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年末年始は帰省しない
気づけば年末になっていた。noteでも「今年の振り返り」や「忙しい年末年始」をテーマにした記事が増えてきた。そんな中、私は年末年始も平常運行。無職なので月末や年末の業務に追われることもないし、忘年会も新年会もない。大掃除もしないし、年賀状も書かないし、おせちや初詣などの正月行事もやらない。
そしてなにより、帰省をしない。この時期になると、主にネット上で「帰省が苦痛」みたいな言説が増えてくる。親に小言をいわれるのが嫌な人や、義両親に会って気を遣うのが嫌な人など、いろいろなパターンがある。
私は「嫌なら帰省しなければいいだけ」と考えている。実際、今年は気が向かないので帰省しない。今回は私の「帰省観」について書く。
私の実家に行かない理由
私は無職なので、いつでも実家に行ける。実家へは飛行機に乗らないと行けないのだが、わざわざ航空運賃が高騰する年末年始に行きたくない。同様の理由でGWとお盆も避けている。
いわゆる「カレンダー」に左右されず、自由に帰省日を決められるのは無職の特権だ。この特権を活かし、私は閑散期の平日に帰省している。安いし、混んでいないし、良いことずくめ。
妻の実家に行かない理由
妻は年始に帰省するらしいが私は同行しない。理由は単純で、私にとっては自宅で過ごす方が心地よいから。ただ、それだけの理由。
私は結婚したからといって、妻の家族と特別に仲良くする必要はないと思っている。「義実家に行きたくない」という悩みを見るたびに「行かなければいいだけでは?」と思う。私は妻と仲良くやっていけさえすれば、義両親に嫌われても構わないと思っている。このことは妻も理解してくれている。
一方通行な帰省
帰省したがらない人の多くは、親との人間関係に悩んでいるのではないかと思う。例えば「たまには帰ってきて顔を見せろ」とか「孫の顔を見せろ」と言ってくる親もいるらしい。純粋に疑問なのは、なぜ子が親のもとに行く選択肢しかないのか、ということだ。会いたいのなら親の方から会いに来てもいいはずだ。
もちろん、帰省という言葉が「故郷に帰ること」を意味しているので「帰省=子が親に会いに行く」となるのは自然な発想。でも、会いたくて文句を言うくらいなら、帰省という枠にとらわれずに会いに来ればいいと思う。こうした帰省の慣習を考えていると、成人しても親子の関係に「上下」や「義務」が潜んでいるように感じる。「子が親のもとに帰るのが当然」というのは、どこか昔の参勤交代のように思えてくるのだ。
私の場合、親とは対等な大人同士としての関係を築いている。だから「帰ってこい」なんて言われることもない。帰省が苦痛と嘆く前に、親との関係性を再構築してみてもいいと思う(私の場合、喧嘩に近い議論を経てようやく対等な関係に持ち込んだ)。
「実家」や「帰る」という言葉に違和感
これも言葉にイチャモンをつける話なのだが「実家に帰る」という表現に違和感を感じる。
今は親から独立しているし、いま自分が住んでいる家こそが「実(じつ)の家」、つまりメインの家だと思う。親の家はかつて住んでいた場所であって、今となっては「サブの家」みたいなもの。そして、親の家は「帰る場所」というより「たまに行く場所」に変わった気がする。だから「実家に帰る」より「親の家に行く」という方が、自分としてはしっくりくる。
「実家に帰る」という表現の裏に「いつまでたっても親の家が本拠地」みたいな感覚が残っている気がする。もっといえば「子は親に従う存在」みたいなニュアンスが感じられて、なんだかモヤッとする。
あとがき
私は言葉の表現にイチイチ引っかかりを覚えてしまう面倒臭い人間だ。もっと言うと、常識とか慣習にイチャモンをつけて「自分なりの(屁)理屈」を練り上げ、非常識な行動をとってしまう人間だ。この記事を書いて改めて自覚した。こんな面倒な奴と日々対峙してくれる妻は何者なのか。
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