オッサンと奈良クラブ -Episode2(第三次接近遭遇 - 大人の修学旅行編)-
多くの人は小・中・高で3度修学旅行へ行ったことがあるでしょう。しかし3回、同じところに行ったという人はめずらしいのでは?。という前振りをしておいて、3度の修学旅行を3回とも京都・奈良だったオッサンが奈良クラブについてnoteを書いています。小学校で大阪の交通科学館、高校で愛知の明治村が旅行の行程に含まれていたのがせめての救い???です。
はじめに
2015年5月末の観戦で耳にしたコールリーダーさんのお誘いをマジで受け取って奈良に4度目の修学旅行に行くことを決意したオッサンであるが、その実現にはなかなかいたらないでいた。そこに降って湧いたのが2015年9月の中山雅史さんの現役復帰のニュース。それも当時JFLのアスルクラロ沼津へ。日本人最初のFIFAワールドカップスコアラーの現役復帰である。このオッサンが興奮せずにいられる方法があったらぜひ教えてほしい。
んっ!!、JFL?!。そうだ奈良クラブとの対戦があるはずだ。セカンドステージ第13節。2015年11月1日。奈良クラブのホームゲーム、橿原で対戦が残っている。そしてその時点でまだ奈良クラブにはJリーグ昇格の可能性が残されていた。そして奈良クラブがもうひとつのJリーグ入りの条件となるホームゲーム合計3万人の観客を呼ぶことにも苦戦していること知った。もうこれは行くしかない。心は固まった。このオッサンが目指すべきは11月1日の橿原陸上競技場です。
旅のテーマは4度目の修学旅行、Re修学旅行である。仕事の都合もあるので金曜日に休みをとって、金土日の3日間で月曜の朝の仕事に間に合うことと、絶対行きたい薬師寺・東大寺・広隆寺・銀閣寺の4か所は訪問することが旅の要件。残念ながら一人旅なので"まくら投げ"はなし。
Re修学旅行〈初日-薬師寺・東大寺〉
今から思えば変な選択をしたと思うが、行きの交通手段として選んだのが「ぷらっとこだまエコノミープラン」。それも9:16新横浜を出る中途半端な時間。京都着12:44。元鉄ちゃんなので急行出発時にビスタカー入線で写真も撮っちゃう修学旅行です。
京都から近鉄京都線。急行で14時西ノ京。ともかくこの時間の奈良付近で行ける所という消極的な理由で薬師寺到着。15歳の秋以来の34年ぶりの薬師寺。東塔改修中で古代釘の展示に興奮するオッサン。あと腰つき。♪胸騒ぎの腰つき♪。
その後近鉄奈良へ移動。じゃっかん大和西大寺の乗り換えに迷う神奈川県民をご披露して近鉄奈良到着。
駅からの道を歩いて、東大寺訪問。歩ける距離にあること、本当に素晴らしい。そして鹿の飛び出し注意の標識。こんなん街中にある???。そしてついに廬舎那仏との久しぶりの対面。さすがに柱の穴はのぞいたものの、その時点でくぐるのは無理とあきらめました。
奈良公園。南大門の下で出会ったのが左目が白内障の鹿さん。これも自然なことなのだろう。そういえば高校の時の修学旅行の同じ班のやつがポッキーを口にくわえて鹿に食べさせたのはもう時効だと思うのでお許しください。今回はさすがにポッキーではなく鹿せんべいを。手に持つ鹿せんべいを押しの強い鹿1頭ではなく、付近の鹿にまんべんなく与えるというミッションをクリアする、というここへ来ないと絶対に楽しめないという最高のアミューズメントを堪能。
ここまで49歳で体験する大人の修学旅行の初日。
Re修学旅行〈2日目-広隆寺・西京極陸上競技場・銀閣寺〉
2日目は行きのこだまの車中で決めた行程。佐川急便から続くJFLのSP京都が活動を休止するというので、10月31日はその観戦を急遽決定。
2日目、朝一番で広隆寺へ。弥勒菩薩、相変わらず穏やか。自分が持ち合わせてないものに惹かれる。
そのあと西京極でのSP京都vs.ソニー仙台FC。ソニー仙台に所属している川崎フロンターレユース出身の山田選手を見に行くことと兼ねて観戦。今思えば、その後推し選手となる佐藤和馬選手、中村謙吾選手とはこのとき接近遭遇していた。そうそうヴィッセル神戸に所属している藤本憲明選手も。
観戦後、路線バス利用で銀閣寺へ。東山を照らす夕日が最高。
以上がRe修学旅行の2日目。
Re修学旅行〈3日目(前半)-夢風ひろば さんでお店の方の多大な助けによってOサイズのユニを手に入れる〉
そしていよいよ奈良クラブホームゲーム観戦の3日目。なにせ奈良の地理がわかっていない。大和西大寺も、大和八木も、天理も、橿原も、どういう位置関係なのかわかっていない。奈良市が奈良県の真ん中にあるくらいに間違って認識している。そうはいっても、さすがに東大寺が奈良市内にあることは理解している。その近くの 東大寺夢風ひろば の門前市場 さんの店内に奈良クラブのグッズが売っていることはインターネットを通じて情報を得ていたので、3日目はそこからスタート。
