専業主夫の年収は?【主夫マガ#5】
専業主夫はもっぱら家事・育児に取り組む既婚男性を指し、その多くは税制上の課税所得がなく、妻に扶養される「被扶養者」である。男性に稼得能力を求める風潮に反する存在としてマイノリティに分類される。今回はそんな専業主夫のひとりである私の収入事情を明かす。
専業主夫である私の年収
私は「賃労働をしていないこと」を発信活動におけるアイデンティティとしている。現にnoteでも「賃労働をしていないこと」を度々ネタにしている。しかし、収入が全くのゼロというわけではなく、年間1〜2万円ほどの収入を得ている。まぁ、限りなく無収入に近い。
収入源1:ブログ
2024年に個人ブログで発生した収益は8000円ほどだった。しかし、サーバ代が年額12000円なので年額4000円の赤字である。ブログは会社員時代に始めたものの、今は飽きて放置している。サーバーを複数年契約にしてしまったので毎月赤字を垂れ流している状況だ。
ブログで大きく稼ぐには、ビジネスと割り切って物販(アフィリエイト)を頑張る必要があると感じている。私は「物を売るための記事」を書くのが本当につまらなくて飽きてしまった。物販に頼らず広告収益だけで稼ぐ方法もあるが、広告収益は単価が低いのでアクセス数を増やさないとやっていけない。私のような凡人が「書きたい記事だけ書いて稼ぐ」というのは現実的ではないのだ。
収入源2:クラウドソーシング
クラウドソーシングとは、ネット上で不特定多数を相手に業務を委託すること。ライティングやデザインなど多種多様な業務があるなか、私は最も簡単な「タスク系の業務」を請け負っている。簡単かつ誰でもできる業務なので単価は数円〜数百円と格安。私はアンケートに答えるだけの超簡単な案件をメインに請け負っており、月に1000〜2000円稼いでいる。
一応賃労働ではあるのだが、私はポイ活の感覚でスキマ時間に業務をこなしている。例えば、趣味である勉強を終えたあとの漫然とした時間。勉強を終えて心地よい疲労感があるなか、すぐに次の行動に移る気も起きない。こんなときに簡単な案件をこなすと気持ちを切り替えることができる。ダラダラとYouTubeショートを観るくらいなら、お小遣いを稼ぎつつ気持ちを切り替える方が有意義だと思っている。
あと、純粋に業務内容が面白い。秘密保持契約を結んでいるので詳細は書けないが、研究調査の被験者になることもできる。その案件の発注者の名前を検索すれば研究内容も知れる。「こんな研究があるんだ〜」と発見できるのも楽しい。
妻に「稼ぎ」を求められない
私は妻に「もっと稼いで」とか「仕事を探して」と言われたことがない。妻の労働条件が比較的良く、生活コストも安いので、私が働く必要に迫られないのだ。とはいえFIREできるほどの金融資産があるわけでもないし、世帯収入が多いに越したことはない。妻が私に稼ぎを求めない背景には、経済事情うんぬんの他に、夫婦ともに「働く=正常」という観念をもっていないことが考えられる。
世間では「働く=正常」「働かない=異常」という観念が支配的だ。そんな中、私は学生時代の貧乏生活を経て労働意欲を失ったし、妻も会社員としてキャリアを重ねるごとに現行の労働への疑念を深めている。生きるために働いているのか、働くために生きているのか、わからなくなってきているのだ。
私たち夫婦は「稼ぎ」ではなく、その先にある「生活」に目を向けている。残念ながら現代の日本ではお金がないと生きていけないので、最低限のお金は欲しい。ただ、それ以上は必要ない。いや、労せずして貰えるのならいくらでも欲しいが、わざわざ労働をしてまで欲しくない。
主婦・主夫の年収を理屈で考える
「専業主婦・主夫の年収はいくらか」という問いに理屈っぽく答えてみる。よく「主婦・主夫業を年収換算すると〇〇万円!」みたいな物言いを目にするが、そういう話ではない。家事代行サービスと比較して、己の経済的価値をはかっても虚しくなるだけだろう。
私は「主婦・主夫の実質的な年収はパートナーの年収の半額である」と答えても間違いではないと思っている。例えば、年収500万円の夫と暮らす専業主婦の年収は250万円相当というわけだ。その根拠は「財産分与権」にみることができる。財産分与権とは、離婚時に婚姻期間中に形成した財産の分与を請求できる権利だ。法務省の解説ページによると、片方が主婦・主夫であっても婚姻期間中の財産については2分の1ずつ分け合うことが多いらしい。
この考えに倣うと、主婦・主夫の実質的な年収はパートナーの年収の半額と解釈しても差し支えないだろう。一般化すると「夫婦それぞれの実質的な収入は、夫婦それぞれの収入の和の半額」と考えられる。この解釈を採用すれば、夫婦の収入格差にもとづく優劣感を克服できる。財産分与権は主婦・主夫が理論武装をするうえで非常に心強い味方となりうる。
あとがき
誤解なきよう言っておくと、私は労働は大嫌いだが、お金は大好きである。お金があれば大嫌いな労働をしなくて済むからだ。お金で幸福は買えないが、不幸を排除することはできる。私は「快楽の存在」より「苦痛の不在」を求めるので、お金を欲しているのだ。もう何度も引用している気がするが、大好きな自己紹介文を引用して終わりにする。