕暮れが迫る時間でしたので建物より 鳳凰 のシルエットに意識が行きます。ちょっと寂し気な感じをかもしだしているので オッサン 的には萌えポイント高しです。
もうね、一体感というのですか?。ガキンチョ のころ、わびさび を初めて体感した場所です。人がいぱーいでそれどころではないですが、某日本代表 キャプテン 長谷部 誠 なら思わず 心を整える ことに専念してしまう場所に違いありません。
夕日と 銀閣 です。この光景を眼にできただけでもここへ訪れてよかったと思えます。今日1日で2か所でしたが オッサン の 京都 のお気に入りをまわることができて満足の夕暮れです。
タイムズ のサインも白い色をしています。けっして色あせたわけではなさそうです。古都ならでは配慮で お・も・て・な・し といったところですか。
今出川通 を 京阪鴨東線 出町柳駅 まで徒歩移動です。途中の西の空のグラデーションが見事でした。今日の京の宵は特に良い!!!、ということにしておいてください。
駅を降りてホームまで来たら昔 撮り鉄 だった オッサン を刺激する編成が……。機関車THOMAS!!!。もちろん急きょ撮影決定です。動き始めに何とか間に合った1枚です。
11月1日(日)
修学旅行最終日。朝の 奈良公園 へ出かけて 奈良クラブ のホームユニフォームをなんとか入手に成功します。公園内のあるショップが 奈良クラブ のグッズを扱っているという情報を Twitter で知りましたので早速押しかけました。しかし 橿原陸上競技場 は想定より遠かった。奈良 からひたすら電車で南下します。
がんばれ 奈良クラブ ののぼりが競技場のアプローチをにぎやかなものにします。ユニフォーム姿のサポもチラホラいます。サッカーの試合会場で同じものを身に着けていることはすなわち仲間意識の芽生えを意味します。
この日デビューの ディアーマン と自撮り撮影に挑みました。頭が小さいのでフレームに簡単に収まるので助かります。地元サポの男の方が「この前の人より背が高くなった」といっていたのはここだけの話にしておいてください。なぜなら今日デビューですから「この前」はありません。みんな誤解しますぞ。
スタジアムグルメを買い求めているうちに座る場所がなくなったため、バックスタンド芝生席に変えて観戦です。クラブ関係者、ボランティアさんが喜ぶ、メインスタンド満員御礼です。
試合は残念ながら アスクラロ沼津 が 1‐0 で勝利。チームカラーの大旗が降られています。どこかで見たことあると思ったら私が好きだったチーム、横浜フリューゲルス の旗と全く同じ配色です。この色の旗が振られているので オッサン 的には 奈良クラブ が負けるのも受け入れざるを得ない状況だったようです。
お目当てのチームの敗戦を目にするととたんにやる気がそがれたようになります。まだ修学旅行のためにどこかしら行く時間はありますが、おとなしく JR奈良駅 へ帰り、近くをゆっくり見て回ることにしました。競技場の最寄り駅、畝傍御陵前駅 ホームから帰りの近鉄電車を撮り鉄します。
旅の最後は……。疲労感たっぷり体を休めながらバスの時間までゆっくりしました。なにかとせわしない旅となりましたが、ガキンチョ のころ感じた思いを強化してその上に新たな感慨を重ねつつ巡り、そしてその合間に JFL のサッカー観戦を2試合。この3日間で旅の醍醐味をこれでもか?!、というくらい味わってもう腹いっぱいです。ホントはまだ帰るには早い気もしますがバスの時間なので横浜へ帰ります。(NO IMAGE)