息もできなくなっていた

中学生や高校生時分、自意識の権化のようになって苦しくなることがなかった人なんているのだろうか。

私がよく目にした漫画や小説やエッセイの主人公たちは、みんな肥大する自意識に苦しめられていた。(穂村弘さんのエッセイなんて、自意識についての話がとても多くて、どれだけ助けられたかわからない)
肥大する自意識を仮にもくちゃんと呼ぼう。もくもくとわき上がっていくからだ。もくちゃんは色んな形でやってくる。
私の場合、もくちゃんはそっと気管を締め付けてきた。

登下校の時には、ずっとウォークマンで音楽を聴いていた。
音楽がとても好きだった。今も好きだ。けれど、あの頃はもっと自分を音楽に依存させていたと思う。

音楽だけではなく、本も漫画もそうなのだが、「私」ではなく、「本や漫画や音楽が好きな人」というくくりに好んで身を置いていたのだと思う。自分の内面を掘り下げたりせず、好きなものや分かりやすい特徴でレッテルを貼っておくのはとても楽だからだ。

それに加えて、音楽は、外の喧騒から身を隠すのにちょうどよかった。何も聞こえないってことは、私の外には何も存在していないってことだから、私を傷つけるものは何もないし、大丈夫。あんしんあんしん。

けれどもくちゃんは囁く。「あの人、君のこと変だなって思ってるよ」とか「呼吸音がみんなに丸聞こえだよ。鼻風邪?」とか、言わなくていいことを囁いてくる。もくちゃんに囁かれると、うっと身が縮こまって、急に周りの人たちが気になりだす。

そのうちに音楽に心がいかなくなってしまって、外のことが気になって、急に外界から音を遮断しているのが怖くなって、音が聞こえない中呼吸しているのが怖くなって、イヤホンを片方外す。すると、普通の、何の変哲もないつまらない日常が帰ってきて、私はほっとして嫌悪する。またイヤホンをはめる。

もくちゃんはもうだいぶ姿を見せてくれなくて、私はもくちゃんと一緒にいた感覚も良く思い出せない。
それで全然良いのだけれど、時々あの苦しさが懐かしくなってしまったりする。
人間は勝手なものだよね。これくらいの自由さで生きてもいいと、なんとはなしに知ってしまった時に、もくちゃんは消えてしまったのかも。
まぁ、まだ心の隅の方で、ひっそり外の世界を見つめているのだと思うけれど。

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ぺちこ
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