奈良クラブのユニフォーム買うオーラ全開で東大寺夢風ひろばの 門前市場 さんの店内に入ったのだが、サイズがLまでしかない。そこで店の方にOサイズを探していただいたのだが、見当たらない様子。そこでよせばいいのに壁に飾っていた一枚のユニフォームのサイズを見たらなんとO。実はこのオッサン、羞恥心を欠くのと厚かましいのを掛け合わせて体ができているので、軽く何も考えずに発した言葉が「これ譲ってくれません?」。それを聞いたお店の方がなにやらカウンターの中へ戻り、どこかへ電話をかけ始めた。今から考えれば、そのユニフォームには昇華プリントで12番の番号入りだったから、シーズンの初めに限定で販売されたもととすぐわかるが、奈良クラブ初心者マークのオッサンにはそのことをぜんぜん理解していなかった。何気ない一言だったのだが、ちょっと人騒がせなことになったを少し気にしながら待っていると、どうやら電話先の方から許可が出た様子で売っていただけることとなった。しかも、な、な、、なんと値引きまでもしていただいたのだ。
背番号12の入ったユニを電話で販売の許可をわざわざ取ってもらい、しかも値引して売ってもらう。
背番号12の入ったユニを電話で販売の許可をわざわざ取ってもらい、しかも値引して売ってもらう。
背番号12の入ったユニを電話で販売の許可をわざわざ取ってもらい、しかも値引して売ってもらう。
大切なことなので3回言いました。もうねぇ、こんなにしていただいてうれしくてうれしくて。私はこれ以降、門前市場 さんは足を向けて寝ていません(、たぶんきっと)。
それに加えて、さっき言ったばかりだが、自分が羞恥心を欠くのと厚かましいのを掛け合わせてできているので、帰りの荷物の多さに辟易していた自分は、旅の荷物を自宅へ宅急便で送っていただくことまでお願いした。快く引き受けていただいて、ますます感謝。宅急便の送り状を書き、送料を合わせて支払って 門前市場 さんをあとにした。旅行前からちょっとプライベートで気分が沈んでいたこともあって、旅先でここで受けたご厚意は本当にありがたかった。謝謝。
人騒がせもありながら?、こうしてスクアドラさんの、胸に丸産業さん、背中に大和農園さんのロゴが入った、オッサンにとって初の奈良クラブユニ鹿角唐草(しかも12の番号入り)を手したオッサンでした。
Re修学旅行〈3日目(後半)-橿原陸上競技場で初めての奈良クラブホームゲームを観戦する〉
さっそく買ったばかりのユニに近鉄奈良駅のトイレで着替えて橿原へ。奈良を訪れる多くのみなさんもそうだと思いますが、Googleさんが手の中にいるからなんとかなっているものの、橿原の地理がわかっていないままの出発です。だからずいぶん遠いところだなぁと思いながら南下していたのはここだけの内緒です。
朝から人を騒がせてなんとか橿原陸上競技場到着。スタジアムの外で開かれている奈良クラブ祭りにはスタグルあり、グッズ販売ありで、JFLでも奈良クラブのホームゲームってすごい賑わいなんだなぁというちょっとした衝撃。ディアーマンのマガジンと缶バッチ、それと記憶が定かではないのだが、たぶんタオルマフラーを購入してスタンドへ。
試合開始が近づくにどんどん人が押し寄せて、座るところがだんだんなくなるスタンド。関東から来たという妙な遠慮もあって、メインスタンドでの観戦を回避して、芝生席のバックスタンドへ移動しましたが、ディアーマンとのツーショット写真はちゃんと奈良訪問の記念に撮っていただきました。
肝心の試合の方はアスルクラロに押されがちな90分だったと記憶している。そんな中、ものすごく今も印象に残っているのは前半押されっぱなしだった時間に瀬里選手が遠めから放ったロングシュート。反撃の気炎を上げる一発。めちゃめちゃその気持ち伝わりました。こういうストライカーがチームを背負って戦ってくれるの心強い。あのシュートは忘れられない。
後半、自分たちが主導権を握る時間もあったものの、結果は0-1の敗戦。
ムサリクで衝撃を受けた奈良クラブサポーターさんをピッチをはさんで正面に見ることになったので、コアサポさんたちの様子を近くから見れなかったことは、今も後悔している。
このオッサンが関東から見に行ったくらいでは勝たせてくれない(当時もう49だったけど、いやマジでそんな気持ちの勢いで行っていた)という現実を突きつけられて、けっこうへこみながら橿原から奈良へ戻ったように思う。
最初の奈良訪問だったのでまだ勝手がわからず、夜行バス前の時間も駅周辺をひたすらウロウロしていたように記憶している。そしてバスに乗り込み、奈良をあとにしました。
おわりに
試合前はいろいろ京都・奈良を楽しめて、当日朝には奈良クラブを応援するショップの温情に触れ、素晴らしいRe修学旅行となったのですが、ただ唯一、試合に勝てなかったことで、JFLの中で戦いJリーグ昇格することのむずかしさを肌で感じ、奈良に縁もゆかりもない者が奈良のサッカークラブを応援することの意味を自分に問いかけるきっかけとなった、初めての奈良クラブホームゲーム訪問でした。
Postscript:
奈良行きのきっかけとなった中山雅史アスルクラロ沼津復帰でしたが、11月1日の対戦にはベンチメンバーにも名を連ねることなかったことをお伝えします。中山雅史 さんが現役復帰をしなかったら、もしかすると奈良へ行く決断をしてなかったかも?……。思うに 中山雅史 さんはメチャクチャ偉大なんです。