不足感を煽られて消費する
今回はいち消費者として、資本主義経済との付き合い方を考えてみる。
企業は消費者の需要を満たすために供給するのが基本。しかし、最近の企業は先に生産をし、その生産物をもってして消費者の欲望を喚起しているように思える。つまり、我々は企業に消費を強制されている感がある。
今は需要が満たされ尽くした時代
前に読んだ本(参考:『暇と退屈の倫理学』)に次のことが書かれていた。
19世紀初頭は欲望が生産や供給に先行していた
現代は生産と供給が欲望を生み出し、その欲望を満たすよう強制している
欲望のための生産ではなく、市場のために生産されている
社会の授業では「需要のあるところに供給が生まれる」と習った。しかし、あらゆる需要は既に満たされている(少なくとも日本では)。満たされていない需要を見つける方が困難かもしれない。
企業は新たな需要を創出しないと潰れてしまうので、潜在需要を発掘しようと躍起になる。しかし、潜在需要の発掘は「余計なお世話」とも言える。既に満足しているのに、なんらかの不足感を煽られて消費を強制されるからだ。
需要の創出に必死な企業
最近、需要の創出に躍起になっている格好の例を見つけた。
某不動産会社の幹部が「行きたくなるオフィスをつくり、出社回帰を促す」と新聞のインタビューで語っていた。今後、出社率はコロナ禍前の7割までしか回復しないと見込まれている。そこで、某不動産会社は「行きたくなるオフィス」をつくって出社率(オフィス需要)を高めようとしている。
まさに欲望のための供給ではなく、供給により欲望を生み出そうとしている。オフィスビルで儲けている企業からすれば、多くの人がオフィスで働いてくれた方が嬉しい。しかし、出社したい(させたい)という需要に応える形でオフィスビルを建てるのが自然に思える。
「対面での交流がイノベーションを生む」とも語っていた。これも一理ありそう(参考:『ソーシャル物理学』)だが、ここではオフィス需要を煽るための謳い文句に過ぎない。
企業の「不足感煽り」は無視したい
資本主義の特性上、企業は新たな需要を生み出し続けなればならない。これはもう仕方のないこと。先ほどのオフィスビルの買い手は法人だ。ただ、企業は私たち個人に対しても「不足感攻撃」を仕掛けてくる。
世の中は広告に溢れている。SNSや動画サイト、テレビ、ラジオ、電車など、広告に触れずに暮らすことは困難だ(その意味でnoteは居心地が良い)。どうすれば企業に不足感を煽られて余計な消費をせずに済むのか。
おそらく、広告に煽られないメンタルを形成する他ない。まずは「満足した暮らしとは何か」という問いを立てることから始めたい。この問いには、就活の時に一旦答えを出したが、改めて考える必要がありそうだ。気が向けば、その解答も記事にしてみよー。
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