
学生時代の貧乏生活から学んだ幸せ
私は大学と大学院の計6年間、地元を離れて一人暮らしをしていた。ありがたいことに学費は親が出してくれたのだが、生活費は月8万円の奨学金を原資にしていた。
当然、裕福な暮らしはできない。こんな生活事情に幼少期からの貧乏コンプレックスが相まって、大学1〜2年生の頃は「将来は裕福な暮らしがしたい」と思っていた。しかし、3年、4年と経つうちに「お金はそんなに必要じゃないかも?」と意識が変化していき、大学院生になる頃には悟りの境地に達していた。
今回は「私が学生時代の貧乏生活を経て変化した幸福観」について、時系列に沿って書いていく(2680字)。
【幼少期】貧乏コンプレックス
話は幼少期に遡る。今となっては実家が「貧乏でないこと」を自覚している(大学院まで行かせてくれたし)。ただ、物心がついてからしばらくの間は「うちは貧乏だ」と思い込んでいた。
実家は(地元の中では)お金持ちが多いエリアにあった。友人たちは立派な家に住み、小学生の頃から塾に通い、年に一回は海外旅行に行くような人が多かった。そんな中、私の実家は築20年ほどの狭いアパートだったし、家族で海外旅行をしたこともない。私は一人っ子だったこともあり、奨学金を駆使して大学院まで進学させてもらえたが、もし兄弟がいたら厳しかっただろう。
今はさまざまな情報に触れて、ある程度は客観的に判断できるが、幼い頃は自分の生活圏がすべてだ。当時の私は、周りの友人たちの生活を「普通」だと思い込み、自分の家庭がそれに及ばないと感じていた。実家での暮らしに大きな不都合があったわけではないが、将来は親よりも裕福になって「イイ暮らし」をしたいと思っていた。
【大学1〜2年】上京して憧れが強まる
大学進学を機に上京すると、貧乏コンプレックスは増幅した。大都会・東京では「イイ暮らし」をしている人が、地元の比ではないくらいに多かった。
当時は家賃3万円の木造アパートに住んでいたが、就職したら二子玉川(東京都世田谷区のシャレた街)の低層マンションに住んで、ポルシェに乗りたいなんて思っていた。今となっては笑ってしまうが、それほど「イイ暮らし」への憧れがあったのだ。
ただ、憧れを実現するのは「将来」であって「今」ではないと考えていた。人によっては学生時代からお金を稼いで贅沢をしている人もいたが、そういうのには興味がなかった。そもそも私は当時から労働が嫌いで、自由な時間を何よりも大切にしていた。そのため、節約を頑張り、極力バイトは減らしていた。
今思えば、憧れが先行しただけの薄っぺらい上昇志向だった。この時からすでに富よりも自由時間を重視する価値観が芽生えていたのだと思う。
【大学2〜3年】お金がなくても意外と楽しい
「イイ暮らし」への憧れは大学2年生がピークで、以降は徐々に冷めていった。日々の生活を楽しむ中で、目下の月8万円生活に満足していることに気づき始めたのだ。
安いアパートでも「住めば都」だし、自炊スキルが向上して自宅で美味しいご飯を作れるようになった。さらに、動画や音楽を格安で楽しむ手段もあって、これといった不足感がないことを実感していた。
そんな中、今の妻と付き合い始めたことも大きな影響を与えていたと思う。彼女も地方から上京して奨学金で暮らしており、お互いの生活状況が似通っていた。お互いお金がないからこそ、外食をせずに自宅で料理をしたり、公園でピクニックを楽しんだり、20駅分くらい歩いて街を探検するなど、お金をかけない楽しみ方を模索していた。
こうした経験を通じて「お金をかけなくても、工夫次第で楽しい生活が送れる」と気づき始めた。そして、次第に「イイ暮らし」に対する憧れも薄れ、むしろ今の生活に満足する気持ちが強まっていったのだ。
【大学4年】最強の趣味を手にする
私は理系だったので、大学4年生になると研究室に配属された。研究室では一人一人に研究テーマが与えられ、基本的には個人の裁量で研究を進めていく。私はこの研究活動を通じて「学び」という最強の趣味を手に入れた。
授業では学ぶ時間、場所、内容を指定されるため、どこか「作業」のように単位を取得していた。しかし研究では、いつ、どこで、何を学ぶのかをすべて自分で決められる。この、自分の興味を存分に追求できる「自主的な学習スタイル」に夢中になった。
「学び」には終わりがないし、ネットや図書館を活用すれば無料で楽しめる。他者と知識を共有できることも魅力の一つだ。学生時代に「学び」という趣味を見つけられたおかげで、今の私は退屈とは無縁の暮らしを送っている。
【大学院】コロナ禍の巣篭もりで悟る
大学院に進学してすぐ、コロナ禍がやってきた。授業は完全オンラインに切り替わり、研究も極力リモートで行うよう指示された。私は実験をする時だけ大学に足を運び、それ以外は自宅に引きこもっていた。
コロナ禍前、研究室は「ゆるい会社」のような雰囲気だった。研究の合間に雑談を楽しみ、夕方になるとパソコンを閉じて飲み会に出かける人もいた。チームワークはないはずなのに、親睦を深めることが推奨される空気感があったのだ。だが、私はそのような「人との交流」に無関心だった。親睦を深めても研究の進捗には寄与しないと感じていたし、なにより「研究室の人」よりも「研究」に関心があった。
コロナ禍ではこうした「無駄な交流」が激減した。最低限の業務連絡を交わすだけで、あとは一人で黙々と研究を進めるのがスタンダードになったのだ。さらに、今まで人との交流に費やしていた時間やエネルギーが浮き、私は読書を始めた。読書にハマると、図書館の魅力にも気づいた。図書館には読み切れないほどの本があり、無限の学びの可能性が広がっていることを実感した。
コロナ禍では「自宅に引きこもること」と「人との交流を減らすこと」が推奨されたが、私にとってはそれが快適そのものであり、むしろ自分の理想的な生活だと気づくことができた。自宅にこもり、学びに没頭し、少数の親しい人とだけ交流する生活が、こんなにも自分に合っていると実感できた。
あとがき
今振り返ると、贅沢な暮らしに憧れていた自分がまるで別人のように感じる。特に「予算の限られた一人暮らし」と「コロナ禍」という経験が、自分の考え方を大きく変えた。
最低限の生活費、図書館などの学べる環境、そして少数の人間関係さえあれば十分に満足できる。学生時代にこんな考えを持ってしまったことで、私は就職する意味を見出せなくなった。そして実際、紆余曲折を経て主夫になったわけだが、詳細は別の記事に書いているので興味があればぜひ。
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